鴻之舞-132
 北海道、オホーツク海に面する紋別、そこから山に入った鴻之舞といえば、かつては金鉱山の町として栄えていた。しかし、1973年、金価格の下落や資源の枯渇により鉱山は閉鎖。往時には一万人以上の人口を誇った鴻之舞の町は今は見る影も無く、ゴーストタウンという夢の跡どころか、一見すると、丘がピンクで染まる芝桜で有名な「滝上町」から、スイッチバック駅で知られる石北本線「遠軽駅」がある遠軽まで行く際に通過する、思わず息を止めてしまうような、ただ侘しい、殺伐とした殺風景な森の続く山の中の通り道でしかなくなっているのが、現在の鴻之舞の姿である。

 前回、鴻之舞の訪問時に、まるで仲間を引き連れて練り歩くようにして、その夢の在り処を探し求めて、勇敢に森の中を彷徨った記録を、ブログに掲載をし、大きな反響をもらったことは、まだ記憶に新しいところだろうか。

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 紋別は冬なら流氷観光があるが、それ以外の時に来ても、何かこう特別な見所があるというわけでもない。

 僕はまだ雪降る前の紋別に来た時には、森に眠るゴーストタウンで往時の面影に浸りきる探索をしようと、もう幾度となく、鴻之舞には足を運んでいる。

 まだネットが普及する前からだったので、鴻之舞の森の中の何処に何があるとか、知っていたわけでは無かった。まるっきりの当てずっぽう。

 廃校の小学校の存在は知っていたから、そこは行くたびに訪れていたが、いつの頃か、その校舎は取り壊されてしまっていた。

 それでも僕が鴻之舞に足繁く通っていたのには、前述の通り、広大な森の中の失われた町を探し歩く、胸がゾクゾクするような探索気分を味わえるということもあるが、もう一つ理由がある。

 僕だけの廃墟「週刊ベースボールハウス」を毎回訪ね、そこに行っては「今回もまた、変わっていないな・・・」と違わないことを確認し、廃屋内に山のように積まれた、姿形文字通り、山のように降り積もったかのような、膨大にある古雑誌の中から、二冊ぐらい毎度拝借をしては、その廃屋を後にしていたのだ。道の駅などで休憩をする際、その雑誌はいい暇つぶしになったのである。

 バイパスを飛ばすような感じで疾走して行く車が時々通過する程度の鴻之舞のひっそりとした道。

 道路脇に続く森。その森の合間に草むらがあって、車で奥に行けそうだからある時、行ってみることにした。ずんずん車で奥に行くと、一軒の廃屋に辿り着く。車を廃屋に横付けした。

 赤い屋根に灰色に乾燥した木材の納屋だろうか。家にしたら粗末かもしれないが、家族四人ぐらいならじゅうぶん住めそうな大きさではあった。

 無施錠。ドア下部の鋼の板の縁が多少引っかかったが、ドアは容易く開いた。

 中に入ると右に台所があった。床は全面が土間のようになっている。部屋内全ての物が取り払われていて空っぽ、空洞に近かったが、台所の流しの前に、大雪山のような、天井に届かんばかりの、大きなピラミッドのような山が聳えていたのである。ピラミッドのように規則性のある山ではない。無秩序で折り重なり尖った山。

 その山を形成するのは全て「週刊ベースボール」だった。数百冊はあっただろう。
 

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昭和39年6月22日号 捨ててあったも同然なので、状態は悪い。


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昭和34年4月13日号 今だったら、大谷とマー君?


 いやよく見ると、「週刊読売スポーツ」なんていうのもあるが、どれも野球雑誌には違いなく、元住人が、無類の野球好きだったか、当時としては、ここまで揃えるのはともかく、野球好きは普通の趣味であったのは確かなのだろう。僕はある時、突然野球から興味を失い、今に至っているけれど。

 写真製版技術の未発達だった頃であるのか、ノムさんこと、野村元監督のリアルな絵の表紙の雑誌もあれば、現役時代の王選手の一本足打法が写真の表紙の雑誌もあった。

 東京から遠隔地の最果ての流氷の街、紋別、鴻之舞、山の森の中の僕だけが知る、廃屋、昭和30年頃のものと思われる大量の雑誌。

 ちなみに、前回の記事には、このことには触れていない。それは、まだ僕という人間がじゅうぶん読み手に理解されていない段階で、こんな心ない借りパクを公表したら、非難を浴びるであろうことは、必至だったからである。いや、今でも叱責を受けるようなことではあるが、当時はまだアクセス数が日に300とかそんなものであり、そんな心もとない中で、我が身、我が全行動を晒してまで、正直に詳らかに公表をする勇気なんてまるで無かった。今なら、許されはしないが、同情を寄せてくれる人が少ならからず、いるかもしれないと思ったからである。

