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 並べられた、旭山ドライブイン御主人愛聴盤のシングルレコードたち。いかにもな、いぶし銀のラインナップが揃う。

 井沢八郎は、現在富士山の裾野に居を構えていらっしゃる、ご存知山ガール「工藤夕貴」のお父さん。工藤夕貴がデビューした時は親の存在を隠していたが、新人特需が無くなった頃に公表。でも工藤夕貴のファンは誰も知らなかったという。こち亀初期の両さんがファンで(古臭くてバカにした感じだったが)よく井沢八郎の名前を出していた。

 当時は国民的歌手の大阪万博の歌も歌った「三波春夫」に、個人的にはよく知らない「大木伸夫」。

 店内で流れていたこともあったのだろう。

 大木伸夫の「涙の酒」が流れる店内。コーナー談義に花を咲かせる2ストレプリカバイク乗りの少年たち。年代やジャンルを超え混濁した化学反応。えも言われぬような情緒が漂う店内。

 そんな混沌とした空気、時代に、訪れてみたかったものです。

 

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 部屋の隅に目をやると、和風のハンガーラックには、昨日脱ぎたてのような御主人の人肌さえこもっていそうな襟付きシャツに、ポロシャツ。



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 ミニ桐箪笥を開けてみる。

 車の鍵や腕時計、宝飾類が本来なら入っていそうだが、仮にそうであったとしても、既に盗られた後だろう。

 活動をしていた建物がやがて廃墟となり内部はどのような変化を遂げてゆくのか。

 興味を持ったのは風化や劣化ではなく、人による略奪や破壊行為。僕が訪れるのは人の手によって荒らされた成れの果てのような現場ばかり。そこには一体どうしたらこうなるの?と頭を傾げるようなもので溢れている。ことごとく粉砕されている便器であったり、部屋の中央で逆さまになったミシンなど。

 このブログが”廃墟を読み解く”と標榜している以上、理不尽さを説明するためにも、そうなった過程を追った文献でもないだろうかといろいろな本を漁ってみるが、なかなか現役時代から廃墟化までを観察しているものはない。

 何も理不尽さの全てを説明は出来ないだろうけど、ある一定の法則や申し合わせたように訪れる窃盗犯には似た行動パターンがあるはずだ。

 廃墟関連図書では、朽ちて緑に覆われて寂れゆく様の廃墟美を淡々と載せた写真集、探索物があったとしても精々場所を発見して悦に入っているような本ばかり。ネットがここまで普及してしまった今、場所をもったいぶって紹介しているような読み物にはもはや価値はない。かつての記録としての存在価値はあるだろうけど。

 定点観測のような過程を撮ったものはあっても、廃墟化黎明期の混沌から追って紹介しているものはみられなかった。

 しょうがない部分もある。今日から廃墟ですよ、という明確な区切りがあるものでもないし、熟成過程にはそれぞれ差がある。人が去った真新しい建物に今日居合わせたとしても、鋼鉄のプレートで覆われていたとしたら、荒廃は先延ばしになり、次第に混沌となってゆく様子は、近所に住んでいない限りお目にかかれないだろう。

 人が去った直後と廃墟のカオスの隙間を埋める読み物はないものかと探すなか、ある一冊の写真集を手にする。

 軍艦島を廃墟として捉えた先駆けの写真集「軍艦島 棄てられた島の風景」という本。絶版となっているが、図書館で頼めば地下の書庫から持って来てくれて借りて読むことが出来た。軍艦島がブームだった2000年初頭に再構成編集された「軍艦島―眠りのなかの覚醒」は今でも手に入る。

軍艦島―眠りのなかの覚醒
雑賀 雄二
淡交社
2003-03-30




 当時学生だった写真家の雑賀雄二さんはキリシタンを題材に長崎で撮影をしていたが、テレビで「端島炭鉱閉山」のニュースを知る。子供の頃に百科事典でみた異様な姿のあの軍艦島かと、完全閉山をする三ヶ月前に島に入る。そこで住民が離島するまでを撮影。

 彼は端島の小学生達に大いに気に入られ「伸郎、明日も来いよ」と言われたり。ちなみに、当時人気だったあのねのねの「噂の東京マガジン」の清水国明じゃない方の原田伸郎に似ていたためにそう呼ばれていたとか。

 ある女子小学生は、雑賀さんの姿をみると着いて来て離れない。彼女が島を去る際には「千葉まで一緒に行こう」とまで懇願される。撮影があるので断ると「じゃあ、明日船の見送りに来てね」。

