横須賀市田浦の住宅街のはずれ、左折をすると畑と、田舎のあぜ道のような一本の道。やがてJRの踏切が見えてくる。線路を渡ると、そこはもう、息の詰まるような、奥に吸い込まれて行きそうな、あきらかに今来た景色と違う重い密度の空間が広がっている。これは何かが違うなと。左には、マッドサイエンティストの研究所にありそうな角みたいな電源設備が仰々しい、発電所。廃墟ではない。現在も元気に稼働中の様子。右にはしなだれた羊歯が覆う山。その狭間の軽自動車がやっと通れるぐらいの小道を進んで行く。すぐその先は、廃村集落だった。
廃村集落への出入りは、間際のJRの踏切からの、たった一本の道だけ。喉元のように狭い道を過ぎ、やがて開かれた、廃村集落を見渡せる場所に立つと、まるで関所のように際に立ちはだかるのが、廃村少年こと、ムネ君の住んでいた住居。彼の存在はさながら門番であるかのように、かつての総合格闘技PRIDEでいえば、海外から連れてきた得体の知れないファイターの実力を見極めるために、特段強くもなければ、かといってからきし弱くもない実力を備えていて、新参の格闘家と戦わせれば、そのニューフェイスのPRIDEでの立ち位置が推し量れるという、PRIDEの門番こと、ゲーリー・グッドリッジのような存在であるかのように、次から次へと来廃村する探索者達の門番化していたのは、実力がどうとかではなく、集落に入ってすぐ目に付きやすい家なのと、かつての自分の部屋を思わせる子供部屋が、そのまま残されているという、ノスタルジーに想いを馳せる人々が自身の子供時代をムネ君に投影して、思い出を重ね合わしてつい自分語りに花を咲かせてしまうという、共感を生み出し、人を絶え間なく引き寄せ、結果、門番的役を担わされていたということなのだろう。まずはここに寄り、通過儀礼をこなすような導線が、徐々に築かれていったと。
廃村集落の門番的象徴、田浦廃村を語るうえで欠かせない、ムネ君の思い出、もっとないかなと、切望して、今まで僕ぐらいしか試みなかっただろう、窓の下の小さい棚の小さい襖を開けてみた。
奥より出て来たのは、新谷かおる先生の「凍結戦線」や「世界の艦船」などの、マンガやムック本。
横須賀という、軍港を擁する土地柄か、ミリタリー好きの保守派的傾向のある少年だった匂いが今の段階でほんの少しだけ嗅ぎ取れたような気がした。
窓ガラスの無い横長の窓枠の外は緑濃い繁り具合。
捲れた板張りに、剥がれた壁紙。床にはぶち撒かれたムネ君の思い出の数々。
椅子には、キャンバスに描かれた、お世辞にも上手いとは言えない、ヨットの絵が飾ってあった。
抜け殻だけの家に残された「魂」の力強い文字。
虫がちょっと多いので、一時、別の部屋に移動してみることにした。
左の壁には、お父さんのと思われる、ベルトの並び。実に珍しい収納法。いや、吊るすだけならありがちだが、客も通るような場所にそのまま見られる状態に普通はしないものだ。
破損著しい廊下を行く
応接間だった場所か。奥にはステレオが重厚に構える。
ムネ君が図工の時間に制作をした作品。お祈りをする砂漠の民ベドウィン族かなと思ったが、よく見ると白鳥のようであり、下には孔雀の羽のようなのが垂れ下がっている。形といい、配色といい、貰っても誰にでも喜ばれる物ではなさそうだ。
オーディオシステム。上に置かれたガラスケースの中の日本人形。
そして、額の中の写真は・・・
天皇皇后陛下のお写真
当時はピカピカに輝いていたはずですが、置いておくだけなのに、ここまで汚れてしまうものなのですね。
高価な桐箪笥であったなら、こうはならなかっただろう。だからといって、この家には、これがベストであったということだ。
移住先で、家族全員が、お元気でいられることを、心より願って、次は、台所へと
小津安二郎風カット。
お嬢こと、昭和歌謡界の女王「美空ひばり」さんでしょうか。
このあと、実家の祖母より送られた封書の中にあった、心温まる、事細かな長文のお料理指南文、旅立つムネ君へのサイン色紙、まだあった、思い出のエロ本、ミリタリー関連本など、瓦礫の屋根の下に詰まっていた小さな小さな真実のストーリーが、こんこんと、湧き出るように、紡ぎ出されてゆくことになる
つづく…
「育まれた少年の嗜虐性」廃村に行ったら取り壊し直前だった件.4
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コメント
コメント一覧 (15)
雨亭さん
お城に紫陽花の撮影にと、以前のお仕事とは距離をおいた趣味で日々過ごしていそうでお羨ましい限りです。
>「闇」があるのですね。そこを探偵として解明してゆく。
輝く便器、駐車場に打ち捨てられた金庫、段々と共通項が見えてきて分析能力も上がってきました。
>廃道ブログで「山さ行かねが」あるすね
僕が酷道を書くとしたら、冒険談ではなく、かつての通行人や土木作業員の人間模様を描くことになると思います。引き出しの多い廃墟のような多彩さに欠けるので、そっちには行かないかな。ブームをあてこんで、廃墟趣味から多くの人が行ったようですけど。
>この「独自路線」があるから、これだけ人が来ると思うのです。思索的でもある!
