相模湖-76
 この部屋がご両親用の寝室だろうか。あるいは、祖父母用なのかもしれない。

 これぞ、という決定的な証拠は見つからない。

 窓からは裏山の離れを眺めることができる。




相模湖-77
 コーデュロイのお出かけ用らしき黒いスラックス。脱ぎたてのようにも見える。

 引っ掻き回された跡が痛々しい。

 金品目的か、真冬に訪れた世捨て人による寒さしのぎの防寒着略奪行為の果てなのか。

 なぜ、そっとしておいてやれないものかと、胸が痛む。



相模湖-78
 峠のお宿の敷地入口には、着物を着た女の子用の日本人形が魔除けであるかのように置いてあった。いいや、単に捨ててあったのだろう。姉である和香子ちゃんはとうに家を出ていたか、女の子のお祝いごとをするような年齢ではなかったのか。もうあの和服人形は必要としていなかったのだ。

 一家がお宿を去る時点では、長男の裕之はこの鎧飾りで端午の節句を祝う歳であったのか、過ぎてはいたものの、それに近い年齢であったのか。鎧兜を保護するお手製のカバーまでお婆ちゃんに作ってもらい、未来を期待されて溺愛されていた子供であったことは容易に想像できた。

 廃業によるただの引っ越しであって欲しい。

 寄せられた情報によると、思わず、耳をふさぎ、目を覆いたくなるような災厄が起こったのではという話もあるにはあるようだが、事実と決定的に異なる部分もあり、詳細は大垂水峠の朝霧のように朦朧として、薄靄の中のままなのである。



相模湖-75
 可愛いお宿の姉弟のためにも、何か救われるような手掛かりはないものかと、脇目も振らずに、廊下を奥へと進んだ。

 両親と祖父母の部屋であったと思われる二部屋を過ぎて廊下の突き当りまで来る。

 ここもまた、心無い侵入者による不用品の山が築かれていた。

 ウィスパーボイスで『すみませんね』と唇だけを動かし、右手でお祈りのポーズをし、土足で布団の山を登って越えた。

 親戚の家に土足で上がりこんでいるようで、いい気持ちはしなかった。



相模湖-79
 予想通り、廊下突き当りを右に折れて入っていった部屋、両面より光が降り注ぐ角部屋は、足元の残留物を見てみても、姉弟の部屋であるらしいのがひと目でわかった。

 ということは、障子のある窓の上には巨大な蜂の巣が垂れ下がっているわけだが、蜂が大挙して襲ってくるようなことはないのだろうかと、心配になる。羽音はしないようだ。



相模湖-80
 埃にまみれた、赤子の頃の和香子ちゃんのお医者さんごっこ用玩具。

 少し弄ってみたが、意味不明だった。



相模湖-100
 雑誌の付録と思われる。

 昔から変わらない、ハローキティ。

 他のは少女漫画の登場人物だろうか。

 裏面にセロテープの跡があり、創意工夫して遊んだ幼いながらも和香子ちゃんの豊かな創造力、芸術方面への才能の片鱗を感じさせるものがあった。

 両親は宿泊客の対応に大忙し。夕ご飯までをこのお宿の母屋の一室で、裕之に割り箸を持たせ、その先にはセロテープが付いた紙人形。裕之の一振りで、魂が乗り移ったような人形が躍動をする。

 少女漫画の世界を紙人形劇で見事に再現してみせた、和香子ちゃんのお宿劇場は、毎夕、仲睦まじい姉弟の間で開催されて好評を博していたに違いないだろう。時には、姉と弟のそれぞれの同級生達も観客に迎えて。



相模湖-81
 小学校六年の時の学級通信「はげみ」。

 こんなものまで、置いていかねばならなかったのか。いつでも見返してみたくなる、一生の宝物だろうに   



相模湖-87
 引き出しには、親友らからの、これまた一生の記念モノの年賀状までも。

 家を去る時に、ほんの一掴みで済むことじゃないのか。



相模湖-88
 奇しくも、あの廃屋の日記の少女と同じ時代を過ごした、和香子ちゃん。

廃屋に残された少女の日記'79

 ひつじ年にケムンパスの年賀状を貰っていた。



相模湖-93
 昭和56年、1981年と言えば、ガリガリ君や雪見だいふくが発売をされて、大ヒットした年。

 今となっては何のこと?、と言われかねない、貸しレコード店が大流行。

 ピンクレディーがドームが出来る前の後楽園球場で解散コンサート。

 ビートたけしと明石家さんまが出演の「オレたちひょうきん族」放送開始。

 中日の宇野、ヘディング事件(ただのフライを頭部で受けて、先発だった当時星野仙一投手を大激怒させた)。

 永谷園が「麻婆春雨」発売。

 沖縄で、ヤンバルクイナ、発見。

 その最中、和香子ちゃんと裕之君の姉弟はまだ、お宿で天真爛漫に、その先に何があるやも知りもせずに、何一つ苦労の無い生活を日々笑顔で送っていた。



相模湖-94
 裕之のクロッキー帳。

 マジンガーZか。

 和香子ちゃんとは違い、芸術方面のセンスには恵まれていなかった模様。



相模湖-95
 70年代らしい、スターウォーズに触発でもされたような、SFの世界の未来的なデザインのガラス花瓶には、和香子ちゃんのだろうか、縦笛が入れられていた。

 楽しそうな笛の音が宅内に響いていたお宿の全盛期を思い浮かべ、深いため息をつく。

 何から狂っていったのかと。

 引き出しの年賀状を払いのけると、目を疑うことに、和香子ちゃんへのラブレターまで入ったままになっていた。




つづく…

「秘密の往復書簡」廃墟、家族崩壊のお宿.11

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