ジェイソン村-2
 存在しないと思われていたジェイソン村の「村」部分は、どうやら、実在していたようなのであった。

 落書きなどはネットが普及する前に描かれた、相当古い内容のものであった。

 途中の道が大分手前で通行止めにされていたり、山道の入口が鉄の壁で塞がれたことにより、訪問者が途絶え、人々の記憶から忘れ去られていたのではないだろうか。

 そこへ、今更という時期に、近年の廃墟ブーム三週目ぐらいからの後発参加も甚だしい、であるからして、より煮詰まった、今では忘れかけられていた廃墟にて、新参者ならではの新鮮な目線で探索活動を行えるというものであろう。

 グラフィティ以前の地元のヤンキー達によるスプレー缶の落書きを施した人らは、今はもういい歳のおっさんだろう。

 小学生のような筆跡に、低能さの滲む落書き。古式ゆかしい(といっても二十数年前後だが)一昔前の日本の廃墟なんてどこもこんな風であったのだ。

 ここは何か、2000年初頭までの、ヤンキー文化華やかなりし頃の栄華を湛えた、どこか懐かしい匂いのする、あの壁の向こうから、髪をオールバックにした仲村トオルと清水宏次朗が睨みを利かせてヌッと出てきそうな、日本が一番元気だった頃に帰れるような、そんな郷愁の中にある心象風景に佇むような廃墟であるように僕には思われてならなかったのである。



ジェイソン村-5
 機能性を最優先にしたような素っ気ない外観。中も極めてシンプル。

 企業の保養施設ぐらいしか思い浮かばない。



ジェイソン村-3
 近頃の廃墟は、腕を競いあっているような、凝りに凝った極彩色のグラフィティに席捲されてしまっていて、どこか僕にとってはよそよそしい。日本に赴任している外人の駐在員の同級生の家にお邪魔させてもらっているようで、どうもケツがむずむずして、落ち着かないのだ。

 そんな時に、こういった落書きと出会うと、『クラスの後ろに、こんな落書きを描いていたような、バカだけど憎めない奴がいたっけな』と、親しみを感じてしまう。これが、僕が帰りたい、いや、帰ってみたくなる、廃墟ではなかったのかと、いつものように、二分ほど、両拳を握りしめながら、落書きを泰然と見入ってしまう、僕   



ジェイソン村-6
 頭の悪そうなメッセージの全てが心地よい。

こうもり会 '95.10.21

 ネットで集まった仲間ではなく、地元の不良グループの有志による、心霊スポットの同好会か。

 Windows98が発売になる三年前。

 僕はパソコン通信の時代からネットをやっているが、1995年なんてまだ周囲にネットをやっている人はほとんどいなかった。テレホーダイをやっていたら、翌日バイト先の人に、「おまえ、ずっと受話器を外して居留守を使っていただろう!」と怒鳴られたことが、昨日のことのように思い出される。「インターネットというものをしていたんですよ、貴方にはおわかりにならないでしょうけど」と説明しても理解してもらえそうになかったので、叱責を甘んじて受けるに任せた、今となっては信じ難いような話。

 廃墟とはこのように一旦立ち止まって、過去に帰って自分を見つめ直す時間を与えてくれる空間ではないのかと、訪問するたびに、あの頃の純粋で毒されていなかった頃の自分に立ち直ろうとする機会を与えてくれる場所  都度、英気を養い、身も心も新たにして爽やかに、廃墟を後にする自分がいる  であるような気がしてならないのだ。



ジェイソン村-4
 ペットか死体しか洗えないような極小の浴槽。

 成人男性だったら、膝から下は確実に出る。

 手前を頭にして入浴する前提で考えてしまっていた。それでは当然、湾曲した浴槽部分に持ち上げられて足は飛び出るだろう。

 錆びてはいるが蛇口があるので、頭部は逆と見て間違いない。でも、傾斜に背中をもたれかけるとしても、足は体育座りのように折り曲げる必要がありそうだ。



ジェイソン村-7
 活動実態を示すような物は全て取り除かれているように思われた。

 しかし、おそらく、唯一、この「ジェイソン村」が何であったかを物語る、痕跡を発見することに成功したのである。



ジェイソン村-8
モーテル シルク

 ピンクのタイルの浴槽をみて、これしかないだろうなとは思ったが、ラブホテルであったようだ。

 それにしても、こんなに人里離れた山を切り開いて、モーテルとは、そりゃ、人も来なくなるだろう。



ジェイソン村-9
 ボイラーの咆哮が山に響き渡り、草木を震わすことは、もう、日本という国が消滅するまで、無いと言い切ってしまえる。それほどに山深い場所である。



ジェイソン村-10
 10号室。
 
 他の部屋にも入り込んでみることに   
 
 
 
 
つづく…

「消えるジェイソン村」レイクサイドのジェイソン村.4

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