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 老人性色素斑のようなシミが所々表面に浮き出ている、ゆったりとだが着実に荒廃が進行する「みとうさんぐち」駅舎。

 そう置き換えると、老いた歯のように、色素沈着をして、カルシウムやカリウムなどが溶け出して、気泡のような穿孔が目立ち空洞化をし、脆くなりぶら下がり出すのや、とっくに抜け落ちているのさえある。

 玄関にただ立ち塞がるのみという形骸化した抜け殻のような木製ドアの設えられた正面口より、外へ踏み出した。

 森のしじまをかき乱すのは、僕の枯れ葉を踏む乾いた音だけであった。



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 塗料は色褪せてそのままだと判読は難しかったが、元データの画像を拡大するなどして判明したところによると、

「屋上展望台登り口」だった。

 それならばと、やましさもなく、まだしっかりと強度が保たれている鉄製の階段を登って行ってみることにした。



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 僕の荒んだ心の中を映し出したような風景がひろがる。

 ここ数ヶ月、本業を控え目にして、ブログ収入だけで暮らしていけないもんかなと、試行中なのであったが、それにはまだ若干厳しいというのが偽らざる本音といったところだろうか。いや、若干でもないか。

 おかげで、生活費をとことん抑制するところまで追い込められて、千円カットの床屋に行くのも伸ばし伸ばし躊躇するまでになってしまった。

 食費は問題ない。自炊をしているので、安価で健康的な食事に満足をしている。

 野菜を多く摂って栄養面には人一倍気づかっているので、極端に痩せてもいなければ、太ってもいない。中肉中背。ここ十五年ぐらい、風もひいいたことがないぐらい。

 今の段階で、本気でブログ収入だけで生活をしようとすると、一番困るのは、遠出が出来なくなってしまうことであった。

 北海道なんか昔の三倍ぐらいの遠い距離に感じてしまう。

 旅行しながらのこの廃墟ブログに金欠は致命的で、遠征が出来なくなってしまった。廃村に行きたいと思っても、大概は遠隔地(といっても関東だが)なので、じっと我を押し殺し、耐え忍ぶしかないのが現状なのだ。

 おかげで訪問場所は都内の街中や、行っても東京の縁の境目あたりばかり。

 お散歩という、コンセプトに見合っているといえば、その通りになっているわけであるが、金銭的に余裕が無くなっていくということは、それはまるで、眼前の荒れ果てた風景のように、心に荒廃をもたらし、目の色も心なしか灰色がかってしまってきているようなのである。

 無理しないで、ブログ収入だけの生活を改めれば解決する問題だが、複雑な思いが交錯する。最近では、ブログ以外で働いて稼ぐのは、逃げなのではという気さえしてきた。

 キックスケーターで世界一周をしながらブログを書いた人のブログが面白くて、アクセス数がうなぎのぼり、というわけにはならないのが、この物書きブログの世界なのである。

 廃墟探索も同じ。「俺だけの秘密の場所、見つけたでーー!」と力んでも、そこへ行って、彼の視点、切り口、などが面白いと言えるのか。広角レンズで下から煽っただけの、他と同じような写真ばかりではないのか。被せる言葉が読む人の胸をうつのか。大抵、・・・いい感じとか、趣がある・・・とか、神ですねぇ、など、どんな風に神なのか、その説明が無いものばかり。かくいう僕も、よっぽど言葉が見当たらない時は、「趣のある・・・」とついやりがちだ。

 ナルシスト的な数行ポエムも、刹那的な読み流しのインスタやツイッターなら、メッキが剥がれず、底が割れず底を知られずに、一定の評価をされるのかもしれないが、ブログだと、読み込まれるのが前提なので、すぐ見透かされて飽きられて、次のアクセスは絶望となるだろう。

 僕のブログには有名どころのスポットはそう多く無いなりに、工夫をしてこそ、求められるものがあるわけで、金をかけられないなりに、その狭い所を突いていくしかないと思っている。



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 心象風景とは、心の中に描かれる、現実ではありえないような風景のことであるが、まさにこの屋上のことだと、今の僕の心が訴えかけているようなのであった。
 


