府中基地跡
 もう撤去されてしまい更地になったものばかりと思っていた、府中米軍基地跡こと「府中通信施設」。象徴的な二つの大型パラボラアンテナと関連施設に限って言えば「府中トロポサイト」と呼ばれているそうである。

 前回、更地になる前にこの眼でみておこうと訪問してブログの記事にしてから少しの時間が経過したある時、ついに解体が始まったとニュースで知ることになった。

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 そのニュースからしばらくして様子を見に行ってみることにした。生涯学習センターから右回りに歩いてみると、なるほど、宗教施設から都営アパートのある付近の柵の向こうの広大な敷地一面が剥き出しのコンクリートの基礎だけになっていた。朽ちて押し潰されて不気味な醜態を晒し続けていた米軍関係の建造物などはゴッソリ刈り取られたかのように根こそぎ片付けられていたのである。鬱蒼とした森もろとも。

 全体の四分の一ほど見たところで、皆まで見ることもないな、数年後に新しい施設が建てられたらどんな風に様変わりしたのか確認しに来てみようと、その場を後にすることにした。

 それから月日が過ぎて、府中の米軍基地跡のことなどすっかり頭の中から消え去っていた、ムッとするような暑さの続くある夏の日のこと   

 難攻不落、というより、ジリジリと鳴ることで近寄り難いと評判の「ローヤル」への解法を見事指南してくれたある信頼出来る人物から「府中の米軍基地跡、まだ施設残ってますよ」と教えてもらうことになったのだ。正確に言うと、僕が全体を確認していなかっただけで、単に勘違いしていただけだったのだけれど。でも府中市の予定ではとっくに施設全体は取り壊しになっていたはずである。

「えっ、本当に?」

 早速確認するべく行ってみたところ、施設跡と隣接する都営アパート及び慈恵院付近からパラボラアンテナまでの間にあった建物は撤去されていたが、パラボラアンテナを境界線にするかのように、そこから美術館通りまでの大半の施設はまだ手付かずでそのままあったのだ。

 そこで行っとけばよかったが、ダラダラと過ごす日々が続き、ある日、バイクを流しがてらまた様子を見に行くと、なんと、平和の森公園内の柵から見渡せる米軍関連施設跡の施設という施設の窓という窓に、頑丈そうな板が建てつけられていたのである。まるで、僕の探索心に蓋をするかのように。美術館通りから見える廃墟も同様だった。喪失感から深い溜息をつき、目が眩んでその場に倒れ込みそうになった、僕。

 これだから、廃墟は水物であると、あれほど自分に口を酸っぱく言い聞かして来たのに、いつまでもあると思い、先延ばしにしてきた僕はなんと愚かであることかと、もう見られないのかと思うと、あまりの悔しさから、往来の激しい路上で日本刀でも振り回しながら行き交う人を罵倒しまくりたくなるような気分にもなった。それほど悔やんでも悔やみきれない廃墟好きあるあるなのである。過去何度も繰り返して来たような、同じ轍を踏んでしまったなと。

 幼い頃に調布飛行場の米軍ハウスの廃墟の窓から覗き見た、土で汚れた英字新聞に錆びたキャンベルのスープ缶、アメリカンカルチャーとの生の遭遇にそれはもう視姦ともいうぐらいに僕はただひたすらに見続けていた。せいぜい遠出が伊豆ぐらいが精一杯だった頃に、アメリカが、手の届きそうな、すぐそこにあるんだ、と。

 その時の僕はなぜ、手でちょっと捻ればこじ開けられそうだった赤錆の鉄条網をくぐって廃屋の中に入らなかったのか。管理も何もなく、放ったらかしだった時代。管制塔にだって忍び込めそうであった。実際、行けば子供だから見学させてくれただろう。

 抗いようのない蓋のことはもういい、悔まないように、あの頃の空気だけでも吸ってこよう、でもなんとかならないものかと、敷地内の森の繁殖力の弱まる冬枯れの季節のある日のこと、府中のアメリカ空軍施設跡にバイクを向かわせようと思ったが、現在生涯学習センターは改修中でバイクを停められそうにないので、電車に乗って行ってみることにした。



