鴻之舞-39
 単純に真ん中へんから一枚の板で区切ってしまうと、雑誌やワインの瓶などは置けなくなる。そこで、二枚の棚板を段違いに組み合わせることで、見た目を損うどころか風流さを加味したうえで、一定の高さを保つスペースを確保することができる。「違い棚」と呼ばれる、飾り棚である。

 狭く質素ながら、機能美と典雅さを濃縮した棚が、無駄に、ここ紋別鴻之舞の森の奥の崩れかけの廃屋に、呆けたようにあてもなく口を開けたままでいた。

 海外旅行はまだ一般的ではなかった時代、せいぜい札幌の研修旅行のお土産だろうにしても、さぞご自慢のワインボトルが並んでいたのだろうなと、遠い昔に思いを馳せ、暫くの間じっとただの空の棚を見つめ続けていた   



鴻之舞-38
 またもや、動物の骨。犬にしては大きい。

 人の去った森のなかの廃屋を住処にして、静かに息を引き取り、今に至るのか。



鴻之舞-35
 別の骨も。親子か、死を悟った動物が、外的に襲われることなく安らかに最期を迎えられるような場所を求めてにここに集まって来るのだろうか。

 東京の街中などで、僕が廃屋の敷地内に第一歩を踏み入れた時、驚いた表情のネコが窓から顔を出して、一目散に逃げる光景を何度も目にしている。毎回といってもいいくらいにネコが飛び出して来る。それも、一瞬僕の顔を確認して間を置いて気まずそうに逃げて行く。その都度、僕は心臓が口から飛び出しそうになり、驚きのあまりしばらく気が動転してその場に中腰でへたり込み、荒い息を整える時間を必要とする。

 北海道でも東京でも、廃屋は動物達の住みやすい家となっているのだろう。

 やがてこのように、自然死を迎えることになると。



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 アース製薬のエアゾール「ハイアース」。

 あのホーロー看板の男の人のかと思ったら、そうだった。彼の名前が水原弘ということも今回調べてみて初めて知った。

 昭和45年頃のCMなので、ここに流れる時間もそのぐらいなのだと思われる。



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 現在も売っている、トイレ消臭剤「シャット」。

 現代の通販の評価欄にでさえ「汲み取り式のトイレには必須・・・」とある。

 炭鉱のあった町では、士農工商の商が圧倒的だったと聞く。まぁ、ここまで炭住巡りをしていると嫌でもわかってくる知識だが、昨日読んだ本に書いてあったので、早速引用してみた。

 町の財政が炭鉱会社を中心に回っていたのだから、社員や炭鉱労働者は衣食住に極めて優遇され、山の中の住宅でも、コンクリート造りのアパートに水洗トイレが珍しくなかった。

 教員は冬には肌を刺すような冷気の入り込むスカスカの板張り住宅に、汲み取り式のトイレをあてがわれ、極寒の冬を肩を寄せあって耐えしのいだ。いや、当時ではそれが普通で、炭鉱会社で働く人らが高給取りで人も羨むような生活ぶりだったのである。そうでないと、今じゃゴーストタウンになっている山の森の中まで過酷な労働条件と知りながらやって来ないだろう。



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 教師はディーラーでオイル交換などせず、節約のために自分でなんでもやった。



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 昭和45年といえば、大阪万博が開幕、ビートルズが解散、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監部で割腹自殺をした年。

 ここに住んでいた教師の子供は、大阪万博など、異国の出来事のように思っていたことでしょう。

 父さん、一刻も早く赴任先を東京に戻してとよと、夕食の時分に、声を詰まらせ、父に訴えていた、少年の儚い願い   



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 母親も、声には出さなかったが、洗い物をしながら、実家のある遠い東の空の方をみつめ、目に涙を浮かべ、白いブラウスの袖でこぼれ落ちそうになる涙を拭い、寡黙に、献身的に夫に尽くし続けたのであった   



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 そんな、数々の家族の想いが詰まった、市の発展を縁の下で支えた、名もなき教師家族の住宅が、歴史的価値は無いと判断されたのか、無残に放置されたままに、自然に森の中に取り込まれていくのを、ただ黙って指をくわえて見ているだけだという、不条理さに、やりきれなくて怒りも湧いてくる。

 このように紹介することで、共感した人達に訪問してもらい、市に大勢の声を届けることで、僕に出来る何かが果たせるのかなとは思う   
 


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 緊張感のある死角。廃墟の醍醐味。



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 水洗だったのか、川に垂れ流しだったのか、今となっては知るすべはない。



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 この化粧品会社の名前の入った壁鏡、北海道の廃校でよく見かける。学校の壁に掛けることで、先生にキックバックが入っていたのかもしれない。

 小中学生の頃から化粧品のブランドイメージを刷り込んでおいて、高校生になったり就職したら、当社のを使ってもらおうという壮大なマーケティング手法。



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 次は存在しないだろうと思うも、再訪問をすると大抵多少朽ちたぐらいでそのままある。北海道に流動性の無い証拠。



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 さようなら。

 また来ますよ!



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 どういう意図があるのか、薄い面だけを残して他は取り壊されていた。



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 寿司屋の湯呑みたいなものが落ちている。



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 残っている面と基礎だけがコンクリート造りで、他は木造の混交造りだったのか。



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 横浜の元町をイメージして名付けたのだろうから、さぞ賑わっていたのでしょう。



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 我が愛車。

 紋別に来る前の峠でトラックを追い越したら、しつこく追いかけられて困ったことがあった。今だったらそのトラックの運転者は捕まっていることだろう。この車の動力性能を知らないから『軽ごときがなんぼのもんじゃ!!』と腹を立てるのだと思われる。抜かしたものの、抜かれる前よりトラックがスピード上げて迫っは来るが、それほど速くないのでこっちは間隔を開けて前を走る。逃しはしまいと、カーブでスピードを緩めずに、今に刺してやると、鬼気迫る走りを続けるトラック。トラックにしては峠を飛ばし過ぎであった。

 面倒なのでアクセルを踏み込んで千切ってやり、大分経ってから中規模の町に到着。車体が汚れていたので洗車場はないかなとゆっくり走っていたら、峠で追い抜いたトラックが、物凄いスピードで僕の車の横をスレスレで通り過ぎていった。抜き返した、勝ったのだと、あれで満足しているとするなら、キチガイがハンドルを握っているわけであり、こんなのが道に溢れているから、狂人としか思えないような悪質な煽り運転のドライバーが捕まる報道が連日のようにあるのだろう。免許証の適正検査をもっと厳しくする必要がある。



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 等間隔で不気味に今も残るコンクリート柱。



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 トタンの屋根は大地に伏している。



鴻之舞-14
 溺れ死にないように注意して下さい。



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 ディストピア感、ありますね。人によったら再生中に見えるのかもしれないけれど。



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 鴻之舞に数十年通いながら、見過ごしてきた風景に逢いに行くことにする。

 道路を一本挟んだ向こうのこれまた森の奥。

 ネットが普及する前から、特に調べることもせずに来ていたので、偶然には見つけられなかったということになる。

 一番最初に鴻之舞に来たのは、複数で肝試し的な遊びでだった。

 その時など、車からほとんど降りもせず、一ヶ所だけ灯りが点いていると興奮しながら会話をしてさっさと帰ってしまったのだ。



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 進んで行くと、よくもまあこれを見逃していたなと、鈍い自分に呆れ返った。




つづく…

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