奥多摩の寮-75
 廊下を歩いて行くとベランダに出た。農家の納屋のようなトイレが並んでいる。

 トイレを使用するにはいちいち外に出て外気に触れなくてはいけなかったのだから、冬は凍えるような寒さだったろうし、夏は虫に悩まされたことだろう。

 畑山さんが普段みることも経験したことも無かった、この原始的なトイレを彼女が使用して、悪臭で鼻が潰れそうだは、排泄物が流れずに下に溜まっているのが目視できるわで、まるで東南アジアの下水道も完備されていないようなスラムにあるトイレのかと、お洒落に目覚めるようになり服選びも髪のセットにも時間をかけるようになった、感受性が一番高い時期の思春期の女の子が、今の時代に何の仕打ちよと、怒りを滾らせるが、でもみちこに罪は無いし、どこにぶつけて良いのかわからない怒りをぐっと押し殺し、それがあの写真の中の終始曇った顔をしていた理由であったのではないかと、今僕はこのトイレの木戸の前で”それ”が理解できたような気がしたのである。

 まぁまぁと、畑山さんをねぎらうように、慮ってポンポンと彼女の背中を叩くように、トイレの戸を音の出ない加減で優しく二回ほど叩いた。

 このエロ本寮での体験を、苦々しい思い出としてではなく、今となっては何ものにも代えがたい大自然がもたらしてくれた貴重な素晴らしい経験、ひと時であったと、笑って自分の息子や娘達に話してくれているようになっていてくれないだろうかと、願いを込めて、昔日の畑山さんのいた空気に触れてその気持を少しでもわかってあげられないかと、ドアノブをゆっくり回してみる。



奥多摩の寮-76
 この便所には、畑山さんも絶句したことだろう。

 背面の壁が迫りすぎか。

 これではしゃがんで足が痛くなった時、足をほぐし体重を前後左右に分散させて痛みを和らげるためには、足のモーションの逃げ場が必要になることから、お尻を後方に突き出して下肢の逃げ場を確保しようにも、この隙間では腰びた一文動かせない。

 背筋は垂直になり尻肉が壁に常に少し押された状態となる。

 密室で試行錯誤した結果、板床を両足で蹴るように押し、その反作用で背後の壁に背中を圧着させて壁にほぼ全体重をかけることで、両足への負担を軽減させるという技を編み出した可能性もある。

 可能性とか言葉を濁したが、過去に僕はそれに近いようなことをやっていた。

 洋式トイレで育った人なら、和式便器に慣れないゆえ、足と足首との痛みに格闘し、中にはこのような狭小トイレで、スペースと痺れを伴う痛みとの奮闘に時間を費やしたことが誰しもあるに違いないだろう。



