オカルト茶屋-88
 御主人はバス会社の整備士。息子さんは遺影を発見したことからも裏付けられた通り、御噂通りお亡くなりになられているものと思われる。長女は大手製パン会社に就職。

 家族のその後はまるで夜逃げか人さらいにでもあったかのように謎めいたままである。

 オカルト食堂には、90年代からミレニアム初頭までの廃墟ブームにおける廃墟マニア、及び心霊スポット巡りのヤンキー諸氏など、多くの人々が訪れることになったが、そのなかでも、上記にあげた数々の新事実を掘り起こすなど、群を抜いて際立った成果を残すことになったこの僕でさえ、身内にご不幸がありながらも、なにゆえに思い出の品々を残されたまま奥多摩の湖畔に数十年も建物がそのままにされているのかは、結局はわからずじまいであった。

 時として、全てを知らなくてもいいことがある。

 そのままにしておいてあげなさいということなのだろう。

 オカルト食堂こと「めいじや食堂」に別れを告げて、再び奥多摩湖周遊道路をSさんの愛車アクアで廃墟ロープウェイのある方へと走り出した。

 ものの数分ぐらいだろうか。

「あそこも探索しませんか?」

 Sさんが目ざとく捉えた、前方に佇む一軒の廃屋を指差す。


 ここにて僕は、ある外国人労働者のものと思われる涙ぐましい胸締め付けられる、ご尽力を重ねられたある痕跡を発見して数十年の汚れがこびりついた畳の上に思わず片膝をつきそうにになる。

 今の日本人がとうに忘れてしまった何かがそこにはあったのだ。

 僕も行ったことのある悠久の歴史をもつあの国から、なぜによりによってこの奥多摩湖のうら寂れた商店に迷い込んでしまったのか、世界一陽気じゃなかろうかと思われる、あの国の人が、さぞ、閉鎖的な田舎の村社会で心を痛めただろうことを思うと、Sさんと向き合うも、睨みあうような沈黙がただただ続くばかりだったのである   



オカルト茶屋-87
 一階部分に縁側の縁部分が無く全て雨戸で覆われている。

 商店であった可能性が高い。
 


オカルト茶屋-86
 戸口の片方は失われていた。青色の波板で塞いであったがペロリとめくるとギリギリ人一人通れる隙間が生まれたのでそこから入っていった。



オカルト茶屋-80
 一階部分はやはり商店のようであった。

 音響機器が陳列してあったので元電器屋さんだろうか。

 店部分の裏側は通路になっていた。

 壁も天井も撓んでいて今にも上と横から押し潰されそう。

 数十年前なら電器屋さんが必要とされていたぐらいこの界隈は賑わっていたようだ。



オカルト茶屋-83
 頼りない階段で二階へ。



オカルト茶屋-75
 二階。

 住居部分だろう。

 どこからか入り込んだ枯葉が多数。

 裏返った間抜けなゾウガメのように逆さの炬燵が為す術もなく虚しく天井に脚を向けていた。

 十数年前にここへ実際に訪れた人の話によると、この部屋には山と盛られた大量の”外国の”カセットテープがあったそうだ。

 単にインデックスが英語表記だったら、「外国の・・・」とは言わないはず。テレビや映画でなんとなくみたことのあるような言語のようだけれど、どこの国かはわからない、というように僕はその人の言葉を理解した。

 その人の訪問からかれこれ十数年、カセットテープはこの部屋から誰かに既に持ち去られた後のようだ。



オカルト茶屋-78
 その証言者によると、このカラの仏壇は当時もあったとのこと。

 金にならないので、誰も持って行かないのでしょう。



オカルト茶屋-76
 埃がベッタリのニベア。



オカルト茶屋-77
 小学生の子供さんがいたのか。



オカルト茶屋-82
 思い出が蝕まれていくかのようだ、と思わず僕がつぶやくと、Sさんは黙って頷いてくれた。



オカルト茶屋-79
 良からぬ噂を立てられかねない状態で不気味に垂れ下がる電気コード。



オカルト茶屋-81
 僕が店内で発見した外国人労働者の痕跡とは、当初は誠に双方に失礼ながら、知的障害者の人によるものではと考えていたところがあった。

 そうとも思われそう(外国人労働者)でもあるが、いやまさか、奥多摩湖まで来て、店員をやらないだろうと。

 しかし、コメント欄で十数年前の訪問者の言葉を受けて、そうに違いないのかなと、確信を深める。



オカルト茶屋-84
 店舗内のおそらくレジがあっただろう背後のベニヤ壁には、こんな落書き、いや、慎ましくも苦労して接客に勤しんだ、外国人労働者であろう人による独学の日本語による接客マニュアルが記されていた。

