廃墟ラーメン屋-34
 黒い雪でも降り積もったような厨房。

 鼻で息をすることはためらわれた。何度もゴグリと唾を飲み込む。

 大鍋から中くらい、小さいのまで、まるでご主人が調理を突然中断したかのように、コンロには昨日までの慌ただしさがそのまま残されているようであった。

 調理途中に脳卒中でもやったのだろうか。

 そんな疑念が、ふと頭をかすめる。



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 緩い傾斜に留まったまま、数十年間、味ぽんと計量器。



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 ずれた軌跡が無い。

 ご主人がここを出ていってから、テーブルは何らかのショックで傾いたものの、計量器とポン酢は天板に根を張ったように、動かないままだ。

 雨後の筍のように新規オープンをするラーメン屋があるその影で、何十年も平然と廃墟のままのラーメン屋がある。

 見捨てられ見失われた景色を捕獲しに行く。

 ガイドブックにも、歴史書にも載らない、でも一部の人達が求める、場所がある。

 ディズニーランドも楽しいのかもしれない。アフリカや南米だって、見応えがあるのだろう。僕も行ったことがあるが、確かに得るものは多かった。

 大事なのは、人にそれらの経験をどう伝えるかということだ。

 先日、やけに順位変動をする、あるOLの世界旅行のブログを読んだら、中身がスカスカで、読めたもんじゃなかった。あんな遠くまで行って、感想はそれだけかいと、もっと感じて書くことはないのかと、怒りをぶちまけてやりそうになってしまった。無駄なクリックをさせるなよと。

 どっかで紹介されるから、ギュイーンと、上がるのでしょう。でも文章量が少なくて淡白。短くても心に響けばリピートもあるだろうが、それが全く無いので、ボーナスステージが終わると、一気に引っ込む。
 
 ウユニ塩湖と、廃業をしたラーメン屋の記事、世間の注目度からして圧倒的に後者の方が不利ではあるが、それは、書き手の感性と切り口、読み手の心をどう揺さぶるかで、どうにでもひっくり返すことができる。

 資金力も乏しいなか、地味な素材であっても、執筆に徹するしかないのだろうと、己の信念を再確認して、再びペンを取り、身を削りながら空欄を埋めていく孤独な作業へとまた没頭をする、僕なのであった。



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 コンロが並ぶ後方の壁には、酸化した茶色い油まみれの店内に彩りを添えようと飾られていた造花。

 色といい、やっつけ感といい、どう見てもおっさんの安い発想だ。



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 背面の壁の奥には、冷蔵庫や食材が置かれていたらしい、保管庫のスペースがあった。

 ここが遺体発見の現場でもおかしくない。異臭を逃がす窓もある。

 裏返すなどして、丹念に調べて回る。



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 心の闇さえ感じられる、無数のシールの並びに、目を見開き、見上げて、息をのんだ   



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 自ら死を選んだか、或いは、横臥状態の自然死が有力だろう。

 足元に物が多くて踏み場も無いような場所は、選ばないだろし、最終場所にはなり得なさそうである。

 寝たまま死んでしまっていたなら、多少なりとも寛げる空間を確保していたはずだからだ。



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 絶命場所では無いだろう、保管庫を出て、再び、厨房へ。



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 春日部の地で、遺体が発見され、テレビのニュースにまでなった、この廃墟において、一体、何人の人が冷蔵庫の中を確認しただろうか。

 やらないわけにはいかない。 



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 ほっと、胸を撫で下ろす   



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 厨房内、カウンター奥より、店内に目をやる。

 読みかけの漫画雑誌の頁の間から、精気が湯気のように湧き上がって来るようで不気味でならない。

 いや、そんなことを敢えて想像して、この説明のつかない状況を無理に説明しようとしているのか。



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 背中のバックパックにコツリと触れたのは、ガス湯沸かし器。



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 ほたてラーメン用の貝殻は使い回しだったのか。
 
 一向に遺体発見場所が特定出来ないなか、門外不出の「どさん子調理マニュアル」が無造作に置いてあったので、中を覗いてみることにした   




つづく…

「放棄されたマニュアル」遺体の発見された廃墟ラーメン屋に行って来たよ.6

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