想いを重ねるほど胸掻きむしられるほどに愛しい、雲の上の天使のような憧れのスーパーアイドル「南野陽子」と、眠りに落ちるまでのひと時、そして、夢空間でさえ、一緒にいられたらどんなに幸せかと、決して裕福でなかっただろう家のなけなしのお小遣いから工面した僅かばかりの硬貨を汗混じりに固く握りしめて、一時の恥を忍び、女子小中学生が群がる地元の半分自宅のような侘しいファンシーショップで買い求めた、まるで話しかけてくれているようであり、荒んだ心を癒やして包み込んでくれるような彼女の極上の笑顔がたまらないポスターを、仰臥の状態からお互いに”しっとり”と見つめあえるようにと、恥も外聞もなく、枕元の真上の天井に堂々と貼り付けた、思春期真っ盛りの部屋主の少年。
その南野陽子のポスターも、今では、内地から来た飛び込みの廃屋好き侵入者の僕を、まるで敬礼をしてお出迎えでもしてくれているような、湿気によりベロンと剥がれ落ちて垂れ下がり、僕と向き合って微笑んで、僕がそっとまぶたを閉じ爪先立ちをしようものなら、キスも届こうかという位置に、その姿を留めていたのであった。
気になっていた下駄のお土産品は、狩勝峠でのもの。「643M」との表記がある。
通行手形だったり、義経と弁慶が対決をした五条大橋の記念品ならまだしも、狩勝峠で下駄の意味がまるでよくわからない。部屋の目立つ所にぶら下げるぐらい本人が気に入っていたのなら、僕が文句を言う筋合いはないのだろうけど。
一番左は、今は亡き「本田美奈子」さん。申し訳程度ではあったが、しめやかに、軽く黙礼をすることを忘れなかった、腐ってもアイドルファン歴の結構長い、僕であった。本田美奈子さんのファンではなかったですが。
北の大地の僻地の廃屋の二階でいい年をした大の大人がたったひとりで、何をやっているのかと、情けなくもなり、目頭も若干潤まずにはいられなかった。この顛末をブログで発表することが決まっていたなら、大げさに言えば、これは仕事なんだとまだ割り切れるが、この当時は個人の完全な趣味としてやっていたので、これだと、田舎町で不法侵入を犯して、廃屋の二階の女性アイドルピンナップの前でただ泣いている、気味の悪いおっさんでしかない。確固とした目的意識が芽生えた現在、その発表の場を築くことのできた今、本当に、良かったな、おまえ、救われたな、と、ひしひしと胸に迫ってくるものを感じずにはいられない、今
人気が下降していく時に、何を思ったか、ロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成。アイドルとして同時期ぐらいにデビューをした菊池桃子の「ラ・ムー」に触発されてしまったのだろうか。勿論、本人ではなく、社長やプロデューサーが。本田美奈子は歌も踊りも上手ではあったが、唐突にロックバンドといわれても、会社からやらされてる感が強いのは否めなく、何かのメッセージ性があるわけでもなく、従来からのファンには引くに引かれ、菊池桃子同様、後年、語られること無い、封印された歴史となってしまった。
本田美奈子の横が西村知美。現在、この並びの中では一番の成功者でしょう。中山美穂に、吹けもしないサクソフォンを手にポーズをとる荻野目洋子。わらべのポスターは見切れではなくピンで、萩本かなえこと「倉沢淳美」だった。
今でも週刊プレイボーイは、アイドルから言わせるとグラビア仕事の最高峰のようなので、この山をみただけでも、どれだけ彼がアイドル道に傾倒をしていたかがよくうかがわれる。
性欲を単純に一次的に処理をするエロ本を選んだのでは無かった。青春を捧げた、グラビアページ、可愛いという憧憬の念と神聖さを併せ持つ美意識、甘酸っぱい憧れと夢で満たされた希望が入り混じった、純粋なアイドル道への耽美。
中頃にある中途半端な内容の政治記事などには目もくれず、ただひたすらに、こんな眩しいクラスメートが横にいてくれたなら、どんなにか俺、頑張れることかと、文字通り擦り切れるまで、グラビアページに目を通し、時には、二流タレントのヌードページに浮気をしながらも、やっぱりこの天使のような笑顔よ、ヌードなんかやるのは、所詮ちょいブス年増の無名タレント、つまるところ、顔と性格と新鮮さなんだよと、人気という"箔"も絶対に必要、同程度の若干ブス気味なのが二人いたら、誰でも、おニャン子クラブ所属の方を選ぶだろ? 人気アイドルのページに戻っては、東京で就職をして、アイドルと絶対つきあうよ、いや、マネージャーでもいい。CMのスポンサーの広報部に入って、俺が選ぶ方になったろか・・・