奥多摩の寮-74
 小トイレは綺麗なまま。



奥多摩の寮-77
 氷みたいな冷水に、小さい申し訳程度のシンク。父の粗雑なDIY。

 栓には当時これ程じゃないが、枯葉が詰まっていた。

 手さえ満足に洗えないの?と、畑山さんの顔もますます写真のようになっていく。



奥多摩の寮-78
 山間の廃墟と化した寮。

 よくも、生活形態を残したまま、数十年間、開け放たれたままの寮が、そのままで横たわっているものだなと、感心するやら、呆れるやら。



奥多摩の寮-79
 寮生が、家族が、あの枯れ葉舞う山の中で、笑い声を奥多摩の山々に響き渡らせていた。

 もう、子供の声がここで聞かれることなんて、次の元号が変わっても、また変わっても、金輪際、無いのでしょう。



奥多摩の寮-80
 奥多摩絵図なんてものを、しばらく眺める。



奥多摩の寮-81
 おそらく、この棚がエロ本流出の場所であろうと、Sさんと話し合った。

 お父さんが隠し入れたまま、理由あって一家でこの寮を出た。

 放浪者が住処を求めてやって来た。

 寮中を物色すると、この棚の中に大量のエロ本を発見する。

 しばらくの間、彼の慰みものとなったのだ。


 Sさんが『降りましょう』と催促する。

 この建物はワンフロアしかない。下に行っても崖に建てるために必要な台座部分しかない。降りるのは無駄なような気もしたが、見ないのも損なので、彼につき合うことにした。

 結果として、Sさんは下に行かなかった方が彼にとって良かったのだろう。

 途中、あるきっかけの後体調を崩したとかで、青い顔をして僕に頭痛を訴えて、愛車のアクアの中に引きこもってしまったのだ。

 このエロ本寮では、突如襲った頭痛の本当の理由を明かさなかった、Sさん。

 そのことを口にすると、見えざる存在に聞かれてつけ込まれ、災いの沼のような場所に一層引き摺り込まれる恐れがあったかもと、この後訪問した廃墟定食屋で素直に僕に語ってくれたのだ。

 その問題の場所へ、行くことにした。



奥多摩の寮-86
 今思えば、階段に散乱する複数の草履が気配を主張でもしているかのように不気味ではあるが、この時の僕は何も感じなかった。

 Sさんも、特に声をあげたり、表情を引きつかせたりすることもなく平静を装っていた。ところが、自分の内側では、動悸が激しくなり、冷や汗を流し、肩を震わせ、視界もぼんやりと薄れて頭が鉛のように重くなり、突如、偏頭痛に襲われだしたのだという。

 彼が言うには、この階段を下っている最中、中頃付近で、右手の指先数本を見えない何者かが触れたか掴んだかと思うと、後方から前方へと手を勢いよく弾かれたのだとか。

 右手はズボンのポケットに完全に突っ込んだままではなく、手の指先を少しポケットに入れ気味の状態で、そこをやられたのだと、ポケットの裾に手を引っ掛けさせながらも手を前に持っていかれたので、明らかな強引さが余計に怖かったと、次の訪問先のめいじや食堂で、ここだから話せるとばかりに、神妙な顔つきで告白してくれたのだ。



奥多摩の寮-85
 その怪奇現象と遭遇した真上に貼ってあった、1985年1月のカレンダー。

 1985年1月の事件か同月に生まれた人が自殺していたりしたら、それに絡めていかにも原因があるような思わせぶりな話をしようとしたが、それっぽく該当するのは見当たらなかった。

 目ぼしいところでは、ジャニーズや大手芸能事務所のタブーネタからは要領よく逃げて賢く炎上して目立ちたがる社会学者の古市憲寿が1月14日生まれというぐらい。



奥多摩の寮-87
 階段を降りて行った先には外に出られる勝手口のような場所。

 建物の張り出した部分が崩れ落ちて地面に残骸が転がっている。



階段
 再び階段をのぼって地上階に戻った。

 見終えたので、さぁ帰ろうと、エロ本のあった座敷を降りた時、段差を埋める二段だけの階段をしげしげと見つめると、こんな表記があった。

東京 奥多摩寮 八ツ山~

 調べたところ、東京の品川に「八ツ山橋」という橋があることが判明。

 置いてあったタオルは北品川の米店の物であったし、オーナーの出身地かもしれない品川にある橋から会社の名前をつけたのか。



奥多摩の寮-94
 寮の外壁にはこんな名札も。

 表記にある品川の住所付近には老舗の米屋らしき建物があった。タオルにあった電話番号とこの電話番号は違っていた。



奥多摩の寮-97
 Sさんの待つアクアに乗り込んだ。

 次の目的地は廃墟食堂。やって来た時と違い、頭痛を漏らすSさんの表情はとても暗い。

 蛇行する険しい山道で探索の成果など話すが、僕だけが一方的に喋っていて、Sさんは伏し目がちに相槌を打つわけでもなく、山の向こうを見るような遠い霞むような目をして、黙ったままハンドルを無心に操作し続けていた。

 めいじや食堂に到着するまで、Sさんが一言二言だけしか(嫁の話)話さなかったのは  それも僕が無理に聞き出した  これは妙だと、さすがに鈍感な僕でも並々ならぬ彼の心境の変化をその時感じ取っていたのである。




おわり…

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