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 廃屋の階段を二階へと上がって行く。階段を一歩一歩踏みしめる際に片方の足にのしかかる自重が、想像以上に階段の踏み板を撓ませ、それが壁に伝って小刻みに壁表面を震わせて、少し遅れてから家全体を揺り動かすような、酔いのような揺れを生じさせた。

 その場でじっとすることで、共振状態の揺れが治まるのを待ってから、階段を登りきった二階入り口で、ゆっくり頭を持ち上げて頭上を見上げてみる。時の捻じれを可視化でもしたかのようなその光景にあ然とし、少しの間、沈黙を続けてしまうことになる   

 またもや僕は、北海道の原野の片隅に打ち捨てられでもしていた、タイムカプセルの蓋を、これは罪深い行為なのか、こじ開けてしまったのかと。

 その愛くるしく微笑みかける菊池桃子は、タクシー運転手にストーキングをされ心を痛めている、五十路の子持ち主婦では断じて違うし、バリニーズ並に地黒でバストトップをやけに強調した妖艶な衣服を纏う中山美穂も、辻仁成と離婚をしてパリに引き籠っている現在の彼女では決してないだろう。

 あどけなさの残る中森明菜に、素人っぽい物憂げな顔の河合その子、わらべという三人ユニットで並んでいて、見切れているのだろう、かなえこと、倉沢淳美、その下はよくわからないが、次はまた、おそらく近藤真彦と破談する前の、まだアイドル路線只中の、初々しい、中森明菜。

 黒マスク三人は、東山紀之他三人組の少年隊かと思った。思春期の男の子だろう部屋主はジャンルを問わず手当たり次第に女性アイドルが好きでありながら、男性アイドルでは唯一、少年隊を推すということは、それが少年隊でなくとも、結構あるパターンである。

 よく見るとそれは、少女隊であった。派手なプロモーションで大々的にデビューした割には、サッパリ売れなかった印象がある。

 1980年代の遠い昔に、恋人もまだいない、10代の男子中学生か高校生が、こんな可愛い彼女がいたなら、どんなにか毎日が楽しかろうと、北海道の果ての辺境の地で、時には現実に引き戻され虚しくなり涙の数滴も零れそうになりながらも、彼女らの笑顔に励まされながら、苦しくも充実した青春時代を駆け抜けた、心の支えとなったに違いない、この時分の男子は皆思うだろう、こんな天使みたいな子、クラスどころか、学校全体を見回してもいない、でも、自分だけは、いつか、巡り合って、結婚するんだ、夢は決して諦めない、すれ違う人が皆振り返るような女と、俺は絶対結婚してやるぞ!と。

 高校で彼女もできた。就職して職場恋愛も経験した。いつしか彼は身分相応という現実を思い知らされることになる。顔だけじゃ、飯は作れないし、子供を大学に進学させる教育も満足にできないことだろう。上を見たらハリウッド女優とかキリがない。最果ての地で、平々凡々とした生活を送ることを次第に受け入れて行く・・・

 それは、アイドルと結婚したい、少年の夢がまだ醒めていないままの空気を閉じ込めた、ときめきで充満した、「80'sアイドルファンの館」なのであった   



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  梁の上に目をやると、そこにも執拗にアイドル写真が並べて貼られていた。

 ポスターにはどれも折り目が目立ち、梁の上部分のはどう見ても雑誌からの切り取りサイズ。アイドルグッズにそうお金のかけられなかった、年若の少年であることが容易に想像できるだろう。

 フックからぶら下がる赤いメガホンは、アイドルのコンサートへ行った時に購入した、コンサートグッズか。



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 寒くて心寂しい夜、微笑んでもらい胸の風穴を埋めてもらいたい、見つめ合っていたいのだと、天井にまでポスターを貼っていた。僕は経験が無いが、マンガとかでは、一番好きなとっておきのアイドルのポスターは天井に貼る、というネタが昔よくあったような気がする。彼のナンバーワンアイドルは、南野陽子だったのか。

 AKBのファンがAKB村内で推しメンを変えるように、おニャン子クラブのファンも、そのグループ内の中からいろいろ選びそうなものであるが、彼は非常に珍しいことに、グループ、正統派、ヤンキー系、など、芯が無く、オールジャンルのアイドルファンであったらしい。

 黄色い旗は、サンプラザ中野か、松山千春のコンサートグッズかと思ったが、拡大をして字をみたところ、「網走刑務所」と書いてあった。よく考えてみれば、80年代の松山千春は、そこまでハゲてはいなかった。



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 女性の下着みたいなレースの暖簾があり、横の壁にもまた、アイドルのポスター。

 松本典子、その横に「YOUKI」と表記があるが、知らない人だ。その右が、乃木坂46やAKB48のプロデューサー、秋元康の現婦人である、元おニャン子クラブの高井麻巳子。また少女時代に菊池桃子と。

 脈絡やこだわりはなし。

 21世紀の今の時代に、空気感もそのままに、80'sのポップカルチャー・シーンがそのまま閉じ込められている部屋が現存して、しかも見捨てられたままであるとは、まだこの日本に、そんな手付かずの幻想的な夢の続きのようなおとぎ話のような話が、実在しているという、そんな奇跡に、胸揺さぶられ魂の震えるような感動を覚え、しばらく足も動かなくなり、天井の木目を、意味もなく数えていた   



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 気がつくと  おニャン子クラブの歌の作曲の多くを手がけていたことでも知られる作曲家の後藤次利と  結婚していた、河合その子。

 手の指の隙間から滔々とこぼれ落ちる砂のように、抗いがたい止めようのない力、虚しさ憤りを痛いほど感じながら、結局住む世界が違っていたのだなと、辛い現実を突きつけられることになった、部屋主   



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 片岡鶴太郎に切り込まれ、目をうるませ「未経験です!」と番組本番中に訴えた、汚れなき少女に見えた、渡辺美奈代。

 そんな彼女も、現在二児の母。

 いたいけな少年が、胸はずませて、愛しく、せっせと買い集めた、見るたびに胸締め付けられた彼女らのグラビア写真も、今は紙くず以下、鼻紙にもならない有り様   


 救いようがないけど憎めない、純情アイドルファン少年であるとばかり思っていたら、少年はやがて成長をし、当時はレースクイーン上がりの、股の切れ込みが半端ない、今なら痴女扱いされかねない、卑猥極まりないほぼ半裸の水着を着用した、今はご意見番として活躍をする、彼女の寝釈迦姿の等身大ポスターを貼るまでに、男としてのギラギラとした性に目覚めていった”彼”であった   



 
つづく…

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