 翌日、桟橋まで行くとそこには、島との別れ、新しい土地に行くのに恥ずかしくないようにと、親が奮発したのだろう、炭鉱の島には似つかわしくない真新しい白いコートを着飾った可愛らしい少女の姿が。

 そんなホロリとする別れもあったが、離島する住民が慌ただしくするなかで、断腸の思いで置いていくのであろう、家財道具やテレビなどを、対岸から来ているオバさん達が漁る光景。島民のオヤジの「やめろ!」にも構わず。

 十年後、再び彼は軍艦島に上陸する。今では信じられない話だが、まだ損傷の少ない校舎の最上階付近の一室にテントを張って、一週間の滞在で。巻末の文章ではそうだが、彼はそれ以外にも何回も訪れていた。

 荒廃は進行していたが、他の軍艦島の写真集に比べれば十年は前なので、激しく傷んでいるとまではいかない。

 巻末の文章に、僕が読みたかった、隙間を埋める答えのいくつかがあった。

 まず、閉山離島直後に金属ドロが横行する。便器が粉砕されているのは、鉄パイプを手っ取り早く取り外すためらしい。僕は北海道の廃炭鉱でいくつもの粉砕便器を目撃してきて、地元のヤンキーが大暴れをしてかち割ったものばかりと思っていた。どうやら違ったようだ。多くの廃墟ものの文章を読んだが、それにはっきりと言及しているものはなかったので、ようやく答えらしい答えを見つけたなと。

 階段の滑り止めの真鍮さえ彼らは盗んでいった。

 軍艦島関連の本ではよく書かれているが、比較的新しいテレビが盗まれていき、残ったのは昭和30年代のレトロなテレビ。よって、軍艦島の廃墟写真集には郷愁を誘うビンテージもののテレビがどうよとばかりに登場する。

 島内で自主制作のホラー映画が撮影されたらしく、おどろおどろしい色に着色されたマネキンや口をかたどった発泡スチロールが島のいたる所に散乱していた。

 僕はそういう後の無法地帯化には寛容的であったが、雑賀さんは良しと思わずに、舌打ちをしながら撮影の小道具などを燃やし、被写体には入れていない。

 一方、後の廃墟ブームの時の写真集では、それらをふんだんに取り入れて、雑賀さんのそれと比べると、さながら見世物小屋のようなケバケバしい印象を受けるのだ。

 地元の人は炭鉱を悲惨に語るなと、土門拳にも文句を言っているぐらいなので、純粋に朽ちた廃墟と演出されたものを比べてしまうと、やはり自然に身を委ねながら没していく廃墟にかなうものはないと少し考えを改めさせられた。

 廃墟でマネキンやエログロなアイテムがよくあるのは、まぁ、そういうことだったのである。エロビデオ撮影や様々あるのかもしれないけれど。

 

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 なかには、服を剥ぎ取って床に散乱させて撮る人もいるのかもしれない。

 僕は後の人為的な変化には抗えないが、この場の今の空気の保全に努めようと思う。



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 タグの付いた未使用新品のスカーフ。

 先立たれたお婆様のでしょうか。



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 この室内には自然にも何もないが、ここまでまとまっている姿はもう見られないのでしょう。



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 子供の立っているテーブルの引き出しも一応開けてみた。

 書き記すまでのものはない。

 廊下の突き当りにあるトイレへ   



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警察に連絡済み
不法侵入です!!
クソ外でしろ!!

 コメント欄でお孫さんが「勝手にトイレを使用する人がいたり・・・」とおっしゃっておられましたが、このことだったようです。

 御主人であるお祖父様、相当おかんむりだった様子。

 旭山ドライブイン末期、店に客足は無いのに、勝手に二階に上がり込んでトイレで用を足す人が絶えなかったのでしょう。



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 怒りの発火点、物議を醸した、その問題のトイレ。

 至って普通。



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 脇の壁には束になって吊るされた野球観戦時に用いるメガフォンが。

 どこぞのチームのファンかなと思ったが、セ・リーグからパ・リーグまでバラバラ。



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 空の衣装ケースに退色したバルタン星人のステッカー。

 カズ少年とは時代が合わないのか、ウルトラマンはブームが何度もあったので定かではない。



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 トイレの向かいにドアがあってそこから外に出られるようになっていた。

 その先には苔むしたベランダ。広いテラスになっている。

 倉庫があったので入ってみることにした   


 

つづく…

「伝説を語り継ぐ、探索者」解禁、カズ少年の見守る峠の廃墟ドライブイン.7

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