奥多摩の寮-62
 僕は眠くもないのに目を手の甲で擦ってみた。

 信じたくなかったのだ。眼の前の酷い惨状が。

 この場がまさか、たかだか数十年前、近藤さんがおすまし顔で所在なさげに海苔の瓶を中空にあげたまま固まってみせ、たかしととしは育ち盛りとみえて食事にガッつき、畑山さんは相も変わらず、当日の奥多摩の早朝の天気のごとく、曇った表情みせながらでも目は野鳥を射るような鋭い眼光を放っていた。そこには温かい談笑が写真から聞えてきそうな和やかな空気で満たされていたことだろうことはうかがえたのだが   



奥多摩の寮-52-500
 現在では、全く同じ場に、死臭が染み込んでいそうな布団が敷かれたままになっている。

 枕元には灰皿と吸い殻。

 彼らの笑顔や笑い声が途絶えてから程なくして、噂を聞きつけたホームレスがやって来て、布団で寝起きしだしたのだろう。

 家族が昔を懐かしみ、親戚や畑山さんも呼んで、ここで同窓会のようなものをやる会の予定などはないのだろうか。

 この元寮が取り壊されるのも、そう長い先のことではないはず。空き家対策の法改正もあり、朽ちた物件がそのまま野ざらしにされたままであることが許容される国ではなくなってしまった。

 ホームレスに所有物を荒らさるだけ荒らされても諸事情もあり指をくわえているしかなかったオーナーも、最後に以前の家族が戻って来てくれて、昔と変わらない笑顔で思い出を振り返るパーティーのようなものを催してくれれば、何の悔いもなくここを閉じることができるのではないだろうか。

   ここから何人もの子らが巣立っていってくれた。無駄じゃぁなかった。大勢の人の生活を支えた寮を建てたことは、我が人生の中の誇りである。皆さん、ありがとう。住んでくれてありがとう。奥多摩の歴史の末席にでも、この奥多摩寮のことを記憶にだけでもとどめてもらえたら幸いです   

 孤高の廃墟探索者としては、そう事が運ぶのを遠巻きながら見守るしかないのが歯痒いところ。

 そうなると、いいですねと、願うばかりの僕が、空想の中の「奥多摩寮お別れ会」を思い浮かべ、廃墟でたったひとり、意図せずして口元がほころんだ。



奥多摩の寮-63
 感傷に浸る暇もなく、かつての団欒の場から、隣の部屋を見渡す。

 座敷。

 夜は川の字になって家族が寝ていたようだ。



奥多摩の寮-64
 感謝状
  難波忠治殿
貴殿は白髭神社の崇敬者として
敬神の念厚く当社再建に際し
多額の御寄付を賜わりました

 
 白髭神社は特殊な地域に建てられていることが多いが、ここもそうなのだろうか。



奥多摩の寮-65
 畳敷きの座敷の窓際には本棚があった。

 窓の外は僕らがやって来た道路。



奥多摩の寮-66
 みち子ちゃんが学んだ教科書かもしれない。



奥多摩の寮-67
 図工のノート。



奥多摩の寮-68
可奈ちゃん

 写真のみち子ちゃんの時代にしては古い漫画。



奥多摩の寮-69
 箪笥の前にビニール袋があり、その中に山ほどの全国各地の観光地図が入っていた。

 その一冊、「福島市とその周辺」。

 日頃秘境に閉じ込められているので、反動から日本各地に旅行に行っていたのだろうか。



奥多摩の寮-70
オレは女を打つとき 絶頂感にふるえる

 畳の上に転がっていた一冊の週刊誌より。

 枕元から離れた箪笥の前に無造作に置いてあった。布団の主ではなくて、それより昔の、写真のご主人が寝る前に読んでいたものか。



奥多摩の寮-72
 重厚感のある燻されたような色合いの箪笥。

 ゆかたや服など、隙間なく入ったまま。



奥多摩の寮-73
 ホームレスではなく、最後は老人ひとりで寝起きしていたような情景がそこにあるような気がした。




奥多摩の寮2-6
 これよりトイレに行き、下に降りる。その過程で、Sさんが心霊現象に遭遇する。

 僕はそういったオカルトの類は信じないのだが、興味のある人は、夜にでもここに来て、その同じ場所で、真実どうかを確かめてみるといいだろう。

 その前に、隣の最初に訪問した物件の未公開写真がまだ残っていたので、公開することにした。

 

奥多摩の寮2-7
 机の上に、飲み干された瓶。

 お酒ではなく、醤油かソースなどの調味料のようだ。



奥多摩の寮-71
 廊下に出た。

 廊下を行った先には、古めかしいトイレがあった。




つづく…

「弾かれた同行者」森の奥の、廃墟エロ本寮.8

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