廃墟アパート-11
 二階の階段を僕が下り始めると、ガクッ、ガタッ、ギギギ、という音が階下から響いてきた。

 矢継ぎ早に、摺り足気味にコンクリートの通路を歩く擦過音がしたかと思うと、僕の視界を一人の男が右から左に横切ったのだ。

 紛れもなく、彼は一階の何れかの部屋にいたに違いないだろう。

 僕が二階で探索をしているのは音でわかったはずだ。

 平日の昼過ぎだというのに、世捨人という身分を存分に謳歌して熟睡をしていたのか、哀れと言うべきか、皮肉って、大層なご身分だなと罵るべきか、人それぞれ、彼を見る目は違ってくることだろう。

 二階がやけに騒がしいなと、もしや、半グレみたいなのが空き家を金目の物目当てに物色しているのか、だとしたらここから一時非難しなければ身に危険が迫ると、咄嗟に彼は飛び起きて逃げ出したのだろうか。

 階段下で立ち尽くす僕。追いかける素振りは見せたが、彼の背中を叩いて話を聞いてみようなんていう余裕は無かった。

 振り返ることもなく、彼は寂しげな背中を僕に見せ続けながら、てっきり左方向の道に出て、駅にでも向かうのかと思ったら、右方向にに歩いて行った。公園のある方角だ。安眠を僕に妨げられた彼は、公園のベンチで再び眠りにつくつもりなのか。小学生達が喚き散らし遊ぶ中で。

 つまり、二つある階段のうちの前方の階段の死角に入ったので、今カメラを構えれば、通路前方の空間から彼の姿を捉えられることが出来るに違いない。



廃墟アパート-22
 ヨレヨレのデニムジャケットに、パンツもこれまたデニム。上下ともにファッションなのか、脱色したものなのか、辛うじてインディゴブルーであることを窺わせているものの、着古し過ぎたものなのだろうか、色味が抜けきってしまっている。80年台から飛び出て来たようなファッションセンス。令和のこの時代には少し浮き過ぎてしまっている。繊維には脂と垢が詰まって生地がヌルヌルしているであろうことは、足早に立ち去る彼のジャケットのはためき具合が若干鈍くて重量感があることからも察せられた。首にタオルを巻き、ショルダーバッグをたすき掛け。

 世捨人が確かに、この廃墟アパートに住んでいたようだ。

 走って行って彼を見届けたが、公園には入らずに逃げ込むように住宅街に姿をくらましたようであった。



廃墟アパート-41
 彼が姿を見せた、彼の人熱で足跡部分がまだほっかほっかしていそうな場所に立つ、僕。

 このように後方に振り返っていたとしたら、僕と視線を交わすことが出来ていたはずなのだが。



廃墟アパート-23
 物音や彼の移動時間などを考慮すると、この部屋から出てきたのはまず間違いない。

 盲点だった。

 この前を通った時、割れたガラス窓から中をのぞき、ガランとした何もなさそうな部屋を見て、探索するまでもないなと、僕は早計な判断を下してしまっていた。

 いや、それこそが、彼の狙いだったのかもしれない。

 子供の頃読んだクイズの本で、こんな出題があったのをいまだに鮮明に記憶している。

 船員に追われて逃げる海賊。海賊は船底の一室に逃げ込む。そこには二つの大きな宝箱があった。確かめてみると鍵は開いており、二つの宝箱の中にはそれぞれ同様に金貨が詰まっていた。

 船員が海賊の逃げ込んだ船底の一室にやって来た。そこには二つの大きな宝箱。海賊の姿は無い。一つの宝箱は閉じられていた。二つ目の宝箱は開いていて中には金貨がぎっしりと詰まっていた。

 船員は閉じられていた方の宝箱を開けて、詰まった金貨の中に手を突っ込んでかき混ぜる。海賊が宝箱に隠れていないことを確認。

 蓋が開いていた方の宝箱へは一瞥をくれただけで、船員は部屋から出て行ってしまったのだ。

 お察しの通り、ずる賢い海賊は、まさか無防備に蓋の開いている方に隠れていやしないだろう、という人間の心理を巧みに利用して、わざと蓋を開け放しておいた宝箱の金貨で満たされていた中に潜んでいたというわけなのである。

