相模湖-71
 眼力で燃やそうと試みているんじゃないかというぐらい、母屋の前の枯れ草を長いこと見つめていたSさんは、観念をしたのか、同意であるものの、半ば強制的に同行を仕向けられているような二階への探索に向うべく、しぶしぶながらも、ついにその重い腰を上げることになった。

 そして、彼は黙ったまま僕に軽く一礼をした。

 僕の思惑通りに事は運んだが、階段の一部が抜け落ちていただけで「危険なので帰らせてもらいます」なんて言われたら、僕はすぐさま鬼の形相で「だったら、一人で帰れよ!」と彼を怒鳴り飛ばしていたことだろう。

「あーそうですが、では」と、彼がもし白いアクアに乗って峠を降りていったら、取り残されるのは僕ただひとりになってしまう。

 短い間ながらも、信頼関係はそこそこ築けていたので、そうならないことはある程度織り込み済みであった。

 お互いじゅうぶん納得のうえで、一部が損壊をした階段越えに挑むことになったのだ。
 


相模湖-152
 まず石段があり、途中から鉄製の階段になっている。その鉄階段の中腹部分が抜け落ちている。成人男子の大股以上の間隔はあるだろうか。

 やおら僕は、山側に生えている蔓を一本、右手に掴んだ。右手の上に左手を添える。蔓は40cmぐらいのロープの代わりにはなるだろう。

 階段の欠損部分を乗り越えるために、蔓をしっかり両手で掴んだまま、右足で鉄階段の破断面を蹴った。体は山肌と向き合ったまま平行移動をして二階玄関前まで振り子のように揺り動いた。

 そこで僕はすかさず二階玄関前にアンカーを打ち込むように、左足の爪先を玄関前に引っ掛けた。左足の爪先でしばらく体重を支えている状態になった。半宙ぶらりん状態。バンザイをした両手はまだ蔓を掴んだまま。心の動揺を鎮めるまで、三秒間ぐらいそのままになっていただろうか。

 それから左足の親指側面の一点だけに力を集めて接地面を擦るようにして、体を引き寄せる、と同時に、右手を蔓から離した。両足の爪先が無事二階玄関前に乗り、裏返しのフォークで肉を刺すような格好になる。まだ左手でロープを頼りながら、二の足をグイと曲げて上体も引き寄せて屈伸してしゃがみ込んだ形になった。もう、左手のロープは必要なくなったので離す。見事、二階玄関前に到達を果たしたのだった。



相模湖-150
 Sさんも僕に続く。手本を示したのだから、説明しなくても見よう見まねで出来なくては、足手まといでしかない。

 冗談混じりに、幅跳びみたいに飛ぼうか、なんていう意見も出たが、着地地点がこれなのだから、やったらきっと、底が抜けて落ちていたことだろう。



相模湖-153
 一家が住んでいた住居の玄関。

 庶民的な下駄箱がある。



相模湖-147
 下駄箱の頭上には、田舎のスナックにありそうなオレンジ色をした傘の照明。

 女将の趣味だろうか。



相模湖-148
 下駄箱の上には、デパートの靴売り場のディスプレイのような、ガラス製の陳列棚があった。

 峠のお宿に似つかわしくない、ヒールの高い靴ばかり。

 末期には、水商売のパートでもやっていたのか。



相模湖-140
 赤の細かいタイルの壁の浴室が見える。浴室の床には一見して女性の長い髪の毛のようなものが。

「剃毛した女性の遺体が浴槽に浸かってるとかないですよね?」

 ロープ飛び越え着地でつい今しがたまで顔面蒼白だったSさんが口を滑らす。でもそれがあってもおかしくないのがこの廃墟の世界だ。特に僕はメジャーどころではなく、草の根廃墟訪問を主としているので、訪問者がわりかし少ない現場ということもあり、定住者には都合が良く、隠匿者にも時間稼ぎになって好都合というわけで、遺体発見のリスクは格段に高いと言えるだろう。



相模湖-141
 床の黒いのはゴムか何かのようだった。

 浴槽は空っぽ。



相模湖-142
 角質取りの軽石にカミソリ。シャンプーに石鹸。生活臭が今もそのまま漂い続けている。

 浴室の壁のピンク色に、玄関の妖しいオレンジ照明、パンプス陳列棚といい、女性上位の一家であったことが窺われる。


 しばらく食事は遠慮したくなるようなトイレを見た後は、弟さんの部屋にお邪魔することになった   




つづく…

「夫婦の部屋」廃墟、家族崩壊のお宿.9

こんな記事も読まれています