せっかくの鴻之舞再訪問、深いまどろみの中の眠れる森に、再度足を踏み入れてみることにした。
車はここに駐車する。
通過する車の気配さえ無いので、廃棄物の不法投棄をやっていると勘ぐられることもないだろう。
一歩、森に分け入って行くと、打ち捨てられた人工物が姿を見せる。
ここは、人によって作られ、人によって捨てられて、自然が取り戻した森なのだ。
石油など、危険物の保管庫だったらしい。
堅牢な作りなので、解体するにも手間がかかるゆえ、ひっそりと残されているとものと思われる。
中は空でした。
そう考えると、前回も訪問したこの蔵も、同じ理由で不自然に当時のままの姿で、森の中にポツンと、放置されたままであるのか。
前とたいして変わっていないような気もするが
以前は数多くの茶碗が上向きに重ねられて並んでいたが、数が激変している。
以前の訪問時の写真。
浅ましくも、持っていく人がいるのでしょう。
廃墟で拾った皿で食う刺し身は美味いか!?とも思うが、僕自身、漫画雑誌を拝借してしまうぐらいなので、強いことは言えない。
壁一面の本棚もさして変わりはない様子。
東京で、僕があれやこれや、必至にもがいている間、この森の時間は進んでもないに等しいということだ。
鉄の扉を閉めて、この中で一泊をするのも悪くはないと思ったが、紋別市内にホテルを予約しているので、わざわざ予約をけってまですることではない。寂れに寂れた紋別の繁華街を歩くのも、旅の大きな楽しみの一つである。
紋別の街一番の本屋さんが廃墟化していて、その店先で声を詰まらせたことを今でも覚えている。二度と復活することはないのでしょう。
紋別の街の目抜き通りには、かつて当時でも既に死に絶えそうな古いパチンコ屋があり、道路一本隔てて、真向かいには定食屋さんがあった。
建物が老朽化していて迷ったが、その定食屋に入った理由は、店先のホワイトボードに「日替わり定食500円」とあったから。
店の中には店主の老人がひとり。
注文をすると、店主は厨房奥に入って行った。まもなくすると「チーン」と音がした。電子レンジのチンの音。隠すでもなく、これ見よがしに聞こえてきた。恥も何もないのだろう。
出された定食には、味噌汁やお新香も付いて、冷奴もあった。目玉焼きまで付いてきた。500円にしては量が多かったが、メインのおかずは、今さっき”チン”仕立ての、どう見ても、ホテイの一人分のやきとりの缶詰を、ただ中から皿に出して温めただけのものであった。
美味いか不味いかで言えば、美味しい。量もある。500円でこれだけ食べられれば、普通は満足だろう。
でもここは食の北海道。何が悲しくて、外食までして、ホテイのやきとりの缶詰をチンしたのを食べないとならないのか、悲しくもなったが、これがこのご老人が500円で出来る精一杯であるのは、痛いほどよくわかるのもまた事実。文句を言えるはずもない。それはあまりにも気の毒というものだ。
努めて明るく「ご馳走様!」と言って僕は店を出た。親父さんも罪の意識どころか、一人の客をもてなしてやったぞと、満足度は高かったことだろう。
十数年後、その定食屋は跡形もなく消えていた。通りの先にはレストランやお土産屋を併設したネオンも綺羅びやかなスーパー銭湯が開店していて、大勢の客で賑わっていた。
今度は知ったうえで受け入れてその親爺の日替わり定食を味わってやろうと思っていたが、十数年越しの想いは叶えられることはなかった
当時でもお飾りではなかったのか、誰も活用していなかったような資料類。
以前もあった。僕ぐらいしか注目せずに大地の肥やしとなって消えてゆく運命のポスター類。
画鋲が刺さったまま。住友金属鉱山会社の音楽室にでも並べて掲示してあったのだろう。
蔵の中を流れる時間は、昭和27頃。1952年
ナショナル(松下電器)、自転車事業に参入。
永谷園、「お茶漬け海苔」を発売。
坂本龍一、1月17日に誕生。
坂本龍一がすっかり白髪のお爺さんになってしまっているのだから、この蔵がいかに年月を重ねているのかがわかるというもの。
蔵を出て森の奥へと進む。
僕は昭和三十年前後で文明の途絶えた森を徘徊しているということになるのだろうか。
