川崎不法占拠-83
 川崎駅から徒歩で数分。妙光寺の少し行った先にある、昭和の忘れ形見のような、うらぶれた息も絶え絶えの、小向マーケット。

 自宅も兼ねていた裏側を通って、営業している店舗のある方に行ってみることにした。

 店はやっていたとしても、一店舗か二店舗。

 つまり、手前側のこのお店の裏の住居部は廃屋だと思われる。



川崎不法占拠-84
 場所によっては、店は廃業をしていても、住居には住み続けているような気配がある。



川崎不法占拠-85
 生活音がしました。

 小走りで駆け抜けます。



川崎不法占拠-86
 一番手前がお弁当屋さん。並びの奥がお豆腐屋さんだった。

 どちらの店舗も昔からやっているという感じではなく、空き店舗をちょっと手直ししてわりと最近始めたような小奇麗さがある。

 お腹が空いていれば、弁当を買い求めるついでに店のおばさんに実際はどうなのか訊くのだが、先程多摩川の土手でカロリーメイトを食べたばかりなので空腹感は無い。

 食べたくないのに無理して弁当を買ってまでして知りたいかと言えばそうではなく、買いもしないのに、質問だけするほど厚かましくもないというのが、僕という人間。



川崎不法占拠-82
 起業精神溢れる若者が空き店舗で「ノスタルジックカフェ」でもやれば繁盛しそうですが、他は相当放置されて建物の痛みが激しそうなので、新たな店はもう無理かもしれません。



川崎不法占拠-67
 再びこちら側へ。

 弁当屋と豆腐屋の前を通って来るのは躊躇われた。

 久しぶりのお客かと、店の人が待ち構えていそうで、素通りしたらガックリと肩を落として落ち込むどころか、ただの見学かよと、憎悪さえ抱かれそうで、気の弱い僕は、また住居部のある裏側を通らせてもらった。

 タイムトンネルみたいだった小向マーケットを後にして、戸手四丁目の河川敷に戻ることにした。



川崎不法占拠-5
 この違法占拠の集落に入るには道側と川原側があるが、川原の方より行ってみることに。

 一般に、河川敷というのは国(建設省)や市が管理する「市街化調整区域」になっており、住居を建てることはできない。

 そのような場所にもかかわらず、いつしか在日朝鮮人の人達が中心となって町を形成するようになった。

 一面野原だったこの河川敷に、当初家は二、三軒ほど。

 ところが、1959年の伊勢湾台風の後の3~4年後の間に、次々と家が建てられ、その数は100戸を越えるまでになったという。

 朝鮮総連の戸手分会の建物も建てられ、町内の集会があるたびに戸手分会も利用されるようになった。



川崎不法占拠-4
 この町の特色としては、町を挟んだ両端に「木下」という産廃業者の会社及び施設がある。

 これは川から見ると左側に位置する駐車場のような施設。会社の本体や廃処理場は右側。



川崎不法占拠-10
 赤茶けた錆の目立つバラックの間を入って行った。

 日本の街中を歩いていてこの緊張感はなかなか味わえない。



川崎不法占拠-7
 白髪のお爺さんが自転車でやって来た。自転車から降りるとドアを開けて中に入って行った。

 特に不審な目で見られることはなかった。



川崎不法占拠-6
 住んでいるのか、いないのか、いまいち生体反応が読み取れない。



川崎不法占拠-8
 何か、意味でもあるんですかね。



川崎不法占拠-9
 トタンラビリンスに平衡感覚も狂う。



川崎不法占拠-11
 二十年前だったらナタか何かで追い回されていそうですけど、今はもう少数のご老人しかいないのでしょう。所々テレビの音が微かにして人の気配はあるが、人通りは無い。



川崎不法占拠-12
 黒澤明監督の「どですかでん」の世界観が21世紀の現代の川崎に。



川崎不法占拠-13
 トタン以外は使用すべからず、みたいな、自主建築基準のような暗黙の了解があるのだろうか。



川崎不法占拠-14
 公共の道に、コンパネのお手製スロープが設置されていた。

 中南米にアフリカ、東南アジア、スラムはいろいろ行きましたが、懐かしい景色が蘇ってきた。

 さらに内部へと歩みを進めることになった    

 


つづく…

「違法河川敷に電気が!」川崎の不法占拠朝鮮人部落に行って来た.2に行って来た.3

こんな記事も読まれています