今は牧場の中に取り残された、二棟のうちの一棟の二階へとやって来た。
先客はいないし、最近訪問客があったような空気感も無い。
避けながらも、踏まざるを得ない、撒かれたようなガラスやコンクリートの砕片が床には無数に積もっている。
僕が一歩を踏み出すごとに、瓦礫と固いコンクリートの床が擦れ合って、鼓膜を掻きむしるような音が四囲の壁に反響する。
その音は『お前は招かれざる侵入者だ』という心理的警告を与えるようでもあり、僕の所作も自然とおしとやかになってくる
なお、尺別の牧場炭住へ行くにあたり、いやむしろ、こちらの方がメインの人が多いと思われる、幻の「尺別炭山駅」への道程を、決死の車画像とともに、紹介したい。
文明が途絶えた後に緑化が進行する森へと吸い込まれるように続く、ラフロード。
途中にたった一軒だけある、廃屋。
ここに人が住むような時代があったからこそ、戦後の奇跡的な日本経済の発展があったのだ、そう好意的に解釈をするしか、こんな場所に家が立っていることを説明出来やしないだろう
北の底抜けに青くて大きな空の下でひとりぽっち、廃屋を前にして、震える拳を握りしめ続ける。
通学時の自転車用ヘルメットをかぶった子供が顔だけを出してこちらを見て微笑む残像を、かつて確かにあった情景として頭の中にイメージしてみた。
裏庭に置いてあった自転車に乗って、漕ぎ出す少女。その背中を追う僕。
裏庭を確認するが、リヤカーしか置いてなかった。
廃屋の少女はこんな道もその昔は進んで行ったのか。
森はいっそう深くなり、道は狭まり、泥濘みは増していった。
何度も降りて、スタックをしないだろうかと確かめる。まだ進めるか、潔く、後退するべきか。
周囲に民家など無し。JAFもここまでは来てくれないだろう。
左には崖があり、その下には川が流れている。右は山。
泥濘と格闘しながら徐行で進む。
行き着いたのが、この崩壊した駅舎「尺別炭山駅」。
行かれる方、スタック脱出用に、スコップ、スタックステップ等の板を用意していった方が良いでしょう。
町が使命を終え、駅も家も自然の中に取り込まれて行く過程の一歩手前で、僕はここに間に合ったのか。
とうの昔に精気の抜け切った壁に、かつてここに、子供が飛んで跳ねて、笑っていた、確かな、思わず目を細める、神々しいようなある痕跡を目ざとく発見する。
内臓破裂のようなトイレ前を過ぎると、
北の寒空の下のアパートの一室で、逞しく成長をした子供が、何を残していってくれたのか。
これを見た瞬間、誰もいない廃墟アパートの壁の前で、膝を付き、右手でドンドンと壁を拳が骨折するまで叩きたくなった。
時代こそ違えど、僕もこの転写シールには憶えがある。板ガムの包装紙にオマケで付いてきたやつだ。
鉄人28号のアニメのようなので、1963年(昭和38年)当時の子供が貼ったシールだろう。
北の炭鉱の町のアパートの壁に、未来のロボットを夢見た少年。
残念ながら、21世紀になっても、客寄せピエロみたいな、ロボットもどきの、ペッパー君のようなのしかまだ実現していない。
今もお元気でいらっしゃるのでしょうか。
少年の溌剌とした夢の息吹が閉じ込められたようなシールから元気を貰い、その足で、隣の棟にも行ってみることに
つづく…
「爛れたレンガ壁」牧場に取り残された廃墟炭住アパート.4
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コメント
コメント一覧 (10)
僕も短冊状に並んでいる、子供の赤胴鈴之助っぽいのや、アラビアンナイト風のは全く知りません。懐かしのアニメ特集でもやらないようなやつですよね。女の子が好きそうな絵柄なので、少女漫画が原作なのかも。
カイラス
がしました
尺別炭山駅は、JRの尺別駅から道道361号をずっと行けばわかりますよ。この牧場炭住より奥です。途中の退廃的な車窓も楽しんで来てください。
カイラス
がしました
赤胴鈴之助風?やらアラブの帽子被ったやつとか?全然分からない!(笑)
カイラス
がしました
場所はどの辺りなのか?後でグーグルで探してみます。って、出て来るかな?