廃墟ブログをやる前に関連図書やブログを読みましたが、大抵が写真を淡々と並べるか、情緒的なポエム、歴史やスペックなどデータの羅列でした。眠くならないような文章をと試行錯誤した結果、廃墟に実際には見えないものの、そこに匂い立っているようなかつての住人達の姿を炙り出して、白日の下に晒す、多少のタブーはあれど、皆が見たかったのはソレだろう、と、思ったわけです。おっしゃる通り、あらゆる可能性を考察するために序盤には若干のシニカルな表現もあります。最後まで読めば、その場に行ってみたくなるような、ハートウォーミングなヒューマンドラマになっているはずです。デビュース邸はまた例外かもしれませんが。
>結構にコメント主さんの中に本人さんが混じり、読んだり
それが理想です。初めは、なんだこれ、昔の忌まわしい思い出晒しやがってと、憤っていた人も一人や二人じゃないかと。読み進めるうちに、触れられたくなかった話も、ここまでやってくれるのかと、ここまで深く掘り下げてもらえて、読んでみればあの時は楽しい時間だったな、と、いつしか、旭山ドライブインの記事のように、本人が更新を待ちわびているという結果に。
松本零士でなく、新谷かおる (「エリア88」の人ですね?)なのがまた……微妙に世代が解る気がします。
宗くん、どーしてるんですかね?
皆さん色々とあるから沈黙さてるけど、結構にコメント主さんの中に本人さんが混じり、
読んだり、そ知らぬ顔をして投稿してる気がするのですよ。うん!!
カイラス様の記事は面白すぎる。
紫陽花の撮影に行って、遅い弁当を食べながら読んでいたらバスに乗り遅れそう。2時間に1本しかないのに!!
まぁ自治体のバスで路肩でサボりてる運転手さんのお陰で帰れましたけど。それくらい
淡々として適度にシニカルで、それでいて消えてゆくメモリーと営みに優しい。
だけど、
他の記事もそうだけど「闇」があるのですね。そこを探偵として解明してゆく。追跡者として闇を追う迫力がある。
「事件記者コルチャック」←古い!!
なわけで夢中になってしまうのですね。
いま色々とうるさい時代ですが、この訪問者数を観ても、契機があれば出版をその気にする実績はあると思うなぁ。
廃道ブログで「山さ行かねが」あるすね。
あっちは探検家で、ヘディンとかアムンゼンとかに近い。「道」に特化して理系的な。
それだけ廃道探検家としては純正なのですが、
「人の人生=ドラマ」ではカイラス様に軍配が上がる。御自分では「後発」と仰るけど、この「独自路線」があるから、これだけ人が来ると思うのです。思索的でもある!
目が離せないです。
一見多用途で良さそうなんですが・・・、オーブントースターの上に目玉焼きを焼くプレートが付いているのを知り合いが持ってますが、洗うのが面倒で焼きも一定していないので、「別々の方が使いやすい」と言ってました。このコンロもどっちつかずだったのかもしれませんが、お爺さはあばたもえくぼで愛着があり、大事に使われていたのかも。
>昭和52年位まで使っていたかと。 シーズン終わると、手入れして箱にしまっていた祖父の賜物です。
この廃屋のも、同時期ぐらいかもしれません。
私が成人しても、車庫の棚に箱に入って埃かぶっていたのを、私も母も記憶していたので、
もしやまだ、、と淡い期待をしてしまいましたが、
理由をつけて溜め込む母でも捨てたそうです。
「よくおじいさん、あんなの遣ってたわよ。
」と母。
私が思う程、あまり使い勝手良くなかったみたいです。
記憶では、祖父が亡くなるまでですから、
昭和52年位まで使っていたかと。
シーズン終わると、手入れして箱にしまっていた祖父の賜物です。
どうも、初めまして。
オカルト的な側面でなく、あの時代に戻るような感じでのぞめば、廃墟にそんなに緊張感も抱かなくなるのかもしれませんよ。
>男性を連れて探索に行きましたが、どれも恐怖感に負け(どちらも)途中でリタイア。
まぁ、心霊の他にも、野生動物や世捨て人といったトラップもありますから。それらが複合的に極度のストレスなんかをもたらすのでしょう。僕は葬式で笑い出すタイプなので、きっと、見方が違うのだと思います。
>このブログは、カイラスさんの不思議な恐怖への感覚の賜物です。貴重な歴史の試料になります。毎日、訪問させていただいています。
最大級の賛辞、ありがとうございます。同じシリーズだけで回すのではなく、これから涼しくもなるので、意欲的に物件訪問に精を出そうかと静かに闘志を燃やしているところです。これからもよろしくお願いします!