前方に見覚えのある廃車が見えてきた。
木の幹が若干多く被さっているぐらいの違いか。
廃車マニアもパーツ取りしないような不人気車種。
あともう半世紀はここに姿をとどめていそうです。
前回、情報を寄せていただきまして判明しましたが、これは「三菱 ジュピター」。
三菱の中型トラック。
炭鉱町で乗用車代わりに使われていたのでしょうか。
ネットでのカテゴリとしては「草ヒロ」と言うらしいですが、少し前まで、そういう名前の個人で活躍する廃車マニアの人がいるのだと思ってました。
画像検索ばかりでみていたので、やけに手広すぎるだろうと、変質めいたものを感じていたのですが、一人による成果では無かったようです。
時代を先取りのセンターメーターもそのまま変わらずにあった。
トラックは前回舐め尽くすように見たのでこれぐらいで切り上げ、再び森の奥へと。
オイルのペール缶が降り積もった枯れ葉から半身ほど顔を出していた。
煉瓦造りの門の一部なんでしょうけど、この部分だけが残されている。
この廃屋の近くに廃バイクがあったはずだ。
ほぼ変わってない。
10年後にまた来て、どれぐらい埋まっているか比較してみたいと思う。
次来る時は地面に屋根だけと確信していたものの、案外持ちこたえている様子。
右の空間は、あのトラックのガレージだったのかもしれない。
変わり果てた生まれ故郷の森を歩いているような錯覚にもなる。
枯れ木の間から、女子学生の悲鳴が聞こえてきそうな、ママチャリのハンドルが。
前回も行っているので、こんなに森を歩く予定は無かったが、次から次へと出現するアイテムを追いかけていると、自然と森の奥に引きずり込まれていってしまった。
森から退却しようかなと考えながら歩いていると、前方に橋が見えてきた。前は真ん中部分が台風か何かで大きく陥没していた橋だ。
息も絶えたような薄暗い森の中に架かる橋を税金で補修してなんの役に立つのか、その橋は見事に再生されていた。問題無く通れるようだ。前回も端を通ればなんとか行けはしたけれど。
橋を渡り、教職員住宅にまた行ってみることにした。
つづく…
「森の中の教職員住宅」再訪、金鉱山ゴーストタウン&週刊ベースボールハウス.3
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コメント
コメント一覧 (10)
地域による情報格差が無い今、僕も生計が立てられなら住んでみたいですけど、難しそうですね。ブログだけで暮らそうと思ったこともありましたが、ギリギリの綱渡りだったので、数ヶ月でやめました。
>寂れてると言われるとやはりそうだと言わざるを得ない悲しみ…。
正確には、街中が寂れて周辺部に賑わいが移ったといったところでしょうか。鉄道が廃止になったので、しょうがないところがあると思います。僕の弟がバイクで紋別に行って、ユースホステルに泊まっていたら、街の人にお祭りに誘われたと言ってました。ユースホステルも、もう無いみたいですね。
>また十何年か後いらっしゃることがあれば、さらにスリム化した町になってそうですが、海産物は美味しいので是非ともまた来てくださいね。笑
そんな未来の話ではなくて、近いうちに行けたらなと思ってます。せめてイオンは残っていて欲しいです。
カイラス
がしました
寂れてると言われるとやはりそうだと言わざるを得ない悲しみ…。
カイラスさんの書かれる文で、ああ、ここだなぁと浮かんできます。
また十何年か後いらっしゃることがあれば、さらにスリム化した町になってそうですが、海産物は美味しいので是非ともまた来てくださいね。笑
カイラス
がしました
ネット用語かと思ってましたが、雑誌の読者コーナー由来でしたか。
>ノスタルジックヒーローというビンテージカー専門雑誌における読者コーナーの名前(略称)
雑誌の一コーナーが、一つのジャンルを確立させたということですね。僕も興味はありますが、追うとキリが無いのと、情報収集能力が無いので、やらないで見る側にまわることにしました。
>「草むらのヒーロー」と称して、読者からの投稿写真を載せていました。
バイクや自転車なども、専門に追う人がいそうですね。