注意深く見てみたところ、帯状の、二股のアンテナのようなものが柱を這っていた。東京のラジオ局が発する、アイドルの深夜放送ラジオ、愛しのアイドルの甘い囁きを、何よりも楽しみにしていたに違いなかったことだろう。
彼のベッドの枕元に視線をやると、これまた、筆舌に尽くしがたい奇妙な光景が辺り一帯にひろがっていたのであった
つづく…
「20年間アイドル少年」廃屋、80'sアイドルファンの館.5
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コメント
コメント一覧 (8)
西日本の田舎者さん
どうも、こんばんは。
アイドル時代の南野陽子さん、本当に可愛かったです。西日本の田舎者さんは西日本に住んでいると思いますが、南野さんも神戸の名門女子校出身で気品があって奥ゆかしくて泥臭い他のアイドルとは一線を画してました。
>思わず心を奪われてしまいました。
その気持わかります。顔も髪型も今でも通用するような綺麗さですよね。当時のアイドルの髪型はやたらセットしたヘルメットみたいなのが多いんですが、南野さんはナチュラルなロング。現代でも違和感無いです。
>30年前の青年も、彼女に対して映画を見ている時の私と同じような感情
西日本の田舎者さんは何十年もの後の未来から。彼は何百キロも向こうの北の地から。届かないという点で共通した感情があるのかもしれません。
>遠い過去の時代を生きた人々の文化や生々しい感情を知る
壁の落書き一つからも知ることが出来ますね。そこにフォーカスすることが大事なので、見逃さないようにしたいです。
>カイラス様のブログ等を読ませていただき学んでいきたい
身に余るご光栄の言葉、ありがとうございます。ご期待に添えるよう精進したいと思います。
拙い文章になりますが、この記事を読んで思うところがあったのでコメントさせていただきます。
私はとある機会から、先日「スケバン刑事」の劇場版を視聴しました。
この映画が公開されたのは私の生まれる10年近く前なのですが、主演の南野陽子女史のあまりの可憐さ、美しさ、優しい歌声に思わず心を奪われてしまいました。
そして、朽ち果てたこの家に住んでいた30年前の青年も、彼女に対して映画を見ている時の私と同じような感情を持っていたのだろうと感じてしんみりとした気分になりました。
遠い過去の時代を生きた人々の文化や生々しい感情を知ることができるというカイラス様の記事の価値の高さを改めて感じた体験でした。
過去の文化や人々の生き様にはとても関心をもっているので、これからもカイラス様のブログ等を読ませていただき学んでいきたいと思っている所存です。
森蘭丸さん
パッセンジャー、ギクリとしました。そんなはずはないのに。つい最近みた「パッセンジャー」はジェニファー・ローレンス主演のSF映画でした。
>休みの間に本田美奈子ミュージアムにでも行ってこようかと考えている蘭丸でした。
そこまで熱心なファンですか。本田美奈子のミュージアム、あったんですね。体が物凄く細かったので、衣装とか驚きを与えてくれそうです。
こちらでもお邪魔させていただきます。
いはち殿その映画は「パッセンジャー」かと本人が歌手の妹役でしたよね。
人気が下降していく時に云々、「ちっ。」と舌打ちしつつも本当の事なので反論できない蘭丸。
「キョーコさんの日記」を見る前であったら二度と訪問しなかったであろう。
休みの間に本田美奈子ミュージアムにでも行ってこようかと考えている蘭丸でした。
よって評価は星二つ。
本田美奈子は歌が超絶うまくて良曲も多いので、聴き応えがあることでしょう。僕は結構下手な人も好きだったので、他人が車に乗っている時などは、恥ずかしくて聴けないです。『ひでえ歌だな・・・』とか思われそうで。
>彼女はそういえば三田村邦彦の出ていた映画に出ていた様な気がします。バイクのレースを する映画でした。渋谷までわざわざ見に行きましたよ・
