川崎不法占拠-32
 随分としなった造形のソーラーパネルが設置されているようだけれど、でもどこかみすぼらしい。

 百均で売っている保温性のあるアルミシートをガムテで雑に繋げてある。中はダンボールを重ねたものだろうか。それだと強風の日に飛ばされてしまうので、重みのあるどこかで拾って来た布団かもしれない。

 先の長くない手元に余裕の無いご老人が、数年ももてばいいからと、冬の忍び込む冷気に耐えられないと、有り合わせの材料で作った、手作り防寒ルーフらしい。

 子供の頃夢見た、繋ぎ目の無い全身タイツ姿で透明のドームで覆われた街を”動く歩道”で移動する未来人のいる、21世紀。

 これがその、透明チューブを高速列車が駆け抜ける、21世紀の姿ですかと、目をこすりたくもなる。

 世界第三位のGDPを誇る繁栄国家である我が日本に、言葉は悪いが、中学生の工作みたいな屋根の下に住む人達のいる現実。

 あのSF漫画は大嘘だったのかと、背を丸めながら、僕に出来ることは、目を背けないことぐらいであると、使命感さえ帯びて、バラックの小路を進むのであった   



川崎不法占拠-33
 カーテンもなく、夏だったらレンズ効果で皮膚を焦がしてしまいそうなお宅。壁面は一部板が崩落。倒壊は勿論のこと、失火にも最大限の注意を払わないといけない。



川崎不法占拠-61
 建築基準法、全く守ってなさそうです。



川崎不法占拠-63
 こんな荒業がそこら中に。



川崎不法占拠-62
 戸手のある河川敷は国有地と市有地が入り混じっている。しかし、一部には民有地もあり、1966年頃「国際石油」という会社が土地の所有権を主張し、不法占拠を続ける住民らを相手に裁判を起こす。

 戸手の住民は「土地対策委員会」を結成し全面対決で臨むことになった。

 結果、住民側の敗訴となるが、和解で決着する。

 国際石油は住民側に土地を売却し、以後、個人の土地として河川敷に住むことの出来る住人も生まれることになった。

 ただ、大部分の住民はいまだ国有地や私有地に不法占拠する状態が続いており、いまなお立ち退きと背中合わせの状況にあるようだ。



川崎不法占拠-64
 木造バラックの並びには空き地も目立つ。若い人は一定の財を成して出ていかれたのでしょう。



川崎不法占拠-46
 併設の会社「(株)木下」で働く人は戸手の住人ばかりかと思ったらバイクや自転車をみる限り外から通っている様子。



川崎不法占拠-30
 川崎市としては空いた土地にすぐさまバリケードを築くことで不法占拠住人の新たな流入を阻止しているのだろう。

 当初の朝鮮人の方が出ていかれ、民族的偏見から他地域でアパートを借りられない別の国の方に借す事例もあるようです。



川崎不法占拠-50
 強引に塞がれた建物。

 後方確認をしてから、首を突っ込んでみる。



川崎不法占拠-49
 暗くて見えなかったが、かつて工場でも営んでいたのでしょう。



川崎不法占拠-57
 不法占拠の割にはどこもしっかりと鍵をしてある印象を持った。

 ここは閉鎖空間とはいえ、僕のような者も潜り込めるので仕方がないのか。



川崎不法占拠-51
 一人去り、二人去り、住人の気配はするものの、もはやゴーストタウンに近い。

 木下の工場入口には守衛の詰め所まであって人も常駐しているようだったが、僕は大手数社の警備会社で施設警備の経験があり、警備員とはなんの権限も無く影響力も行使できないことを知り尽くしているので(暴漢と対峙しても指さえ出すなと講習で指導される)、まぁ、大丈夫だろうと、正当性を確かめるためにも、突っ切って行ってみることにした。




つづく…

「コンパクト・スラムシティの末路」川崎の不法占拠朝鮮人部落に行って来た.5

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