44
 彼の写真が欲しい!

 金山君と山角君のも欲しいけど、喉から手が出るほど一番欲しいのは、なんたって、宮脇君の写真だと、キョーコさんは熱い胸の内を日記に打ち明ける。

 女心と秋の空とは、まさしくこのことを言うのだろう。

 半径数十キロ、虫の声と牛の寝息しか聞こえなさそうな、深夜の寝静まった大草原の中の小ぶりな木造一軒家の二階にて、毎夜毎夜、金山君、金山君と、お題目のように唱えて来たが、状況は一変してしまった。

 テレビ画面の中の憧れの人も、思えば唐突だった。

 愛する所ジョージに近づきたいからと、芸人になって、テレビ番組「うわさのチャンネル」の一員に潜り込めないだろうかと、真剣に悩んだ夜もあった。

 その後、独特の芸風に引き寄せられたのか、中学生ながら、タモリが好き過ぎて胸がうずいてしょうがない毎日を送っていたかと思ったら、結局、当時の道民中高生にとっての最大のスーパーアイドル、松山千春に落ち着くことになる。

 現実と画面の中の憧れの人、それぞれ、異端者を愛してきながら、最終的にはまともな現実路線へと帰着する、物は試しと果敢に挑むが、経験を踏んでしっかりと自分にとっての最良の答えを選び出す(世間的にも)、案外、石橋を叩いて渡る、用心深さのある一面を持つ、彼女なのであった。

 そのキョーコさんにとって目下の雲の上の輝ける大スター、松山千春の誕生日の当日に、彼女は、心からのお祝いの言葉を日記の中で長文をもって述べることになる。

 柄にもなく、僕のアイアンハートが締め付けられる。

 日記を執筆していた当時でさえ、彼女の松山千春を祝う声など本人に届くはずがないのに、いたいけな少女が、深夜に眠い目を擦りつつ、松山千春への愛と祝福の言葉を、それから数十年後、日記は廃屋の机の中に捨てられている運命だと知りもせずに、せっせと、愛の言霊を頁に刻み続けるという、そのあまりにも無益と言える行為に、僕がしてやれることは何かないのかと、僕も深夜に一人、自問自答することとなった   



16a
  1978年   12月 1 6 日 (土)  11:52

  今日は . 土曜日 だ っ た 。   けど 勉強 しなか っ た   .
  今日 . 史之舞が  来た .  うるさいや つだ !
 明 日 は  日曜 だ . 勉 強 しょ う .  市 に 行 こ う . . . 。
  明日 は . 勉強 と .  勉強 の 計画 を立 て たいと 思 う .'
  I think    Stud i ng  s ke j u l    勉 強 の 計画  を た て たい .
  * 明日 ・ 市に 行 こう . 行 こ う ・  行 こう . 宮脇君 な に して る か なあ?
  宮脇君 と ・ 金山 君 と ・ 山角君 の 写真が ほ し い なあ ・
  とくに 宮脇君と .金山君  ・  その 中 で も  宮脇 君 .
  で も  ど う したら  手に入れ るこ と が で き るか な あ  .
  手紙 を 出 そうかなあ ・  宮脇 君   .. . . .  か あ ....   。
  今日は ・ 千春 の コ ンサ ー ト が あ っ た ・  で も 私は  見に行け
  なか っ た ・ ・ ・  だ っ て けんだ っ て な い ん だ もん  ・ ・ ・  。
  千春 . ..    今日 は  コ ンサ ー ト の 日 で も あ る し 千春 の 誕生
  日で も あ る .  千春  。  千春 見たか っ た の に . . . .  。 
  千春 . 好き な の に  .  千春 の 顔 と 声を  なまで  見 聞き
  したか っ たの に ・・・ ・。   千春 大好 き 。ほんとうに ....  。 千春 .  ..  . ..
 でも今日 は なにも言わない . だ っ て 今日 は 千春 の 誕 生日 だもん .

土曜だというのに、受験生が勉強をしなかった。そのことを、姉である史之舞に「うるさいやつが来るから勉強もままならない!」とまるで責任転嫁をする、キョーコさん。お構いなしにくっちゃべっていくのだろう。不倫でお見合いに失敗し、しばらく男運に見放されることが濃厚な姉にとって、唯一の楽しみは、妹との週末のお喋りぐらいしかないのだと思われる。
 
> I think    Stud i ng  s ke j u l  

「私は勉強のスケジュールを立てようと思う」を英語で書こうと試みるも、思うようにできなくて、結局、日本語で済ます。scheduleを「skejul」と書いているようでは、英語の得点は期待出来なさそうだ。

>明日 ・ 市に 行 こう . 行 こ う ・  行 こう . 宮脇君 な に して る か なあ?