 これぞまさしく、蓋が開いていた宝箱というのが、窓が割れて中が丸見えの廃墟アパートの部屋の一室、ということになる。世捨人は、今までの経験から得た知恵であるのか、見事、油断した廃墟探索者の裏をかいて、直接対面を避けることに成功。様子を窺い、外に脱出したのであろう。

 相手がそう来るなら、僕はこうするしかないと、今この瞬間まで彼がいたであろう部屋を、ぬくもり検知探索をしてやろうと、俄然闘志が漲ってきたわけなのである。



廃墟アパート-24
 ビンゴだった。

 昨日は雨が降っていた。そのことを物語るかのように、ビニール傘のビニールの内側の下の方には水滴がまだ残っていた。

 雨の中、空き缶を拾って集め、それを屑鉄屋に持ち込んでお金にしているのか。コンビニの廃棄弁当を貰いに行ったのか。何れにしろ、ずっとこの部屋で寝ているわけではなく、ここを根城にして何らかの活動を行っている模様。



廃墟アパート-30
 水は出なくても、何処からかバケツに水を汲んできて体ぐらいはここで洗っているのではと考えたものの、そういった気配は無い。



廃墟アパート-31
 オシッコやウンコも外の公園の公衆トイレでキッチリとやっている様子。



廃墟アパート-32
 世捨人の生活実態があるであろう部屋に入ってみる。

 つい数分前まで大いびきをかいて彼が寝ていた部屋に。



廃墟アパート-25
 間違いないだろう。

 大都会の片隅の廃墟アパート、その一室にて、平日の昼過ぎまで、優雅に気ままに、惰眠を貪っていた大の男が間違いなく、ここに、いた。



廃墟アパート-26
 タオルケットから立ち上がる”けあらし”のようなゆらめいて浮遊する靄が僕には見えたような気がした。

 庶民が満員電車の中に押し込まれ、蹴られ、圧迫され、神経をすり減らしながら会社まで行き、社畜化して労働に汗するなか、廃墟の薄暗いアパートの一室で、自由奔放に、昼を過ぎてまで寝続ける、いい歳をした働き盛りの男が、絶望と隣合わせで快楽に耽っていた。

 どこぞのジャーナリストが伝えるまでもない、事件にも満たない、都会の片隅の知られざる現実。僕ぐらいは、こういった真実から目を背けるとはやめようと、その想いを右手人差し指に込めて、いつもより気持ち強くシャッターを押し込んだ   



廃墟アパート-29
 そっと、自らの手の平を、敷布団代わりのタオルケットに、滑り込ませてみる。

 仄かに、人肌を感じ取った、僕   



廃墟アパート-28
 極寒の冬期には、首にミッキーの厚手のタオルを巻いていたらしい。



廃墟アパート-27
 拾って来た、片方しかない靴下。

 コンビニ弁当を買ったついでに貰ったおしぼり。腋の下でも拭いていたのだろう。

 全家財道具がこれだけであるのかと思うと、もはや、涙の一滴すら出てこなかった。



廃墟アパート-33
 彼が産み落とされ、感涙に噎んだであろう、ご両親、周囲で出産に尽力した、産婦人科の医師の方々。

 どうやって、この未来を想像し得たであろうか     



廃墟アパートRX
 いつものように、でも若干長目の帰り際の黙祷を、二分間ほど、行った、僕。

 もしかしたら、駅までの途中に彼に会えるのでは、との淡い期待を抱きつつ、もし彼の背中を見つけたら、どうやってコンタクトをとろうか、肩を叩くのか、道を聞く真似をするのか、どうしようかなと、勘案しながら、でもいたとしても、素通りしてしまうだろうなと、きっと僕はそうだろうなと、自分のなかでせめぎ合いの葛藤をしながら、駅の方へ歩いて行った。

 別の街に移ったか、慣れた住宅街を隠れ蓑にして、再び廃墟アパートに戻ったのか。駅に着いても彼の後ろ姿を見かけることはなかった。もう一生、彼と逢うことはないのだろうか   

 


おわり…

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