カイラス
がしました
カイラス
がしました
どうも、はじめまして。
更新お待たせしています。そこまでして読んでいただき、本当にありがとうございます。
紋別に住んでいらしたことがおありなんですか。最近検索をしたら、街の外れに昔からある二階建てのスーパーが今はイオンになっていて驚きました。
>近年、紋別は行く度に 寂れが進行しているように感じます。
中心部が廃墟みたいになってますね。本屋さんなんて、文化の中心みたいな場だと思うのですが、野ざらしになってましたし。
>件の食堂、行ったことがありますが、カイラスさんと同じ感想でした。
かなり狭い話題なので他にいるかなとは思ったのですが、元は駅前通りの目立つ場所でもあるので、住んでいた方なら行ったことがあるかもしれないですね。
>詳しい時期は忘れましたが、閉店したと聞いています。
僕が行った時点で高齢の方でしたし先は長そうではなかったです。向かいのパチンコ屋の利用客をあてにしていたのでしょうけど、そのパチンコ屋自体もさびれていたし。
>栄えてる時期を知っているだけに、何とも言えない気持ちになりますね。
行くごとにゴッソリと建物が無くなっていて、昔の街の位置関係がわからなくなってしまいます。記憶が抜け落ちてしまうようで、悲しくなりますね。
カイラス
がしました
いつも更新を楽しみにしています。
私は紋別に長く住み、その後藤淵など各地を転々としていますが、近年、紋別は行く度に
寂れが進行しているように感じます。
件の食堂、行ったことがありますが、カイラスさんと同じ感想でした。
詳しい時期は忘れましたが、閉店したと聞いています。
栄えてる時期を知っているだけに、何とも言えない気持ちになりますね。
カイラス
がしました
秘境駅散策、しているんですね。いつかは、小和田駅で駅寝をしてみたいものです。
>手袋とボアの付いた耳付の帽子をかぶって颯爽と運転していた頃があったのでしょう。
若者がバイクに乗らなくなったこの時代、田舎だと今でもこんなバイクでトロトロ転がしているお爺さんを見かけます。当時でもお爺さんに愛されるバイクだったようですね。
>私の子供の頃はこんなボンネットトラックが走っていましたね。
アメ車の模倣なんでしょうか。機能主義とコストに特化した日本の車作り、殊に商用車ではあまり出ないようなデザインです。
>近所のおじさんが乗っていたのですが、ハンドルにあるクラクション(蝶々みたいな形)に 追突した時に胸をぶつけて、あばら骨を折った事があります。
シートベルト無しもありますが、安全面は考慮していなかったんでしょうね。それと離れているかもしれませんが、小学校高学年にもなっていた頃、友達のお父さんの少し古めの車に乗ったら、シートベルトのボタンを押してもロックが外れなくなり『もしかしたら、一生締め付けられたままになってしまうかも?』なんていう妙な考えが浮かび、号泣したことを思い出しました。
カイラス
がしました
時に捨てられていたバイクと同じです。このバイクもどこかのおじさんが
手袋とボアの付いた耳付の帽子をかぶって颯爽と運転していた頃があったのでしょう。
三菱のトラックですが、私の子供の頃はこんなボンネットトラックが走っていましたね。
近所のおじさんが乗っていたのですが、ハンドルにあるクラクション(蝶々みたいな形)に
追突した時に胸をぶつけて、あばら骨を折った事があります。昔はシートベルトなんて
無かったですからね。
カイラス
がしました
ダイナマイトとは物騒ですが、炭鉱では必需品だし、このような独立した建物に保管するのが安全そうですね。
>廃トラックは一般とあるので、運送業者の車輌だと思います。緑ナンバー
一般て、そっちの一般ですか。街でみかけても意味がわからずモヤモヤしてました。そんなに興味があるわけでもないので、調べてみようというとっかかりも無いままに。当時あのトラックが元気に動いて、石炭か薪でも運んでいたんでしょうね。
カイラス
がしました
廃トラックは一般とあるので、運送業者の車輌だと思います。緑ナンバー
個人所有なら自家用になります。白ナンバー
カイラス
がしました