北の最果て、家の周囲に緑の草原しか視界に入らない土地に住む少女にとって、最大の娯楽が、隣街の市に行って、ウィンドウショッピングをすること。

期待が膨らみ過ぎて、「行こう」を三度も繰り返してしまう。

市に行けば、デパートがあって、最新のファッションが拝める。市に行けば、本屋があって、最新の情報が得られる。市に行けば、ファンシーショップがあって、最先端のキャラクター商品に触れられる。

市に行けば・・・、市に行けば・・・、市に行けば・・・!!!

キョーコさんにとって、隣の大きい市に赴くということは、現代の都民における、ディズニーランドのようなテーマパークへ行くのと同義語だったに違いない。夢を抱合した夢の空間、夢の国。たかだか数十年前、隣の市をまるでおとぎの国として心底楽しむ、慎ましやかな少女が、実在していたとは、純粋無垢な心に  活字を通してだが  触れられることができて、自分の汚れた心が、まるで漂白されて毒素が抜け出していっておろしたてのワイシャツのように眩しい白い輝きを放っているようで、もっとしっかり生きねばと、キョーコさんに見られても恥ずかしくない生き方を送らねばと、自分の今を振り返るきっかけにもなったような気がした。

>宮脇君 と ・ 金山 君 と ・ 山角君 の 写真が ほ し い なあ ・とくに 宮脇君と .金山君  ・  その 中 で も  宮脇 君 . で も  ど う したら  手に入れ るこ と が で き るか な あ

本人達を前にしているわけでもないのに、気を使って、三人の名前を出すが、本当に写真が欲しいのは本命の宮脇君。どこまでも優しくて、たかが写真が欲しいだけで、夢うつつに瞳を輝かせる、控えめな、彼女。

>今日は ・ 千春 の コ ンサ ー ト が あ っ た

松山千春の誕生日であり、地元凱旋のコンサートのあった日。

>で も 私は  見に行け なか っ た ・ ・ ・  だ っ て けんだ っ て な い ん だ もん  ・ ・ ・  。

券を買いに行くことさえできずに、駅の公衆電話の前で泣き崩れた、屈辱的なあの日のことは、一生忘れないことだろう。

>千春 . 好き な の に  .  千春 の 顔 と 声を  なまで  見 聞き したか っ たの に ・・・ ・。

遠くない昔、北の端の大草原の中の小さな家に住む少女が、こんなにも松山千春のことを好きでいたという事実を、僕が掘り起こして、現代に伝えることが出来たという、このことだけでも、この日記連載をやっていて良かったなと心底思える瞬間であると言っても言い過ぎではない。廃墟に眠っていた、ややもすれば、塵と散っていた、小さな小さな、でも、思わず手にとっていつまでも眺めていたいような、宝石のように透き通って綺麗で清純な純度の極めて高い、青春物語。やり遂げるしかないだろうと、決意を新たにする僕なのであった   



16b
 千春 ...   誕生日 おめ で と う 。顔 も ・ 声も  見 る こと も.聞くことも
 で き な か っ た け ど   . ..  千春 を 見 ま も っ て 行きた い .
 い つ か  また来る 日をまって  千春を 見守 っ て 行きたい .
千春 .   顔を 生で 見たか っ た   .  声を生 で 聞 きたか っ た .
 だ っ て 千春を 好きだか ら  .   テレビ で も  見 なか っ た し ..... 。
 せめて  テ レ ビ に出たとき に見てい れば  じ じ ょ う は 変わって
 いたと思 う  .  い ろ い ろと ね  ・  で も  私 が ・ 千春 を好きだ と
 い う こ とは 変 わ ら ない  .  今日 の コ ン サ ー ト 成功 した?
 千春  . 最後に もう一度  .  誕 生 日 お めで ど う. 
 2 3?  2 4?  ど っ ちか に な っ たのよね .
 それで は 千 春 . 宮脇君  .  お や す み  な さ い ね ,

伝わるはずがないのに、こんなにも松山千春の誕生日を自分のことのように、祝う少女がここにいた。

>千春 を 見 ま も っ て 行きた い . い つ か  また来る 日をまって  千春を 見守 っ て 行きたい .

