ジェイソン村-36
 この先に何があるのか保障もなくただの荒れ地のみだったら途方もなく落胆するだろうけど、もうかなり歩いたのでここまで来たら引き返すのは勿体無いというかどうせなら形あるものを見てみたいというささやかな好奇心だけが重たい足をかろうじて前に踏み出させる。

 素人が設置したにしては立派なガードレールなので失われた元公道なのかとも思ったが、人里離れた山に市や国が何をつくるというのか。見当もつかない。



ジェイソン村-35
 歩いてきた後方を振り返る。

 堆積する枯葉や灌木に足を取られるし傾斜はあるわで思いのほか体力を奪われゼエゼエと荒い息をして額には表面張力で玉の汗が浮いてインナーのシャツもじっとりと湿ってゆく。

 久々に体力を消費している。出不精で、極力体力を使わずに乗り物で済ませるこの僕が。

 山で有名な観光地に行っても、山に登るということに全く価値を見出だせない僕はいつも『山とは登るものではなくて遠くから眺めるものだ。景色もそれが一番綺麗なのは君らもわかっているだろう』と屁理屈を言い、まず山には登らない。

 西チベットに行った時にはさすがにカイラス山の巡礼はした。登るというより巡礼であるし、一番高い場所で標高6千メートルはあったが、スタート地点ですでに標高4千はあったので、苦労を重ねて上に行くという感じでもなく、服装も装備も散歩をするような手軽さで、山登りの必死な覚悟なんてものは微塵もなかったので、神経をすり減らすようでもなく、楽しかった思い出しか残っていない。標高6千メートル地点の坂一気のぼりの所だけは酸欠で吐きそうになったが、それも一瞬のことだった。

 タンザニアに行った時は、キリマンジャロが常に視界に入っていて、同じ安宿の日本人にしつこく『一緒にキリマンジャロ登山しましょうよ』と誘われたが、揺らぐことのない僕の山に対する哲学を話して誘いを断ると『ここまで来てマジですか!?』と呆れられながらも、僕は固く信念を貫き通した。後日彼とはケニアのナイロビの安宿のドミで再開を果たしたが、死ぬ思いをしましたがキリマンジャロ登頂成功しましたよと、彼は僕に満足そうな笑顔で語ってくれたのだ。

 高尾山レベルでも僕は自分の足で登らずにケーブルカーを使用して山頂まで行ってしまう。それを面倒くさがりだとか他人にとやかく言われた場合は、チベットで標高6千を経験している、と言うと、大抵の人は黙りこくってしまう。日本一高い富士山が標高3776.24 m程度なのだから、この人、全世界で全てをやり切って、今更高尾山でもないのだな、と、勝手に解釈をして納得感心してくれるのだ。



ジェイソン村-34
 「仄暗いお散歩」という名前にしたのも、ともすれば下衆な根性で社会の暗部を見て回るけど、体力的にはそんなにハードなことはやらないよ、何しろ疲れるから、と、予防線を張る意味もあった。

 それが、得体の知れない「ジェイソン村」とやらに付き合わされて、ブッシュに体を揉まれて全身が干からびた植物の繊維カスだらけになって息を荒げて眼も霞むぐらい疲労困憊で体力を消耗し続けている。

 この山林が永遠と続くだけなのではという気もしてきた。



ジェイソン村-33
 上にも横にも障害物。匍匐前進まではしないものの、正座をして前傾になり、両手と両膝頭の四点を足として、スターウォーズのAT-ATみたいに四足のようにして若干ギクシャクとしながら前に進んだ。



ジェイソン村-32
 深い山に迷い込んだかのよう



ジェイソン村-31
 土の山道になっている。土砂でコンクリートの道が塞がれてしまったのか。



ジェイソン村-30
 人里離れた山奥に、その昔、何があったというのだろうか。

 途中で計画が頓挫した分譲地があるのではとついさっきまで頭に思い描いていた。区画分けされた土地だけの。

 この秘境感、もしかしたら、見晴台のような、車で行けるようになっていた展望台だったのかなとも、考えられるか。行き着いたとしても、せいぜい柵ぐらいしかないとか。



ジェイソン村-29
 激しい運動量に、喉は渇く、空腹にもなる。カロリーメイト一食分しか持ってきておらず大誤算だった。



ジェイソン村-28
 ガードレールが復活。コンクリートの道もまた顔をのぞかせる。

 あの先はアメフトのタックルのような姿勢で頭と体を守り藪を切り開きながら放たれた弾のように突っ込むしかない。



ジェイソン村-27
 客寄せに、それ(サバイバル)を望まない売りにしない僕が、たかだか相模湖の近辺で、なぜこうも過酷な目にあってしまうのか。

 大木が二本、道を塞いでいた。

 足を引き攣り気味に手前の大木を跨いだ。次の木はしゃがんでくぐる。虚しいひとりジャングルクルーズ。



ジェイソン村-26
 一向にゴールが見えてこないので、もうこの頃になると、いつ引き返すか、今かと、激しく逡巡している、僕。



ジェイソン村-25
 またかよと、幾度目かの濃い茂みに絶望的になりまた全身を藪に委ねようとする。



ジェイソン村
 抜けた先には、正体不明の建造物が建っていた。




つづく…

「ジェイソン村の真実」レイクサイドのジェイソン村.3

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