津久井-56
 異端のオーナー、お寄せいただいた情報では、あの異色の紹介ページが、404 Not Foundになってしまっているとの報告が寄せられる。

 ついに、サーバー代にも事欠いてしまったのか   

 しかし、続報によると、サーバーの管理会社が変更されていて、今あのページは無事復帰を果たしているとのこと。

 なおもあのページを発信し続けることの意図はどういうところにあるのだろうか。

【併せて読みたい】空中回廊のある、廃墟ペンション【オーナー】

 その揺れるオーナーさんの物件の一つ、津久井湖近くの通称「グレートマザービル」に行く道中、ひょんなことから遭遇した  通りには廃業をした店舗が立ち並び、子供は見かけず人通りは僅か、精気はなく、うら寂れた古い町並みの中に、異彩を放つ、儀式めいた門柱の奥に、目を逸らそうにも、覗かれる、半崩落しかかった  かつては瀟洒であったろう木造二階建ての日本家屋。

 老朽化による劣化で、支えきれなくなり、二階の重みで一階の柱や壁はひしゃげ、それで戸が弾き飛ばされ、全開放されたように、一階部分が大胆にも開け放たれたままになっていた模様。

 門も無ければ、落雷を受けたように半壊した廃屋を、修繕もせずに、放置したままであるのは、田舎町ののどかさゆえなのだろうか。

 踏み入ると、判明したのは、そこは、金光教の、「教会」と呼ばれる、宗教施設であったということ。

 入って左、建て付けの悪くなっていた、障子を開けてみる   



津久井-57
 仄暗い光を漏らす道路側のガラス戸には、緑の蔦がやがて覆い隠す勢いで纏わりついていた。



津久井-58
 空の本棚に、食器類、鍋、など、いずれは使う物を置いておく倉庫であったらしい。

 先祖代々、数十年、長期保管するような物は、隣の蔵にしまっておいたのだろう。

 特筆する品などは無かったので、早々に倉庫らしき部屋から出る。丁寧に障子を閉めることを、忘れずに。



津久井-55
 倉庫から出た、障子の上にあった、額入りの肖像写真。

 生神金光大神の代理(てがわり)である、取次者なる人なのか。



津久井-61
神人あいよかけよの生活運動

  願 い

お取次を願い 頂き

神のおかげにめざめ
お礼と喜びの生活をすすめ

神心となって 人を祈り 助け 導き

神人の道を現そう

金光教


 よく、日本人は無神論者と言われ、実際、どの宗教にも属しておらず、でも、形だけの、仏教に則った、墓参りなどはするものである。

 僕は、ネパールに滞在中、父親が死んだと聞かされ、文字通り、飛んで帰ったが、まぁ、カトマンズから電話をした際、もう死後一ヶ月経っていることを知らされていた。その直前のインドのシッキムで、山籠りに近いことをしていたので、これはもう、仕方がない。

 帰国して、親戚の手前、家族に迷惑をかけられないので、お墓に行き、手を合わせて、神妙な顔つきで、粛々と、するべきことをこなした。特に父親と反目していたということはなかった。

 それ以来、数十年間、一切、お墓参りとか、儀式めいたことには参加していない。無神論者としての、誇りやアイデンティティがあるとかではなく、必然性とか、やる意味がわからず、逆に、信徒でもないのに、お墓に行って拝んでいるような人は、形だけの行事をこなして、世間体を気にして、常識の無い恥ずかしい人と思われたくない、一般社会の価値観から、外れている人と見られてくない、などの、他人の目を過度に気にして、生きている人なのではと、思えてしまう。

 もちろん、そのようなことを、飲み会や、一般コミュニティーの親睦会等で発言をすると、ドン引きされ、変わり者扱いされるのはわかっているので、今まで一切、そういった話はしたことがない。

 心霊スポットや遺体が発見された廃墟など、なんとも思わず、むしろ、嘘を暴いてやるぞと、ズカズカと行けるのは、現実主義的な、こういうところから来ているのかもしれない。

 ネットで霊だのお化けだ幽霊だの胡散臭い説明をしているサイトがあると、大げさに言うと、くっだらねぇ、詐欺師じゃないのと、その場所へ行って、笑える素材を敢えて探してつついて、ねぇ、取り憑かれないでしょと、メラメラと無性に白日の下に引き摺り出してみたくなってしまうのだ。

【読んでおきたい北の最恐スポット】「堕ちて心霊スポット」雄別炭鉱・病院と訪問者の証し1



津久井-62
子供を叱り叱り育てるな。
叱り叱り育てると、
大きくなって道楽者になる。
また、恐れさせ恐れさせ
育てると臆病になる。


 叱って締め付けて育てると、その反動で、タガが外れ、横着で怠け者になるということなのだろう。ニートには、こういう人が多そうだ。

 なるほどと、頷かせられるところもある。宗教を介して、このように学べれば、それはそれで決して無駄ではないということなのか。



津久井-65
参る、祈る、聞く、話す

 信仰心の厚い信者が集った、この教会も、あと数年、いや、半年後?に倒壊するのはもう見えているので、全てを、記録しておこう、そう、思った   
 


津久井-67
真心の道を迷はず失はず
末の末まで教へ傳えよ


 「傳」の字がわからなくて、最初、任天堂の先々代社長の山内溥の「溥」かなと思ったが、それはさんずいの「ひろし」で、「傳」はにんべんの「つた(える)」であった。



津久井-69
 取次者の祖父、つまり、先代の取次者か。



津久井-70
天地書附(てんちかきつけ)

 生神 金光 大神

天地金乃神 一心ニ願
 
 かつての信者さんは皆ご高齢で、当主亡き後、自然解散したのでしょうね。



津久井-64
きょうね、こうえんのちかくでね

いぬがさみしそうだったから

「わんっ!」っていったら

「ワンッ!ワンッ!」ってね

いってくれたんだよ。


 展開もオチも無い、大人が子供の幼児性を安易にこんな程度だろうと軽んじて、創作をしてみたポエムといったところ。
 


津久井-74
 襖を開けてみるが、掘り出し物と言えるような物は無かった。

 神前に向かって右側には、座卓のような物が置かれていた。お取次が座り、信者さんの願いを、天地の神様へお取次ぐ、「お結界」という場所なのだという。まだ臭い立つような、備品なども当時そのままにある。

 結界の後ろの障子紙はなぜか全てが破れており、お取次家族が住んでいたのだろう、居住スペースが、丸見えになって覗き見ることが出来た   
 



つづく…

「教会長の汚れた座布団」金光教の廃墟宗教施設を発見したよ.3

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