相模湖-108
 和歌子部屋には交換日記だけではなく、日々の生活を記述した彼女個人としての「日記」も実は残されていた。

 今回改めて表紙を眺めてみると、探索時には目にも入らなかった、オリジナルに加筆されたであろうある差異に気づく。擬人化されたウサギの周囲に三角や四角の図形が配置されているのだが、それらの図形の中に、和歌子ちゃんの肉筆によって文字が書き込まれていたようなのである。あれ、これは印刷された文字ではなかったのか、と、数十年ぶりの新事実の発見に、暗号解読に臨むような胸騒ぎを覚え、色めき立つ、僕。

 下から右回りに、「わ・か・こ」と書いてあるのはわかった。

 では、あとの文字はなんだろうかと、検証してみるが、これがまた、当時少女の間で流行っていた「丸文字」という独特のクセのある字体なので、判読は一筋縄ではいかない。

 恋人の名前を書いてあるのだろうか。崩れた丸文字であっても「mineo」や「芳幸」にはどう頑張っても見えないので、もし好きな彼の名前であるとしたら、この日記が書かれたのは交換日記の時代より前か後ろかということになる。

 ある一点に集中してみる。「さ」とばかり思っていて、それで言葉がどうしても繋がらなかったが、それを「え」と読んでみると、なるほど、和歌子ちゃんによる暗号か何かと思っていた文字列は、どうってことない、彼女の苗字なのであった。

 今まで気にもとめなかった、お宿の経営者であるご主人のファミリーネーム。

 そうですかと、特段珍しくもないありふれた苗字を頭の中で反芻してみる。真相に少し近づいたわけでもないのかと、新発見が肩透かしであったことに大きなため息も出かかったが、このことで、交換日記をしていた当時の二人の尋常ではない親密度が奇しくも推し量れることになったのだ。

 中学生ぐらいなら、相当仲の良い男女でも、お互い苗字で呼ぶのが一般的である。例え二人が恋人関係であるとクラス内で認知されていたとしても、名前で呼び合おうものなら、見せつけているのか、気に食わない奴らだと、妬み嫉妬の的となり、嫌がらせを受けイジメの対象となってしまうので、対外的には名前で呼び合うのは避けるのが普通だ。日本では、多数派とは違うはみ出したことをやると憎悪を向けられてしまう、そういう国なのである。中学生自身が中学生というポジションにおいて、それはマセている(名前呼び)という意識を強く持つ。

 海外旅行中、スウェーデン人に、日本人は下の名前じゃなくて苗字で呼び合うのだと言うことを教えると、彼は大層驚いていたが、ブルガリア人もそうなんだよ、と、逆に豆知識を授けてもらったことがある。その後、ブルガリアに行き、ネットでも調べてみたが、ブルガリア人が苗字で呼び合うことを確認出来てはいない。

 クラス内では苗字で呼び合う二人であったが、二人だけの空間、及び交換日記内では、一見和歌子ちゃんの方は、付き纏われているぐらいの距離感を出していないこともなかったものの、ファーストネームで呼び合うことで、彼女の苗字が判明したことをきっかけにして、二人の恋がそう軽くはなかったことに、僕は今更ながらに気づかされたわけなのであった。



2
 そんな中学生同士の密接な関係であっただろうことが窺われる、和歌子ちゃんと峰尾君の交換日記。
 
 今回は芳幸君から和歌子ちゃんへ。

 芳幸君は願書を出し終える。その時、父親との意外な偶然があり、思わず言葉を失いかける。そんな奇跡、あるのだろうかと思ったりもしたが、以前コメント欄でそういうことを書かれた人がいたので、奇跡中の奇跡と言うには表現が大き過ぎるのかもしれない。いや、でも、そういう人が引き寄せられて集っているのかもしれないので、冷静になって考えてみるとやっぱり、レアケースなのかも。

 卒業式の時に校長に一筆してもらう言葉。和歌子ちゃんが選んだのは、なんと「征服」。それに対して、足元も震えんばかりの芳幸君が軽いノリのもうおなじみになった感もある『かぁ~』で応戦する。

 以前の日記で、感情の移り変わりが激しいと発した和歌子ちゃんに対して、もしやフラれてしまうのではと、おののいて疑心暗鬼になった峰尾君が、それってどういうことなのよ!?と、手元は震え仄めかし気味に彼女に問いただした。