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 以前からの下見で当たりをつけていた場所でトライ。住宅街のど真ん中だ。大失敗。僕の体力じゃとても無理。

 慌ててその場を離れて、しょうがないので敷地の外周を回って様子をみることにする。
 
 小金井街道を左折して美術館通りを生涯学習センターまで進む途中にゲートがある。当然閉まっていたが、敷地内にエンジンのかかったスクーターが停まっているのが見えた。スクーターの傍らにはおっちゃん。帽子はかぶっていなかったが、制服からして警備員だろう。

 朝の定時巡回なのか。急に呼びつけられたような面倒くさそうな顔をしていたので、もしかしたら、僕のあられもない姿を目撃した住人からの通報が警備会社にいった可能性がある。

 閉まっているゲート前の歩道を通ると、その警備員のおっちゃんが怪訝そうな顔で僕の方を見る。

『こいつが住民からの通報のあった奴か?』

 考え過ぎだろうか。

 これから会社に行きますよみたいな顔をしてその前を通り過ぎた。

 いろいろあって、気づくと、屋根の高い工場みたいな建物の中に僕は迷い込んでいた。



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 都内の広大な敷地に封印された森。建物は規格外、看板標識は英語表記。

 幼少の頃に届きそうで届かなかった、壁の向こうのもう一つのアメリカの文化が確かに存在した、というより、森に没しようとしていた。



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 割れた窓に吹きさらしのドア。

 板張りの窓はつい最近施されたもの。通りからの見てくれを気にしたものであった。

 風や雨が容赦なく入り込むために、床には数十年間分の堆積物が降り積もっている。



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 グラフティ汚染も。まぁ、ここほど似合っている場所は無いんじゃないかと思う。

 ステンシルで描かれた禁煙の表記は工場と思しき場所にとどまらず、この後、至るところで見ることになる。



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 張り詰めたワイヤーも緩むことなく。



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 動かしてまで、廃墟で椅子を活用する人、よくいますね。同じような写真が量産されるという。アイドルの水着写真でいうと、胸の谷間みたいな。作為的でこれ見よがしみたいなのは僕は好きではないのでやりませんが、前の誰かがやったのなら自然の成り行きとしてそのまま受け入れることにしている。いつのかしれない先人の痕跡を動かす方がわざとらしいので。結果、同じことなのかもしれないが、やらせではないので、みてくれる人を裏切っているような後ろめたさはなくなる。随分とご都合主義な考え方かもしれないけれど。



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 奥の部屋へ行ってみる。



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 壁がブルーからピンクに。



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 1974年(昭和49年)に基地降旗式が行われたので、それまでは米軍関係者がここを歩いていたはずだ。



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 米兵のコンバットシューズがあった。

 まさか、後に補修工事などで出入りしていた土木作業員のではないだろう。



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 日本国内であるのに、非常口表記さえ、どこもかしこもアメリカン。



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 施設の位置的に、米軍通信施設の総合的なオフィスかもしれない。



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 オフィスへ入るドアの背後にある手洗い場のペーパータオル、最後の一枚が残ったまま。正確には、掃除機のコードのもう伸びませんよを伝える黄色いテープみたいな、終わり部分の余白の紙であり、最後に使用した人が引っ張ったらガクンとストッパーとなって、指でつまんだ部分だけが千切れたものに違いない。



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 軽く、アメリカ海軍式敬礼をする。といっても、至ってノーマルのを。



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 横の頭上の壁にもノースモーキング。

 1970年代ならアメリカ人もスパスパ吸っていたはずだが、そんな厳格に守れていたのだろうか。



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 この後、ここ最近寒くて廃墟訪問をしていなかったものだから、カメラの電池量が減っていたのに気づかずに早々にバッテリーを切れを起こしてしまうことに。

 大半をコンデジに頼りながら夕方まで滞在したが、都内でありながら、誰一人、自分以外を見かけることがないという、奇跡のような体験をすることになった。




つづく…

「選ばれた部屋」実はまだあった府中米軍基地跡に行って来たよ!.2

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