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 くねった幹。

 先日歩いた明大前の入り組んだ路地裏を思い出した。

 昔、280円の定食を出していた店はまだ現存していたが、その激安定食は姿を消し、生姜焼き定食などの定番メニューなどがそれでも501円という破格値で提供されていた。

 501円を我慢するほど懐具合が寂しかったわけではなかったが、カラカラに渇いた心は、必要以上に守れ守れと耳元で囁き、501円の定食さえ無駄な出費であると、僕に店の敷居を跨ぐことを咎めさせたのである。



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 円形の遺構がうっすらと確認できる。噴水でもあったのだろうか。



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 狭い一角を残し、山との境界線が曖昧に。



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 定点カメラで長期撮影をしたら面白そうだ。



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 自分を見つめ直すまたとない機会を得た、屋上展望台を見終える。

 階段を降りて行く。



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 道路から一歩を踏み出す勇気があれば、この異世界ぶりを堪能できるでしょう。



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 日も暮れようとしているので、そろそろ山を降りようかと、Sさんに告げる。



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 乱されに乱されていた、廃墟ロープウェイ   



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 報道でご存知の方も多いかもしれないが、この落書きをした「八木原光」容疑者は、群馬県伊勢崎市にある橋にスプレーで落書きをした疑いで逮捕された。

 彼も、ここまで各所でやっておいて、逃げ切れるとは思っていなかったはず。

 むしろ、名前をあげたぐらいにしか思ってなさそうだ。

 彼に勘違いして欲しくないのは、僕も他の人も同じだろうけど、このお化けの絵はワンポイントになるので、被写体としてたまたま便利に活用させてもらってはいるものの、実際は僕も皆もこんなの屁とも思ってない。

 画力は低いし、オリジナリティも無い。口酸っぱくなるほど言っている通り、メッセージ性が皆無なので、描き手の頭が実に悪そうで、何の感情も抱かないし、何の期待も持てない。

 それを取り違いして、支持されていると思い、リスクを犯しながら各地で落書きを増産しているなら、それは時間の無駄でしかない。

 たくさんの稚拙な落書きの後には、失笑しか残っていないということに、彼は早く気づくべきだろう。


 仮に並行世界があって、僕が自由に街中にグラフィティを描けるとしたら、まず、バナナマン日村が子供の時の貴乃花のモノマネをやっている精巧な似顔絵のステンシルシートを作成する。

 文字列のステンシルシートも。上下に一枚ずつ用意する。

 日村の番組のスポンサーをやっているうちの一社、排ガスの検査データの改ざんばかりしている、○○ルの本社に深夜こっそり行き、壁に、まず、日村の似顔絵(貴乃花)をスプレーする。

 似顔絵の上部に、文字列の一枚目ステンシルシートを置いてスプレーで描く。文字の内容は「○○ルは淫行認定企業です!」

 似顔絵の下にも同様にやる。内容は「あどでぇ~僕ねぇ~16歳をでぇ~」。

 確かに、写真雑誌にあの写真を売った元少女は、お金が目当てで、しかも匿名、欧米で流行っているMeToo運動の趣旨とはかけ離れている。

 でも日村が彼女を16歳の未成年と知りながら、地方ロケの際に呼び出して、都合の良いセックスフレンドとして肉体関係を持っていたのは本人も認めている事実であり、それを、たった一言「すみません」では済むのは間違っている。

 マスコミは大手芸能事務所の圧力に屈して、報道自体をしないのだ。関西の番組では圧力が効かないからやっていたようだが。日本の報道は歪んでいて、官邸の圧力なんかより、大手芸能事務所の方がよっぽど力を持っている。

 ハリウッドでは、三十年以上も前のスキャンダルが蒸し返され、有名大物プロデューサーがその地位を追われたし、俳優でも、ケビン・スペイシー、ウディ・アレンといった大御所俳優達も映画やドラマを次々と降板させられてしまった。

 日本のテレビや芸能マスコミ関係者は自分に壮大なブーメランが返って来るので、日村を謹慎させられないでいる。蔓延しているのだろう。

 日本企業で内部告発をすると、社内で握りつぶされて、告発者が逆に背任容疑をかけられて会社を追われるように、芸能村という村全体で、日村の淫行を隠し通そうとしている。それを許す日村の番組のスポンサーも同罪である。

 そんな許しがたい日村と大手芸能事務所の横暴を、グラフィティで風刺するという、気概が、八木原光容疑者にあれば、一定の支持を集められるのではないかと、僕は考えるのだ。



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 八木原光容疑者に乱されていなかった方の「かわの」駅にて   
 

 
おわり… 

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