 本能に忠実なのよと、彼女。我儘なのかも、と。和歌子ちゃんは遠回しに聞いてくる芳幸君の心中を察しており「峰尾が想像した答えはどうだったのかな?」と、年齢差十五歳ぐらいの大人の女性の貫禄を見せつける。見透かされてたじたじの態度で峰尾君が今回、安堵の息を漏しつつ、まるで釈明をするように、和歌子ちゃんへ返答をすることになった   



m12
                           to わかこ
・いや~ 、願書出し終えて、少し”ホッ”としておりま~す。
しかし、あの津高ってとこぁ~ 、ホント~に おっかない。
マジで、”やさしい先輩も、いてほし~。”
なんか、男の先輩よりも女の先輩の方がこわそ~。 コワ・コワ・・・・。
本当に、なんか つかれましたねぇ~。 あぁ~ぁ。
オレの受験番号さ、177なんだ - - - - - 。(もう、知ってるなぁ~。)
なんと、うちのお父さんの車のナンバー・プレイトも、177だったんだよ
ね~。- - - いや~ 、ぐうぜんですなぁ~。
ごめん ・ ・ ・ ・ わかこは何番だったっけ~。 195だっけ~ 。
 まださ、気はぬけないけどさ、少し”ホッ”としたな。
     あと 入試まで”21日”だぞぉ~。
                             がんばろ~ぜぃ !!
。”征 服” かぁ~。 ・・・ なかなか , 考えたねぇ~。
オレなんかさ~、 - - - - なんだっけなぁ~ ? たしか、”えとう”と
同じだったんだよねぇ~。 - - - ”希望”かな~。

・わかこ~. そうだったのか~ オレはてっきり - - - - ねぇ~ 、かん
ちがいしておりました。いやぁ~ 、かんちがいもいいとこですは。
ハッハッ ハハハハ ・・ ・・・・ 。 ごめんです。
いやぁ~ 、 はずかしいでごぜぇ~ます - - - ・ です。
まぁ~, わかこはん . ここは、ひとつ、聞かないで おくんなさ
い。 おねげぇ~しますだ。 - - - - なかったことに - - - 。
- - - - い や , オレ は , わがままだとは、思はないぜよっ。
正しいと思ったことを、まげぅに主張できることは、すばらし
いと、思いやすよ。 - - ・ ・ う ン ・・・ ホント ~に。 
                        女の子にしては、”りっぱ”でっすよ 。 ・ ・ ・ ・ はい。

・みんなは、どうかしらんが、オレは ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ 恋人から結婚へ
と. まあ , こんなもんですね~ 。・・・ ところで、わかこは~?

願書提出を終え、自分が入学する予定の高校の女先輩の悪口を言うまでに落ち着いて余裕を見せる、峰尾君。

>オレの受験番号さ、177なんだ - - - - - 。(もう、知ってるなぁ~。)なんと、うちのお父さんの車のナンバー・プレイトも、177だったんだよ

驚くことに、芳幸君の受験番号とお父さんの愛車のナンバープレートの番号が同じだったという。もしや、加えて、車種がいすゞの「117クーペ」だったりする可能性はあるのだろうか。それだったら、もっと大騒ぎしているはずなので、さすがにそこまでは重ならなかったらしい。

>”征 服” かぁ~。 ・・・ なかなか , 考えたねぇ~。

お宿の長女である和歌子ちゃんが、大垂水峠の山よりでっかい野望を持っていて、危険な思想さえ疑われかねない「征服」という過激な支配欲さえ心の奥底に宿していそうな、危うい兆候をむざむざと見過ごしているばかりか、「考えたねぇ~」などと、見当違いも甚だしい、終始能天気でお気楽な振る舞いを続ける、峰尾君。絶妙な攻めと受け、であるからこそ、二人の仲は均衡が取れていたのか。

>たしか、”えとう”と同じだったんだよねぇ~。 - - - ”希望”かな~。

和歌子ちゃんが能動的に自ら行動して相手を抑え込み我が物にするのに対して、芳幸君は、江藤君からパクったのか、同じでも構わないというオリジナリティの欠如、主義主張の希薄さを感じる、与えられるのを待つ、日和見主義的な考えを持つ、彼女とは正反対の良く言えば平和主義者。良い夫婦にはなるのかもしれない。

>・わかこ~. そうだったのか~ オレはてっきり - - - - ねぇ~ 、かんちがいしておりました。いやぁ~ 、かんちがいもいいとこですは。

そう深い洞察はしていないが、とりあえず、捨てられる可能性は無さそうだと、すっかり安心しつつも、わかったわかったと言いながら、『そうなんでしょ、そうしてよ(僕から気移りしないで)』と、言葉の裏で気弱に訴えている、完全に主導権を彼女に握られている、峰尾君。

>わかこはん . ここは、ひとつ、聞かないで おくんなさい。 おねげぇ~しますだ。

彼女の言葉に狼狽して、涙ながらに足元にしがみついて懇願しているような姿を見せてしまい、顔が真っ赤になり、羞恥心のあまり、聞かなかったことにしてくれと、拝み倒す、彼。

>女の子にしては、”りっぱ”でっすよ 。 ・ ・ ・ ・ はい。

地べたに額を擦りつけているだけではなかった。男としてのプライドも見せ、今の世なら何様だと言われかねない、上から目線の言葉を吐いてみせ、一矢を報いた。

>みんなは、どうかしらんが、オレは ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ 恋人から結婚へと. まあ , こんなもんですね~ 。・・・ ところで、わかこは~?