このコンロ、そんなメジャー品だったんですね。国家が保証すると表示があるんですが、ただのJIS規格。当時はまだ珍しかったのでしょうか。
>小さな小さな煮炊きコンロですね。 山小屋とかで重宝しそうですが。
災害時に、非難所の体育館とかで役立ちそうな。暖房に料理も出来るなんて。
>現代のカセットコンロと違って、 今なら一人鍋とか出来つつ、体も暖まります。
使い勝手は良さそうですが、灯油というのが今風ではなさそうです。ワンルームとかだと、カーテンとか燃えてしまうし。
>うちには、ビクターの脚付きのステレオがありましたが、レコードをかけるのに蓋を棒でつっかえて支えてた気がします。
居間や応接室に皆持っていたんですね。蓋はオートストップ無しですか。今より普通のおっさんでも、クラッシックを聴く機会も多そう。僕は雑誌のソノシートをよく聴いてました。昭和の居間は、現在より贅沢だったのかもしれないです。
廃墟が大好きですが、女性なので、好きな廃墟になかなか踏み込めず、こちらのブログで疑似体験をしています。
男性を連れて探索に行きましたが、どれも恐怖感に負け(どちらも)途中でリタイア。
このブログは、カイラスさんの不思議な恐怖への感覚の賜物です。貴重な歴史の試料になります。毎日、訪問させていただいています。ありがたいですm(_ _)m
区役所近くで代書屋をやっていた祖父の六畳弱の事務所にポツンとありました。
幼稚園児だった私からすれば、れっきとした
ものでしたが、大人から見れば一人用の
小さな小さな煮炊きコンロですね。
山小屋とかで重宝しそうですが。
よくロートで灯油入れてるのを、見てたのを思い出しました。
現代のカセットコンロと違って、
今なら一人鍋とか出来つつ、体も暖まります。
うちには、ビクターの脚付きのステレオがありましたが、レコードをかけるのに
蓋を棒でつっかえて支えてた気がします。
いはちさんが新谷ファンなら、パクって、いつか直接会った時に渡しても良かったんですが、それは、いけない行為なんでしょうね。慎みます。
>確かにこのステレオは日立のものですね。Lo-Dと言う商品がまだ開発される前の
高級機でしょうね。
客人をもてなすような、高級アイテムですか。気づけば、僕の家に日立製品など一個もありませんでした。移ろってますね。地デジ初対応の東芝HDDレコはいまだ家で現役ですが、それが壊れれば、後はアジアン製品ばかりという・・・。
>天皇陛下夫妻の写真は雑誌か何かの切り抜きでしょうか。初めて見ました。
女性週刊誌でよく皇室特集をするので、そのカラーページを切り抜いたのかも。休日には、玄関に日の丸の旗が風にはためいていた、由緒正しい、一家だったようですね。
この凍結戦線は全く知らなかったです。ってそれでもファンか~。と言われそうですが。
確かにこのステレオは日立のものですね。Lo-Dと言う商品がまだ開発される前の
高級機でしょうね。この頃ステレオを購入できたと思うと良い給料だったのでしょう。
天皇陛下夫妻の写真は雑誌か何かの切り抜きでしょうか。初めて見ました。
僕の家にも確かあったような気がしましたが、そこまで高額製品だったんですね。今じゃ片手に乗ってしかも機能の一部なのに。
>当時親の基本給が数万円だったはずだから、結構な買い物ですよね(笑)
一生ものだ、みたいに身構えて、覚悟して買ったのでしょう。まさか、廃屋に置き去りになるぐらい、商品価値が下がるとは、誰も思わなかったようですね。
そういえば、ゲーリー・グッドリッジの触れ込みは「元アームレスリング世界王者」とかなんかでしたね。あの頃の格闘技熱は、熱かったです。
>僕は総合格闘技でもエンターテイメントを忘れないドンフライが好きでした。
プロレスと総合で魅せる試合が出来る数少ない人。高山と殴り合ってましたね。高山は下半身不随になってしまいましたが。ミルコがPRIDEに引き抜かれて、シウバと対決をした時、初めてWOWOWのペイパービューにお金を払ってまで視聴したんですが、もうそんなこと、二度と無いと思います。曙とボビー・オロゴンが対決したあたりから、世間も急に格闘技熱が醒めていったような。
>魂の字もアントニオ猪木の闘魂を彷彿させてくれますね。
その発想は無かったです。ムネ君もどこかで、闘魂を燃やし続けていて欲しいものです。
僕は総合格闘技でもエンターテイメントを忘れないドンフライが好きでした。
魂の字もアントニオ猪木の闘魂を彷彿させてくれますね。
家にもこんなステレオありました。値段も覚えてます。129800円日立のステレオでした。
当時親の基本給が数万円だったはずだから、結構な買い物ですよね(笑)