僕もこういう経験がある。アイドルにのめり込み過ぎると、これほどまでに尽くしてあげようという気になってくるものなのである。マスコミに追われたり、ネットで中傷されようものなら、アンチに破滅させられてしまう、俺が全力で守ってあげなければと、労力は惜しまない、ガーディアンエンジェルにでもなったような気がして、身を捧げる覚悟さえ厭わなくなるものなのである。決して誇大な表現ではなく、アイドルとファンの主従関係は、仕える方は危険なぐらいに盲目的になるものだ。

>テ レ ビ に出たとき に見てい れば  じ じ ょ う は 変わって いたと思 う  .  い ろ い ろと ね 

1978年と言えば、松山千春がシングル曲「季節の中で」の大ヒットで全国区の人気者になった年。それまでは控えていたテレビにも出るようになった。松山千春の数少ないテレビ出演を見逃して、喪失感も大きかったのだと思う。

>今日 の コ ン サ ー ト 成功 した? 千春  . 最後に もう一度  .  誕 生 日 お めで ど う. 

地元からスターダムにのし上がった松山千春を、影から下支えする、若干、中学三年生の少女、か弱き声、その細腕。この濁りの無い、清浄なる声を彼に届けられはしないが(わざわざそのつもりは無いけれど)、ごく一部の人の記憶に留めることが僕の手により今、可能にはなった。意義深くあり、報われたのかなと、彼女の執筆時の情景がフワリと頭をよぎった。

>それで は 千 春 . 宮脇君  .  お や す み  な さ い ね ,

その二人を胸に想いながら、安らかな眠りにつくキョーコさんであった   



17a
17b
 1 9 7 8年 .    12 月 17 日   (日)  * 1 1:36

今日 は 日 曜 日 だ**っ たけ ど 市 に も 行 か なか っ た し ・
 勉 強 も あ んまりやら んか っ た .   くだ ら ない 日 だ 。
 明日 は 参観日だ っ て 。  べ つ に な んとも 思 わ ない けど .
 いち お 書 い て お い た , お兄ちゃ んが  20 日 に 帰 っ て く る そう だ .
 また 帰って来る のか  めんど うだ なあ ・ い や だ なあ ・

  それで な く ても  うるさ い 人間 は 家 に  い る の に ・ ・ ・  ・   ・。
  まあ  い い サ .   たま に 来 る ん だ か ら .. .. ..  。
  もう すぐ で 冬休み .  ガ ッチ リ 計画 を 立 てて 勉 強 にとり くもう ・
  高校  うか ら んかも しれ な い なあ ・  でも  力 い っぱ い
  ガンバ ルぞ  .  あと で  こ うか い して も な んに も な ら な い もんね ぇ .
  そ う で しょ う .   千春 .  千春 は  2 3 才 に な っ た  ば か り だ もんね 、
   千春 .  私 も 千春 の こと  お うえん する か ら   千春 も 私 の こ と を
   おうえんしてよ .  千春  . ... .. .. ..  。  宮脇君 な に し て る か なあ ・
  毎日 毎日  同じ こ と 書 い て る け ど  私は ぜ んぜ ん 進歩 して
  おらん .  こ ま っ たね .  で も ・ そん な こ とは ど う で も よ い  .
  宮脇君 ど う し* てるか な ・  宮脇君  . スポ ー ツ マ ン だ もんねえ、
 並木の 人達は  ほとんど  ・・・ 全部 と いってい いく ら い スポ ー ツ やっ てる.
  とくに ... 中で も  カ ッ コ イイ  スポ ー ツ マ ン ガ 他校 よ り も 多 く
  い る のよ ねぇ _ 宮脇君* も  その 中 の一人 よ .
   それで は  も う ね る よ  .       おや す み  .

キョーコさんの心の解放区、市には行かなかった。だからといって、勉強もやってない。なんともくだらない日であったと、彼女は鼻で笑う。

>明日 は 参観日だ っ て 。  べ つ に な んとも 思 わ ない けど . いち お 書 い て お い た , 

お父さんはジプシーのような浮草稼業を生業としているのか、家にいたためしがない。お母さんは家業の酪農で手一杯。両親とも授業参観の参加は絶望的。別に来てくれなくても、なんとも思わない、一応書いておいたけど、と、キョーコさんは精一杯の虚勢を張る。いや何もこれは彼女の家だけのことではなく、前回の授業参観日も、クラス全員の親が来なかったという事態であったので、思い悩んでいるほどではないだろう。農村部の小さな学校では、当たり前の光景なのでしょう。