恋に純粋な芳幸君は、精神年齢が低いのもあるのか、恋人なら結婚を考えるのが当然であるという意見を持ち、和歌子ちゃんに同意を求めるのであった。



m13
- - - だってさ、見合いよりさ、恋愛の方がいいからさ、やっぱ、
恋人とけっこん相手は区別しないよ。 - - - - オレ は - - - 。

・あの”ゆめ”かぁ~ 。オレさ、カメラ・マンって,書こうとしたん
だけどさ、みんなが、”Hな方へ”,とるとこまるので、(あたってたりして。
なんのこっちゃぁ~ 。)やめまひて 。
- - -  ・ ”一流会社の社長になりたいドェ~ス!!”なんて , 書いてしも~
たぁ~。 - - - そうせ、無理ってのは . わかってんので。
そのよこに、”ほとんど,無理”って書いといたんやぁ~ 。
                         トッ ホッ ホホホ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。

・”世界に通用するような仕事をしたい。” かぁ~ 。
いや~ 、 りっぱだねぇ~ , わかこの考え方は 。
わかこは 、りっぱな女の子だなぁ~ - - - - おもわず、かんしんしてしも~た~。

 - - - - オレ、男だっていうのに - - - まけそう~。

オレも、わかこの考えと同じで、そう思う - - - 。

・でも、あの”バスのこみぐあい”やだねぇ~。
あっちにゆらゆら、こっちにゆらゆら - - - まいったねぇ~。
 - - - も~ぅ. バス きらい。 ・・・ (なんてねぇ~。)

                                  ・技術 むずかしいべぇ~。
                                     まぁ~、てきとうに、ガンバ ~!!
                                         家庭かなんて、もう、めちゃくちゃよ~。

                            では、バイ ナラ ・ ナラ!!

見合いよりは恋愛結婚という、自由な愛を求めているにしては、恋人イコール結婚という、原理主義者的頑なさを見せる稀代のリアリスト、峰尾君。これはもう、間接的に和歌子ちゃんに一生の愛を求めているようなものだろう。それを重く感じる彼女は、返答の節々で彼を傷つけないように注意を払いながら、ある程度の距離を保つようにしている気遣いが感じられる。

>あの”ゆめ”かぁ~ 。オレさ、カメラ・マンって,書こうとしたんだけどさ、みんなが、”Hな方へ”,とるとこまるので

リアリストの本領が発揮されてしまった。大垂水峠のお宿を飛び出して、世界で活躍するライターを夢見る和歌子ちゃんは、さぞかし彼の現実を見据えたトーンダウンに失望したことだろう。エロカメラマン呼ばわりされるからカメラマンとは書かなかったとか、嘘に決っている。そんなのになれるわけがない、なっても食ってはいけないだろうと、まだ中学生でありながら、彼はハナから諦めてしまっているのである。

>一流会社の社長になりたいドェ~ス!!”なんて , 書いてしも~たぁ~。

現実的なサラリーマンを希望しているようだ。社長になれるのかは別にして。

>”世界に通用するような仕事をしたい。” かぁ~ 。いや~ 、 りっぱだねぇ~ , わかこの考え方は 。

感心しているだろうけれども、お宿の長女がそんな大それた夢、無理だろうと、俺と結婚して専業主婦になって、郊外に建売住宅を買って現実的な庶民の夢を慎ましやかに謳歌しよう、そう峰尾君は思っているに違いないのだろう。

世界を夢見る和歌子ちゃん、ローンを組んで一戸建てに子供二人なんていう現実的な人生設計を描いていそうな、芳幸君。高校に進んだとして、全く別方向の未来を見る二人は、相容れない関係になってしまうのか。

>では、バイ ナラ ・ ナラ!!

今で言う蛭子さんのようなキャラ、斎藤清六のモノマネ(村の時間の時間です)を披露する。もしかしたら、田舎に住んでいる身分で、そんな突拍子もない夢、親にも迷惑がかかるんじゃないのとの、示唆的な内容であったのか、それは考え過ぎであるのか、ともかく、双方の夢に隔たりがあり過ぎてともすれば殺伐としかねない場を和らげるために、砕けて陽気に締めくくった、峰尾君だった   



 まだ中学生であるのに芳幸君が夢も希望も無いサラリーマンになりたいということを口にしたため、失望した和歌子ちゃんの熱量が下がってしまったのか、次回の日記は僅か一ページのみとなってしまう。

 迫る受験日に備えての心構えを語る。恋人になれば結婚を考えなくてはならないのか、予想通り、彼女は峰尾君とは正反対の意見を述べる。

 一ページしか書けなかった理由として、和歌子ちゃんは手がかじかんだことを理由にあげる。あの環境にあの機密性の低い部屋なら、十分ありえるだろう。

 おまけに、同級生は降らなかったというが、和歌子ちゃんの家の周囲では確かに降ったと力強く答える。

 峠の中腹にある森の中のお宿住まい。隙間風の吹く部屋で寒さに耐えながら恋人に健気に交換日記をせっせと書く、彼女がいじらしかった     




つづく…


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