おれません

ンンなど
ここなど
きあつき
きをつけ
ください

ここなど
きおつけて
ください

かった

 必至にしがみついてでも日本語を習得してやるんだ、間違えてお客様に笑われないように努めなければ、という気概に満ち溢れていた。

 これだけをみるなら、まだ先程の説、知的障害者の方が接客をしていたのではと思えなくもない。

 コメント欄に寄せられた、外国のテープという、外国人の存在を想起させるような証言、加えて、次のもう一つの痕跡により、三つが時を越えて組み合わさることにより、あの国から来た外国人労働者がここで接客販売をしていたであろうことが、極めて濃厚となったのである。



オカルト茶屋-85
 障子がボリウッドスターのポスターで補強されていた。ヒンドゥー語かパミール語かわからないが、インドの新聞も。

 これだけをみた時、なぜここに、インドカルチャーの欠片があるのかと僕の頭をひどく悩ませた。

 ウンナンの南原清隆がインド映画のパロディー映画をやってちょっとしたインド映画ブームが過去に日本で巻起こったが、その時に影響されたここで元々生まれ育った生粋の日本人店員が貼ったのか。奥多摩の山奥でインドの新聞まではなかなか入手できるものではない。

 十数年前の証言、壁の拙い接客マニュアル、障子のボリウッドスターのポスターとインドの新聞、答えはもう出たようなものであった。



オカルト茶屋-89
 名もなきインド青年の秘境奥多摩での奮闘を十数年の歳月を経て掘り起こし、世に伝えることができて万感の思いに浸る、二人   

 正確にはこの時点で僕らは断定は出来ていなかったが、そうであろうというおおよその自信は持っていた。

 店前にはもう誰も使用しないだろうバス停が寂しく立っていた。
 
 日が暮れようとしている。

「今日は大収穫でしたね。時間ですし帰りましょうか   

 Sさんがそういって助手席のドアを開けてくれた。



オカルト茶屋-91
 前回の奥多摩湖の訪問の際、橋を曲がって細い道を入っていった少し先にある廃墟旅館のような物件を実は見つけていた。

 早朝だったので寒いし廃墟とも見分けがつかなかったので見過ごしてそのままにしてしまっていたのだ。

 帰りにあの時の不確定だった旅館に寄ってみようと行ってみたら、なんと、窓や戸が全て外され中もカラになっていた。



オカルト茶屋-90
 逃した魚は大きかったということなのか。



オカルト茶屋-95
千鶴館

 かなり昔から廃業していた様子。



オカルト茶屋-92
 内部は全て撤去されてほぼ何も残っていない。

 やっとこさ見つけ出したのが小判型の栓抜き。通りかかった人、持って行って下さい、ということなのだろうか。



オカルト茶屋-93
 ミリ飯の「しいたけ飯」。

 その場で食べてみようという話も出て二人して盛りあがったが結局口だけでやらずじまい。



オカルト茶屋-94
 前掛けも残されていた。

 出入りの業者さんでしょうか。



オカルト茶屋-96
 千鶴館の最後の姿を見終えた我々は車に乗って都心へと帰途についた。

 エロ本寮で霊に手を掴まれたことをまだ引き摺っていたSさんは「頭痛でとてもじゃないが運転続行は無理」と言い出し、勝手に沿道のウェルシアに入っていって風邪薬を購入。

【あわせて読みたい】森の奥の、廃墟エロ本寮

 その薬がSさんの眠気を誘発しそうで気になったが、少なくとも僕の家までは無事に運転をしていってくれたようだった。
 



おわり…

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