>お兄ちゃ んが  20 日 に 帰 っ て く る そう だ . また 帰って来る のか  めんど うだ なあ ・ い や だ なあ ・

帰ってくると言っているので、東京の学校に通っている兄のことだろうか。今では二階の部屋を一人で占領して有意義に使用させてもらっている。すっかりこの状況にも慣れた。今さら姉やら兄に帰って来られたら、ただでさえ小さな木造住宅、狭くなってしゃーないと、露骨に兄の里帰りに不快感を示す、キョーコさん。

>それで な く ても  うるさ い 人間 は 家 に  い る の に ・ ・ ・  ・   ・。

うだつの上がらない姉、生活費節約のために毎週末実家に帰って来る、史之舞のことを言っている。家から兄弟が出ていって、自分だけの快適空間が確保されて『ひとり勉強部屋って、こんなにも自由があるものなのね』と、気儘さを体全身で享受していたキョーコさんの顔に陰りが生じる。

>もう すぐ で 冬休み .  ガ ッチ リ 計画 を 立 てて 勉 強 にとり くもう ・

夏休み前にも同じようなことを言っていた。結局は目立つことは何ひとつせずにただイタズラに時は過ぎてしまった。もう彼女には、冬休みしか残されていない。高校浪人できるような身分ではないだろう。

>高校  うか ら んかも しれ な い なあ ・

現在、当落線上にいる、キョーコさん。冬休みでの頑張りが未来を左右しかねないが、今住んでいる家が廃屋化することだけは、運命づけられているという皮肉な結果からは決して逃れることが出来ない。逆に、何を頑張れば、そうならなかったのか。防げていたなら、あの草原の中にはまだ家族団欒の家が建っていたわけで、この日記は発掘されることが無かったという、目まいのするようなタイムパラドックスに、頭がクラクラしてくる。左右それぞれの人差し指でこめかみをギュッと押さえて、意識の覚醒を図るが、頭の中で鈍転するもやもやは消えないままいつまでも漂い続けていた。

>でも  力 い っぱ い ガンバ ルぞ  .  あと で  こ うか い して も な んに も な ら な い もんね ぇ .

それでも頑張ると、声だけはいつも勇ましい、彼女。後悔という言葉を口にして、取り返しのつかないことにはならないようにと、背水の陣で臨むことを暗に自分に言い聞かせる。

>千春 は  2 3 才 に な っ た  ば か り だ もんね 、

当時すでに態度や言動など、四十過ぎの貫禄があるが、松山千春にも二十代の頃があった。女子中学生の心の支えにもなっていたという、幅広い経験を積んで今の活躍がある。今も添い遂げるようしてファンでいるのか。途中、チェッカーズなどに引き寄せられながらも、結局は松山千春に落ち着いていそうな気がする。

>宮脇君 ど う し* てるか な ・  宮脇君  . スポ ー ツ マ ン だ もんねえ

修学旅行の夜、ポロンポロンと、ギターの弾き語りをした金山君に胸を鷲掴みにされた、キョーコさん。一目惚れだった。たった数ヶ月で、こうも変わってしまう。いや、宮脇宮脇と言い出したのは突然だった。恋愛と結婚なんて、少しのバランスですぐ変わってしまうものなのだと、たかだか中学三年生の少女の日記から教わることはあまりにも多い。

>カ ッ コ イイ  スポ ー ツ マ ン ガ 他校 よ り も 多 く  い る のよ ねぇ _ 宮脇君* も  その 中 の一人 よ .

横並びでカッコイイスポーツマンがいる中で、選んだのは宮脇君だった。どうして特に際立った特徴の無い彼だったのか、それは追々日記の中で語られてゆくことだろう   



 普通科の高校は無理かもしれない、そんな泣き言を一瞬漏らす、キョーコさん。

 なんとしても、ここに進学するんだという二校をあげる。それぞれに具体的な点数を設定し、今までにない本気度を匂わせ、やってやるわよと、己に鞭を打ち、点数、点数、と、最後の大勝負に賭けるその様は、今までの煮え切らないヌルさとは覚悟が違うように思われた。

 自然少年保護団体の団長の老人から、退屈な講義を受ける。

 学期末の風物詩、お楽しみ会が催される。

 年賀状を書く作業に取り掛かるが、年賀ハガキではなくて、あまり聞いたこともないが、一部の人には年賀手紙を送ろうかと、キョーコさんは考えているようなのであった   



つづく…

「クリスマスイブを見据えて」実録、廃屋に残された少女の日記.91

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