こんなところに駅が有ったんですね。
カイラス
がしました
北海道で少し道を入っていくと、捨てられた痛ましい牧場がたくさんあって、なんとも言えない気分になります。
>ある人は牧場が倒産し廃業、ある人は高齢で跡継ぎがいないため廃業 もう一人は牧場近くに宅地化の波が押し寄せ
ドラマ「北の国から」で、棄農して去っていく家族を大滝秀治が駅で見送るんですが「お前は富良野から逃げるんじゃ~」と言っていたのを思い出しました。毎回そう言うのだとか。廃業する理由はもっともなのに、見せしめのためにだったのかなと。抗えない現実がありますよね、実際は。
>跡を継いだ方は住宅地やスーパーに売り飛ばしました。
アメリカの大規模農法、中国産の格安農産物、過疎化少子化で、北海道の農家では太刀打ち出来ないということですか。
>私のごくごく狭い交友関係でこれなのですから 札幌以外の数十年後は牧場の廃墟が点々とする荒涼な風景になっていそうです
一部で外資によるリゾート開発が活発ですが、それも一時的でしょうね。微力ながら、出来る範囲で、応援を続けていきたいです。
カイラス
がしました
シールの貼ってある高さでわかる子供の大体の年齢、冷たいコンクリートにも、まだストーリーが流れていますね。
>私はタンスや柱に貼り付けてましたが、今思えば、親に怒られた記憶がないです。
僕もそういえば、そこら中に貼ってました。昔は賃貸でも今の現状回復みたいにそう厳しくなかったような気がします。柱にもガリガリと身長のところに刻みこんでました。廃屋でもよく見ます。
>イランのお菓子屋で、FELIXのガムを売っていた店主が、あたりと書かれた紙を見せて 何だ?と説明を求められた事があります
僕もそのガムはよく食べました。10円で人生ゲームのコマみたいな、真ん中に窪みがあるやつ。イランでも売っていたんですね。日本のそのままということは、横流しかなんかなのでしょうか。御徒町の二木の菓子ででイラン人が帰国前に仕入れて行ったとか。僕がイランを旅行した時は、瓶入りの偽物コーラばかりを飲んでました。あと、平気で歩道をバイクが通りますよね。
>その時代を過ごした子供のやる事はみな同じですね。
北海道も、本州も、変わらないですね。ちなみに、アメリカでホームステイをした時、そこの女の子がいきなりショートカットにしたので、どうしたのかと思ったら、僕があげたガムを口に入れたまま寝てしまい、それが髪について取れなくなったので、髪を切ったとかで、母親に二度と子供にガムを与えないでくれと、怒られました。アメリカ人はスケールが違ってました。
>ガムが一体化しないで、バラけちゃう事もありました。
小麦粉っぽくて、いつまでもヌルヌルにならないやつ、ありました。オジさんが一人で家の作業所で作っているような、粗悪品だったんでしょう。
>気温が下がってきた今、この住宅を見ると、寒さが増しますね。
ここで、厳冬期にも、耐え忍んでいたのかと思うと、人間の生命力の強さには驚嘆するしかないです。経済発展をしていたはずです。
カイラス
がしました
私は交友関係は広くないですが牧場をやっている方が3人おられました
ある人は牧場が倒産し廃業、ある人は高齢で跡継ぎがいないため廃業
もう一人は牧場近くに宅地化の波が押し寄せ、それでも頑張って牧場を続けていましたが
そこのおじいさんが亡くなり廃業。跡を継いだ方は住宅地やスーパーに売り飛ばしました。
私のごくごく狭い交友関係でこれなのですから
札幌以外の数十年後は牧場の廃墟が点々とする荒涼な風景になっていそうです。
カイラス
がしました
シールの貼ってある位置で、子供の身長も
わかりますね。
私はタンスや柱に貼り付けてましたが、
今思えば、親に怒られた記憶がないです。
イランのお菓子屋で、FELIXのガムを売っていた店主が、あたりと書かれた紙を見せて
何だ?と説明を求められた事があります。
信号待ちをしていると、FELIXガムを箱ごと抱えて駆け寄って来るガム売りの少年も
思い出しました。
一戸建てと違って集合住宅は、十軒十色ですが、
その時代を過ごした子供のやる事はみな
同じですね。
ガムをクチャクチャ噛みながら、シールを転写させる光景が浮かびます。
質が悪いのか、口の中でまとめるのが下手だったのか、
ガムが一体化しないで、バラけちゃう事もありました。
気温が下がってきた今、
この住宅を見ると、寒さが増しますね。
カイラス
がしました
このガムの擦るシール、こんなモノで喜んでましたよね。自分ながらに、なんて慎ましかったのかなと。
>メーカーはコリスあたりでしょうか?
僕がガムのメーカーで唯一記憶にあったのが「トップサン」という名前。調べたら、サンがとれて「トップ製菓」になったようです。コリスはトップ製菓のグループ企業みたいです。でも駄菓子屋でガムなんて買わないので、もう口にすることはなさそうです。
>摩擦熱で転写されるんでしたっけ?
爪でグリグリやっていたので、剥離させていたんじゃないでしょうか。
>僕も昔生まれ育った公営住宅の壁に貼り付けたのを覚えてます。もう解体されて跡形もないですが。
そういう、ドラマ、それぞれありそうですね。この炭住の人は残っているだけ、恵まれているのかも。
カイラス
がしました
メーカーはコリスあたりでしょうか?
摩擦熱で転写されるんでしたっけ?
僕も昔生まれ育った公営住宅の壁に貼り付けたのを覚えてます。もう解体されて跡形もないですが。
カイラス
がしました