家主の家-42
 青年家主の朝鮮人参酒の箱には、特定失踪者の写真の束が入っているだとか、アダルトグッズかも? なんていう根も葉もない根拠のない噂が飛んでいたが、いざ開けてみると、信じられないことに、未開封の瓶入り朝鮮人参酒が当時買い求めたままの状態で入っていた。

 これって、飲めるのだろうか。

 素人判断ながら、杉並の森の中で長期に渡り熟成され続けて、味に深みが増して飲み頃になってなっていそうな気がした。

 大都会東京の住宅街の森の中の数十年間放置された廃屋の一室、手つかずのお酒がそのままで置いてあるとは意表を突かれ、思わず瓶を手に抱えて、赤子をあやすように瓶を左に右に揺らしながら、時に、たかーい、たかーい、とやってみせ、さてどうしたものかと、部屋をゆっくりと一周してみた。

 考える時間が必要だったのだ。



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キャンプのバーベキュー、大忙し

 右にシーザードレッシング、左にサラダオイルのボトルを持って、「ハイ、ハイ、お肉が焼けるまで待って下さいね」と、ハキハキと、鍋奉行ならぬ、鉄板奉行ぶりを発揮し、その場を仕切るリーダー的存在の、家主。

 二つのボトルの中身はどちらも成分が油なので、垂れた内容物で馴染んだボトル表面はヌルヌル。

 野外で足元の悪い中、躓いて手元を滑らしボトルを地面に落として土がベットリ付いてしまわないように、細心の注意を払い、ボトルの先端の突起部分のキャップをしっかりと掴んで離さない、繊細な神経の、青年家主。

 なかなか、こういった気遣いは出来るもんじゃないなと、写真を左手に持ち、深い溜息とともに在りし日の家主写真に見入る、僕。

 どこに消えてしまわれたのだろうか。

 せめて、足跡だけでも追えないものかと、机を今まで以上に念入りに探ってゆくと・・・・・・



家主の家-44
 彼は、日大の経済学部を卒業したようだ。

 就職先は、銀行だろうか。

 時は右肩上がりの経済成長期の時代、就職先など引く手あまたであっただろう。

 杉並区にこれだけの土地と家。

 実家は大地主かもしれない。コネだっていくらでもきいたはず。

 人柄と統率力も申し分ない。机の引き出しの奥の奥まで覗いた僕が太鼓判を押して保証してあげてもいいぐらいだ。



家主の家-45
 就職先は、日興証券株式会社。



家主の家-46
 間違いない。

 入社案内の冊子が入っていた。

 ふと、思う。

 日本でこんなことやっているの、僕だけじゃないだろうかと。

 杉並区のど真ん中で、平日の昼過ぎに、縁もゆかりも無い人の歴史を遡って、お駄賃が貰えるわけでもなし、どこに僕は向かいたいのかと、アゴを上げ、壊れた屋根の間からのぞく森の樹々を抜けた先の澄みきった青い空を、しばらくの間、無言で眺め続けた。



家主の家-55
 我に返り、視線を落とすと、家主の乱れた残留物。

 誰も伝えない、人知れず日本に貢献して歴史の波間に消えていった名も知れない人々の記憶を伝えてゆきたい。

 それが、僕がここに立っている理由なのだ   



家主の家-53
 親も一緒に写った高校卒業の記念写真を、置いて行かざるを得ない理由がどうしても僕には理解できなかった。



家主の家-49
 書いたものの、送ることのなかった、一枚のハガキを発見。

 以前の催眠枕と同様、記憶術に重大な関心を寄せていた様子。



家主の家-50
”資料遅れ”

 学校や職場のリーダー格らしく、単刀直入、言いたいことだけを言う家主の竹を割ったような、サッパリとした性格はハガキにも。

 資料請求のハガキがいまだここにあるということは、日大経済学部は正攻法で合格したのだろう。



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サマーナイト盆踊り、裾をたくし上げて

 仲間たちとの夏の楽しかった思い出も、森に置いたまま、彼は今どこで何を   
 


家主の家-56
 去った季節は夏。

 蚊が鬱陶しい寝苦しい夏の夜だった。



家主の家-51
 定期券まで。

 聞いたことのない駅だったので、廃止になった路面電車の駅なのかと思ったが、よく見ると、関東バスの定期券だった。

 時間割のカード。

 真ん中はブロマイド。白黒写真を着色してカラーにした印刷物ではないだろうか。ハリウッドの女優だと思われる。

 前に読んだ雑誌で、昔のお菓子のオマケ特集にこのブロマイドがあったような記憶がある。記憶違いかもしれないけど。



家主の家-60
 それぞれの心に響く、家主史を、余すところなく、伝えられたことかと思う。

 僕は時の隙間から  後ろ向きで膝を高く上げて後方に行進するようにして  溢れ飛び出た。

 傾斜があったが、後ろ向きで下りながらも転ぶことは無く、優秀な二足歩行のロボットのように、よろけて足を崩しながらも上手く復帰して対応しつつ、平地に無事降り立った。

 家主の廃屋と向き合う。ゴクリとツバを飲み込む。

 背面行進をやめずに、傍目から見れば精神異常者であるかのように、黙々と背中を進行方向に向けたまま後ろ向きで僕は歩き続けた。

 すぐに背中を家主の廃屋に向けるのは気まずい感じがしたからであった。

 もやもやした後ろ髪を引かれる思いを、ナタを振り落とすように、一瞬にして断ち切りたかったのだ。

 背中に目でもあるのかというぐらい、躓くことなく10mは後ろ向きで、



家主の家-62
 この無人の地を例えようのない喪失感とともに、トラロープに静止されるまで、後方行進を続けた。

 例え、下校途中の小学生に指をさされて苦笑されても、この時だけはかまわなかった。



家主の家-61
 今、静かに背中を向けさせてもらった。



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ファイナルカット

 なお、青年家主に関しては多くの情報が僕のもとに寄せられることになった。

 地方で隠遁生活を送っていてもいい、大都会のタワーマンションで悠々自適に暮らしていてもいい、タイのチェンマイの長期格安滞在型ホテルでタイ人の若い愛人と同棲生活を送るのもまた、彼の人生である。

 この長編を読んでいただき、おのおのが、それぞれの青年家主の行く末を想像してもらえたら、それで僕の役目は半分ぐらい達せられたのかなと思う。

 大変長い間、お付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。

 僕はこみ上げてくる達成感とともに、自分の部屋のパソコンの前に座したまま、キーボードから手を離した。

 続けざまに、テレビの横の本棚をみると、そこにはあの朝鮮人参酒が置いてあった。

 杉並の森から瞬間移動したわけではない。

 盗られてはならないと、僕がこの手で保管を思いついたのである。

 そう、いつの日にか、熟年家主と、旨い酒を酌み交わす日の時のために、僕の手で、管理維持保管をしてあげるのが、最後に僕に出来る、恩返しだろうと、頼まれたわけでもなく、自ら率先して、ことを進めてみたわけなのである。


 琥珀色の液体の中で艶かしく横たわる大ぶりの朝鮮人参が、今、微かに動いたような気がした。

 深夜の窓の外に立て続けに二回も流れ星が流れて行くのを僕は確かに見送った   

 
 
 
おわり…

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