奥多摩の寮-55
 北品川といえば、東海道五十三次の第一の宿場町「品川宿」があったエリア。一度行ったことがあるが、昔を偲ばせる旧街道は道幅が今ではとても狭く感じられ、道路沿いには古くからのこじんまりとした商店が、虫食い状態で不規則に間を置きながらも、道の両側にのんびりと軒を並べているのが、都下から来た僕には新鮮な驚きがあった。『近代的なオフィスビルだけかと思ったら、ここが品川なの!?』と。

 はじめて行かれる方は、その歴史的な佇まいを残す宿場町風情に、きっと僕同様に驚嘆の声をあげられるに違いない。

 エロ本寮没落の歴史を紐解くうえで欠かせない、フォトアルバムの横にさりげなく置いてあった、この一枚の手ぬぐいタオル。

 北品川の旧街道沿いにある、おそらく老舗の米屋と、奥多摩の山奥にある、廃墟に姿を窶した寮との関係は何かあるのだろうか。

 この場でうんうんと考え込んでみたが、何に一つ答えを見つけ出すことはできなかった。


 引き続き、葬り去られたはずのエロ本寮の負の歴史部分を、闇に手を突っ込んでまさぐり出してみることに精力を傾けてみようと試みる   



奥多摩の寮-48
 やすこ

みちこ

 畑山さん

この日の朝弘君と
たかし君がやって
きた


 ここでもまた、暴力家族に無理に連れて来られて、監禁でもされているような、怯えながら、眼力で助けを求めているように力のない表情をみせる、畑山さん。

 前の晩は元気だったみちこちゃんは、畑山さんとの軋轢が表面化してきたのか、顔さえまともにあげようとしない様子。

 食卓には、欧米か!とでも言いたくなる、1リットルのパック牛乳直置きに、六枚切りの食パンが一人二枚ずつ。

 ちなみに、僕の朝食は八枚切りのトースト二枚とコーヒーぐらいなので、育ち盛りの女子中学生(おおおよそ)とはいえ、かなり食べるなという印象を持った。

 外はまだ真っ暗なので、早起きして、皆で出かける予定なのだろう。



奥多摩の寮-49
近くのつり橋で


  とし君
淳君
 畑山さん
 みちこ


 悩みの一つもなさそうで、陽気なとし君と淳君が遠慮をして一歩引いた後方で和み微笑む前で、ますます表情が曇る、畑山さん。彼女に引き摺られているのか、それとも、せっかく我が家に招待をして出来る限りの最大限のおもてなしをしているというのに、あからさまな嫌悪感を示す畑山さんを横に『なんだっていうの、タダ飯食うだけ食って、こんなんじゃなかった田舎生活から早よ逃げ出したいってか!?」と、文句の一つでもぶつけてやろうかと、やりきれない思いでいる、今にも不満が爆発しそうな只ならぬ気配の、みちこちゃん。実際どうであれ、二人の仲は急激に前の晩から冷え込んだとみるのは、大きくは間違ってはいないような気がする   

 この吊橋、ここへ来る途中に車窓から見たが、鮮やかなスカイブルーのペイントは悲しく色褪せ、錆によりいたるところ塗装面が剥離をし、露出した下地が赤錆となりそれが橋全体にびっしりと斑に蔓延っていた。

 奥の木々は乱雑に交じり揺らいで垂れ下がり、この橋は、廃村へ通じる唯一の橋であるかのような、激流の上の谷あいに架かる、よれた一筋の通路として奥の異世界へと招き寄せられるような薄気味悪さを漂わせているようであった   



奥多摩の寮-50
これからバスに
のってダム へ
行くところ


畑山 やすこ

みちこ 洋子

とし 淳

弘 たかし


 浮かない女子二人に、他はダムへの期待に胸膨らませる、家族と親戚筋か。写真を撮らされているのは、焼きそばを乞食喰いしていた、あのお父さんだろう。



奥多摩の寮-51
みちこと畑山さん
 ダムで


 OLの傷心旅行の貫禄さえある、二人。

 ソフトクリームではなく、店先のアイスの冷蔵庫に入って売っている、メーカーの既成品の当時なら100円もしないアイスを舐める。

 注目して欲しいのが、下の二枚の写真。テレビに、背後の窓の形に、テレビが鎮座する、据え付けの棚。小さな襖戸。



奥多摩の寮-61
 あれから、何一つ変わっていなかったということなのだろうか   

 僕は、一家と招待客がわいわいと食卓を囲んでいた場は、今は寝具などが備え付けてある畳の間かとばかり思っていたが、どうやら、その数十年後、エロ本で溢れかえる、大型座卓に、テレビの下の襖戸からも、ぎっしりと詰まった、膨大な蔵書のエロ本、

 まさに、僕が今たたずむこの場所だったのだ。


 寮の歴史を語るフォトアルバムを最後まで見届けてから、その後、同行者のSさんが”とり憑かれた”と大騒ぎをする結果にもなった、ある場所への探索を、開始することとなった   




つづく…

「畑山さんの視線の先・・・」森の奥の、廃墟エロ本寮.6

こんな記事も読まれています