田浦-18
 横須賀市田浦の住宅街のはずれ、左折をすると畑と、田舎のあぜ道のような一本の道。やがてJRの踏切が見えてくる。線路を渡ると、そこはもう、息の詰まるような、奥に吸い込まれて行きそうな、あきらかに今来た景色と違う重い密度の空間が広がっている。これは何かが違うなと。左には、マッドサイエンティストの研究所にありそうな角みたいな電源設備が仰々しい、発電所。廃墟ではない。現在も元気に稼働中の様子。右にはしなだれた羊歯が覆う山。その狭間の軽自動車がやっと通れるぐらいの小道を進んで行く。すぐその先は、廃村集落だった。

 廃村集落への出入りは、間際のJRの踏切からの、たった一本の道だけ。喉元のように狭い道を過ぎ、やがて開かれた、廃村集落を見渡せる場所に立つと、まるで関所のように際に立ちはだかるのが、廃村少年こと、ムネ君の住んでいた住居。彼の存在はさながら門番であるかのように、かつての総合格闘技PRIDEでいえば、海外から連れてきた得体の知れないファイターの実力を見極めるために、特段強くもなければ、かといってからきし弱くもない実力を備えていて、新参の格闘家と戦わせれば、そのニューフェイスのPRIDEでの立ち位置が推し量れるという、PRIDEの門番こと、ゲーリー・グッドリッジのような存在であるかのように、次から次へと来廃村する探索者達の門番化していたのは、実力がどうとかではなく、集落に入ってすぐ目に付きやすい家なのと、かつての自分の部屋を思わせる子供部屋が、そのまま残されているという、ノスタルジーに想いを馳せる人々が自身の子供時代をムネ君に投影して、思い出を重ね合わしてつい自分語りに花を咲かせてしまうという、共感を生み出し、人を絶え間なく引き寄せ、結果、門番的役を担わされていたということなのだろう。まずはここに寄り、通過儀礼をこなすような導線が、徐々に築かれていったと。

 廃村集落の門番的象徴、田浦廃村を語るうえで欠かせない、ムネ君の思い出、もっとないかなと、切望して、今まで僕ぐらいしか試みなかっただろう、窓の下の小さい棚の小さい襖を開けてみた。

 奥より出て来たのは、新谷かおる先生の「凍結戦線」や「世界の艦船」などの、マンガやムック本。


 
 横須賀という、軍港を擁する土地柄か、ミリタリー好きの保守派的傾向のある少年だった匂いが今の段階でほんの少しだけ嗅ぎ取れたような気がした。



田浦-19
 窓ガラスの無い横長の窓枠の外は緑濃い繁り具合。

 捲れた板張りに、剥がれた壁紙。床にはぶち撒かれたムネ君の思い出の数々。

 椅子には、キャンバスに描かれた、お世辞にも上手いとは言えない、ヨットの絵が飾ってあった。



田浦-20
 抜け殻だけの家に残された「魂」の力強い文字。

 虫がちょっと多いので、一時、別の部屋に移動してみることにした。



田浦-21
 左の壁には、お父さんのと思われる、ベルトの並び。実に珍しい収納法。いや、吊るすだけならありがちだが、客も通るような場所にそのまま見られる状態に普通はしないものだ。

 破損著しい廊下を行く   



田浦-22
 応接間だった場所か。奥にはステレオが重厚に構える。



田浦-25
 ムネ君が図工の時間に制作をした作品。お祈りをする砂漠の民ベドウィン族かなと思ったが、よく見ると白鳥のようであり、下には孔雀の羽のようなのが垂れ下がっている。形といい、配色といい、貰っても誰にでも喜ばれる物ではなさそうだ。



田浦-24
 オーディオシステム。上に置かれたガラスケースの中の日本人形。

 そして、額の中の写真は・・・



田浦-23
 天皇皇后陛下のお写真   

 当時はピカピカに輝いていたはずですが、置いておくだけなのに、ここまで汚れてしまうものなのですね。



田浦-26
 高価な桐箪笥であったなら、こうはならなかっただろう。だからといって、この家には、これがベストであったということだ。



田浦-27
 移住先で、家族全員が、お元気でいられることを、心より願って、次は、台所へと   



田浦-29
 小津安二郎風カット。



田浦-28
 お嬢こと、昭和歌謡界の女王「美空ひばり」さんでしょうか。


 このあと、実家の祖母より送られた封書の中にあった、心温まる、事細かな長文のお料理指南文、旅立つムネ君へのサイン色紙、まだあった、思い出のエロ本、ミリタリー関連本など、瓦礫の屋根の下に詰まっていた小さな小さな真実のストーリーが、こんこんと、湧き出るように、紡ぎ出されてゆくことになる   




つづく…

「育まれた少年の嗜虐性」廃村に行ったら取り壊し直前だった件.4

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