吉祥寺-65
 『アタタタタタタタタタタッ』と、ご丁寧に、一つ一つこぶし大の穴が穿たれたのであろうか、マスの全てに穴の空けられた障子紙。引き裂かれた唐紙に壁紙。

 晩年、ご住職が痴呆症になり、暴れまわって、このようにしてしまわれたとは考えにくい。

 歴史ある建造物に過去に来た探索者気取りの侵入者達が好き勝手にやった結果がこれである。群れで来て気分が高揚して脳内で脳内麻薬物質のβ-エンドルフィンが分泌されてハイになって・・・なんていう言い訳は、僕の前では通用しない。

 彼らに代わって、僕が謝らせていただきますと、裸電球の垂れ下がる直下にピタリと立ち、写真の額のある方へ向き、深く、慇懃に、頭を下げさせてもらった。

 鉄道アマチュア写真家のマナーが社会問題にもなる昨今、小さなことからでも、正していこう  人ひとりの力はとても小さいけれども  そう胸に刻み込み前を見据える、僕なのであった。



吉祥寺-64
 誰もいない薄暗い旧本堂の一室で深々と頭を下げている時、足元にあったのがこの封筒。

 現金書留。

 檀家さんから送られて来たのだろうか。

 「金子萬五郎」とあるので、前出の恭一さんのお父様か。



吉祥寺-67
 写真の額のある並びには薄くなってはいるがこんなものまで。

 フィルム写真以前の、銅板に銀メッキを施して感光させた銀板写真ではないだろうか。写っているのは飛脚か火消しか。

 1888年にコダックが世界最初のロールフィルムカメラを発売しているので、この写真は約100年ぐらい前のもの?



吉祥寺-66
 縁側は物置代わりになっていた。



吉祥寺-68
 部屋を挟んだ反対側の勝手口と思われる場所も物置のように。



吉祥寺-44
 金子さん、お邪魔しました。

 次はご自宅の方を拝見させていただきます    



吉祥寺-73
 旧本堂から隣室に戻る。

 当然だが、何も変わっていない。



吉祥寺-69
 もう少しで踏みそうになった、「カルケット」の缶。

 イトウ製菓の子会社「株式会社カルケット」が現在も製造販売している「カルケット」とは違い、「中央製菓株式会社」の表記がある。



吉祥寺-36
 ここからも見える、ピロティのような空間を備えた木造二階建てのご住職のお住まいへ   
 


吉祥寺-37
 骨のようになった障子が橋渡しのように横たわる。



吉祥寺-136
 旧本堂と自宅の間には廊下が通されていた。



吉祥寺-138
 廊下の壁や屋根は崩れてしまったけれども。



吉祥寺-137



吉祥寺-74
 國民新聞とは、徳富蘇峰が1890年(明治23年)に創刊した日刊新聞。現在の『東京新聞』の前身の一つ。
 


吉祥寺-140
 よく火事にならないで残っているものだ。

 お寺を限定公開することで、結果として、マーナーの悪い喫煙者などから建物を守っているのだろう。



吉祥寺-75
京の 味道楽 土井本舗

 ご住職の好きだった飴。



吉祥寺-142
 タイヤだかなんだか、様々な物が転がっている中庭。



吉祥寺-135
 バラの図柄のアルミ製弁当箱。

 タイムカプセル無制限開封状態。



吉祥寺-132
 襖に文字が書かれたご住職の自宅というのは、この二階に間違いないだろう。一階部分はどう見ても倉庫。

 上を見上げると階段は外れていた。二階部分を支える後付の鉄製の支柱は細くて錆びてなんとも頼りない。

 二階の部屋に入るには、まず、ジャンプをして二階入り口の端に上半身をガバっと乗せる。腕はアンカーのように二階床と体を繋ぎ支える。宙ぶらりんになった体を必死に支えねばならない。

 ぶら下がった状態から、二の腕と腹筋を効かせて反動で一気に下半身を二階へ。両足を二階まで持っていくのは、逆上がりをして、鉄棒の上に立つぐらいの難度を必要とするだろう。

 その超難度の技をこなしたとして、急激に荷重ののしかかる二階を錆びた支柱は耐えられるのか。

 えいや、と踏ん張った瞬間、支柱が重みでズレて二階が崩落して僕が瓦礫に押しつぶされる、そんなことも十分考えられる。

 瞼をそっと閉じ、意識はしていなかったが、一休さんのように両方の人差し指をこめかみにめり込むぐらい押し当て(昔からこうすると頭が冴える)、しばらく考え込む、僕がいた   
 



つづく…

「暴かれたご住職の秘密」廃寺参拝に行って来たよ!.6

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