吉祥寺-45
 大気中を漂うアスベストを吸ってしまわないだろうか、そうでなくとも数十年前の澱んだ空気がそのまま滞留する部屋でじん肺を発症しやしないかと一瞬躊躇するが、僕のとどまるところを知らない熱々の溶岩みたいな横溢する探究心はもはや自分でさえ制御不能であった。

 隣の部屋、旧本殿に足を踏み入れることにする。

 暗所で懐中電灯に照らし出されたのは鋳物のハトか。積年の埃により本来あっただろう輝きは失われていた。



吉祥寺-43
 こうやってみると僅かに視界が届いているように思われるかもしれない。これは高感度耐性に強いカメラを通しているからであり、実際は自分の足元も見えないような漆黒の闇である。



吉祥寺-46
 平成も終わろうとしているのに、昭和の二十八年に”中野ふさ”さんから寄贈されたであろう真新しくも見える幕が無造作に掛けられたままであるというその異次元ぶりにしばし目を瞬きするのさえ忘れてしまう。

 右手にカメラ、左手で懐中電灯にそろそろ限界を感じ、フラッシュを焚くことにする。



吉祥寺-47
 早速写し出されたのは、ハライチの澤部にそっくりの額入り肖像写真。ご当主か。

 若いのに無理してカイゼル髭を蓄えているのは、年若で家督を継いだので威厳を殊更強調したかったのかもしれない。



吉祥寺-48
 誰に拭いてもらうわけでもなく、位牌までもが放置されてそのままに   



吉祥寺-49
 まるで動き出しそうな毛虫みたいに柔らかく体を曲げている提灯。



吉祥寺-50
 吉祥寺と書いてあるのか。

 読めません。



吉祥寺-52
 棒で叩くと音のなる銅製の鉢「磬子(けいす)」をのせる台と座布団。

 磬子自体は廃品業者に高く売れそうなので盗まれた可能性もあり。



吉祥寺-51
 一富士二鷹三茄子を木製のレリーフにしたもの。

 中学生の図工レベル。職人によるものではなく、ご住職のお手製だったのかも。ご家族や檀家さんが今年も幸せでいられるようにとの思いやりの心はひしひしと僕の胸にも伝わってきた。



吉祥寺-53
 基底部が腐ったのか仏壇が傾いている。

 現本堂はあることだし、朽ちるがままにまかせているのでしょう。



吉祥寺-55
 絵も中心部から下に。月日の為せる技。



吉祥寺-56
 下が腐って仏壇が傾きある程度の勢いをもって横の壁に激突。土と竹と紙だけの壁が脆くも崩れた。



吉祥寺-57
 詳細は知りませんが、これを読みながらお経をあげていたのでしょうか。



吉祥寺-58
 引き出しを開けてみたが、特にこれといったものはなかった。



吉祥寺-59
 七福神の木彫人形。もう必要ないとはいえ、なかな片付けられないのもわかる。



吉祥寺-60
 生前はご家族で浅草寺に行かれたようです。



吉祥寺-61
 経典とかが積み重ねられているのでしょうか。



吉祥寺-63
 「どうですか?」と品評を促されても答えに窮するような出来映えの絵。



吉祥寺-62
 『御主人がお帰りにならない』と、大粒の涙を今にも流しそうな海亀の剥製が物悲しい遠い目をして今も主人を待ち続けているようであった   
 

 ようやく、ご住職の素顔、ベールに包まれていたパーソナリティーが白日の元に晒されるような貴重な残留物の掘り起こしにおそらく吉祥寺探索史上初で成功の運びとなる。

 これも日頃僕が常に自分に言い聞かしている「人より一歩前に一メートル深く一時間多く対象者と向き合え!」を真摯に実践している賜物なのだろう。

 聖職者ではなく、人間としての御主人の深層に稀代の探索者が喉元をエグるように迫ってゆく   




つづく…

「中庭を漂流する骨董品」廃寺参拝に行って来たよ!.5

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