 そんなこともあり、紋別の鴻之舞を訪れては、「廃屋、週刊ベースボールハウス」へ寄り、二冊ほどの雑誌をパクってくるということを繰り返していたのだが、今回、いつもの山の頂きに、見慣れない雑誌が置いてあったのを目にする。「少年ブック」や「少年クラブ」といったえらく古い少年漫画雑誌に、「少年マガジン」もあった。少年マガジンは今の半分ぐらいの薄さで、やはり相当前のもののようだった。

「えっ、誰か僕以外にもここに出入りしているとか!? まさか、あぁ、気持ち悪い!」

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巻頭カラーページが、戦記物や空想科学イラストで有名な小松崎茂先生による、YS11のイラスト。「1963年おめでとう!!」とあるので、昭和38年の「少年画報」新年号だろう。


 とんだ異常者がこの鴻之舞の山の中にいるのかなと、今も見張られていたりしていやしないかと、思わず、辺りに視線を振り向ける。

『もしかしたら・・・・・・』

 天井を見ると、内張りが所々剥がれて、小さい幕のようなって何箇所かにぶら下がっていた。

 舌のように垂れ下がる内張りとその中は暗くてよく見えないが、もしかしたらその中は二階に繋がっているのかも。

 そう、この雑誌の山は、初めから一階に捨てられていたのではなく、二階に溜め込んであった大量の蔵書が、その重みで床を破壊しやがて一階の天井にまで亀裂を発生させ、数十年の歳月をかけて、ポトリ、ポトリと、巨大な雑誌の山を、一階の土間の上に、築いていったのではないだろうか。

 入ってすぐ左に小さな木製の階段があったから、二階の存在は知っていたが、その階段は二階へ行かせないためなのだろうか真意は当然ながら不明だが、途中でもぎ取られていたのだ。ちょうど僕の首のあたりの高さで。

 ぶった切られたその階段に掴まってぶら下がり、足で壁を蹴るようにして、腕の力で登っていけば、二階へは行けそうだった。以前は廃屋マニアでもなかったので、そこまでの必要性は感じられず、やる意味も見い出せなかったが、これらの漫画雑誌を見た今、これは行ってみなければ、と、燃え盛るような勢いで、使命感に火がついてしまったようなのだ。



鴻之舞-6
 鴻之舞再訪の理由はもう一つある。

 何の気なしに古いツーリングマップルの北海道編をみていたところ、カラー写真ページに、鴻之舞の文字があり、そこには、見たこともないような(鴻之舞で)巨大な建造物の写真が掲載されていたのだ。

 説明には、「変電所」とあっただろうか。さんざん鴻之舞には行っていたというのに、僕だけの秘密の廃屋なんていうのも見つけていたりしたけれど、こんな大型物件が、まだ隠されていたなんて、僕は心の奥底から唸らざるを得なかった。鴻之舞よ、おまえはこんなにもまだ僕を楽しませてくれるのかと。



鴻之舞-1
 これは前回の鴻之舞訪問の際にも訪れた、「週刊ベースボールハウス」とはまた別の廃屋である。

 玄関付近にあったダンボール箱内の「ピンクパンサー」のぬいぐるみは、変わらずそこにあった。



鴻之舞-2
 僕ぐらいしか来ないとはいえ、このカレンダーが捲られていたら怖い。

 これもそのままだった。



鴻之舞-3
 今回、新たに発見することの出来た、ポスター。

 それにしても、見事なまでのシンメトリー。

 芦別レジャーランド。台湾の民族舞踊&アクロバットショー。

 今も台湾の親子代々元気にやっていそうです。



鴻之舞-8
 「廃屋、週刊ベースボールハウス」の二階へと、状況証拠から推測するに、約六十年ぶりだろうか、人がその部屋に侵入をするのは。


 僕はその二階にて、途方もない時空を越えた部屋を目の当たりにすることになる   
 



つづく… 

「廃墟の森巡り」再訪、金鉱山ゴーストタウン&週刊ベースボールハウス.2

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