その映画は全く記憶にないです。三田村邦彦のライダーって、無理がありますね。当時なら様になってたのかな。ロックバンドが失敗をし、事務所に秘密でミス・サイゴンのオーデションを受けて、主役を勝ち取って、さあ、これから、という時期におなくなりになってしまいましたね。御本人、無念だったことでかと。
>良く見ると画鋲でポスターが止めてありますね。私は気が小さいので画鋲が落ちて 踏みつける事を恐れ、セロテープで両面テープを造って貼っていました。
僕もやってました。セロテープの粘着面を表にしてぐるりと輪っか状にしてお手製両面テープ、今思うと、泣けます。
>その後ワッポンなるものが出て来て、
その前に粘着ゴムみたいなのがあったんですが、今、見かけませんね。すぐ干からびて剥がれてしまうのは、当時から目に見えていましたから。
>私が奥尻を旅した時に実物大の下駄に「奥尻」と書かれた履けない下駄が売っていましたよ。
奥尻とも一切関係ないような。郷愁を呼び覚ますという物でもないし、雪の北海道には馴染み深いとはいえないし、謎のお土産品ですね。お婆ちゃんあたりぐらいしか買わないような気がします。彼もお婆ちゃんに貰ったのかも。それで置いていったとか。
今で言えば、乃木坂46から、安室奈美恵まで。感受性の一番高い時期であり、胸が疼いてしょうがなかったんでしょう。
>⚪⚪親衛隊、⚪⚪命みたいな刺繍をハッピの背中に入れて。
ありました。市民公会堂とかでの公開放送も多く、統率のとれた怖そうな人達がだみ声で吠えてましたね。彼の住む地域ではアイドルを間近でみられるような機会もまずなく、グラビアカラーページだけが、唯一の交流の場のようなものだったのかと。
>ここの住人は、アイドル雑誌にお金かけるだけで、レコードなどは買わなかったのでしょうか。 田舎のポツンと一軒家だと レコード買いに行くにも、1日イベントですね。
前に北海道で、田舎の個人でやっているCDショップに入ったら、店頭にはお婆さんが一人でいて、入るなり険しい顔つきで、やたら身元とかを訊かれました。よそ者が来る店では無かったので、「強盗かと思った」とのこと。来る客も限られているようです。
>今思えば中森明菜は、肩出しの衣装くらいで、水着を見たことがなかったです。
中森明菜はアイドルっぽかったのはごく初期だけで、後は風格が増していきましたね。アーティストという呼び方が相応しかったです。近藤真彦と破局直後ぐらいにザ・ベストテンでそのマッチと鉢合わせになってましたが、番組中終始凄みのある厳しい顔をして歌声も威圧するように殺気立ってました。しかも衣装がどいうわけかアピールするようなノーブラ。司会のTBSのアナが『どういうこと!?』とポカンとしていたのを、今でも覚えています。あれからおかしくなってしまったような。
> 全盛期だった頃とは大違いで、 衰退期はガリガリで歯だけむき出しで 可哀想でしたけど。
今もたまにテレビでみますが、不安定そうです。あの声量が今も出るなら、復活して欲しいものです。
彼女はそういえば三田村邦彦の出ていた映画に出ていた様な気がします。バイクのレースを
する映画でした。渋谷までわざわざ見に行きましたよ・
良く見ると画鋲でポスターが止めてありますね。私は気が小さいので画鋲が落ちて
踏みつける事を恐れ、セロテープで両面テープを造って貼っていました。当時は両面テープなんて
無かったかも。その後ワッポンなるものが出て来て、「子供の頃にあったら・・」と
思いました。
下駄のお土産は当時北海道で流行っていたのでしょうか?
私が奥尻を旅した時に実物大の下駄に「奥尻」と書かれた履けない下駄が売っていましたよ。
当時、歌番組の観客席には、同じ色の丈長のハッピにハチマキにメガホンの男子が、
歌に合わせてかけ声してましたね。
⚪⚪親衛隊、⚪⚪命みたいな刺繍をハッピの背中に入れて。
ここの住人は、アイドル雑誌にお金かけるだけで、レコードなどは買わなかったのでしょうか。
田舎のポツンと一軒家だと
レコード買いに行くにも、1日イベントですね。
今思えば中森明菜は、肩出しの衣装くらいで、水着を見たことがなかったです。
全盛期だった頃とは大違いで、
衰退期はガリガリで歯だけむき出しで
可哀想でしたけど。