府中基地跡-17
 府中米軍通信施設の事務所のような建物があり、その横に工場らしきもの。またさらに口が開いていて、隣接して同じような建物が並んでいる。

 「FIRE EXIT」と書かれた本来なら避難口であるらしい開け放たれたままの戸口をくぐってみる。アメリカ人仕様にしては高さ幅ともに小さく感じられた。



府中基地跡-51
 以前僕がおっさんから悪態をつかれながら駐車場より垣間見た体育館のような建物はここのような気もするが、その時あった打ち捨てられていたデスクトップPCの姿はもうどこにもない。目隠し用の板が取り付けられた際についでに片付けられたのだろうか。



府中基地跡-44
 汗して作業する米兵達に絶え間無く涼しげな冷風を送り出していた、業務用クーラーか、それとも換気扇?



府中基地跡-41
 もはや刷り込みに近い禁煙のステンシル文字。



府中基地跡-42
 先程までいた場所には「STOCK ROOM B」の表記があった。これはこの建物の一部の区画が「STOCK ROOM B」として使用されていたのではなく、建物全体を指しているようだ。ROOMとあるから、物が撤去される前は仕切りによって区分けされた部屋でもあったのかと思っていた。

 つまり、この建物全体が貯蔵庫か倉庫として使われていたということなのだろう。



府中基地跡-65
 こんなだだっ広い建物に一体何を保管していたのか。

 奥に後付けで設置したらしき部屋のようなものが見える。その傍らには以前の名残りのような残留物も見え隠れしているようだ。



府中基地跡-49
 米軍家族の妻が使用していたママチャリか、まだ立ち入りが厳しくなかった頃の不法投棄か。

 

府中基地跡-50
 バイクのカウルも。

 80年代のレーサーレプリカバイクブームの頃、夜な夜な集った暴走族の若者達が、女と族同士の抗争劇の話で盛り上がりつつ、ここをガレージ代わりにでもして、マフラーやカウルを修理交換していたりしたものか。

 あの血気盛んだったバイクに熱をあげる若者達の姿は今はもうこの日本のどこにもいない。少しの生き残りを休日の道の駅や高速のサービスエリアで見ることができる。大型バイクの横で数名でたむろをしている、腹の出た中年おっさんライダー達である。彼らがご自慢の大型バイクで揃って行く先は、せいぜい、スーパー銭湯ぐらいのもの。宴で飛び交う話は、老後の年金問題や、昔のバイク話に、バイクには目もくれない現代の若者達への文句。



府中基地跡-58
 80年代の輝かしき若者文化の象徴が、ここにはまだ残っていた。

 この手のバイクのことをあまり良く知らない僕の見立てでは、これは多分、二人乗りをする時には外して普段は装着したままにする、シングルシートカウルではないだろうか。



府中基地跡-59
 フロントカウルもあった。

 板の下を漁れば、四十数年前の盗難バイクがあるのかもしれないが、窓枠の板の向こうはすぐ道路。瓦礫を動かす音が外に響いて、警備員がすっ飛んで来てはまずいので、このまま見過ごすことにした。



府中基地跡-46
 窓などの開口部に板が覆われたのはごく最近。作業を請け負った時に作業員が原状回復で再び自転車を立て掛けておいたのだろう。

 バイクの年代測定が約四十年前とすると、この自転車もその時代の物か。錆や汚れ具合から、概ね当たっているだろうと思われる。



府中基地跡-66
 背後には別の建物があるのを確認できるが、



府中基地跡-47
 横並びのすぐ先には無い。若干距離がある。

 建物から建物に移動する時に、思いっきり見切れてしまう。外の移動距離は少ないほど良い。よって、次に目指すのは背後の建物にしよう。



府中基地跡-48
 仕上げ処理の店。

 米軍家族の合鍵を作ったり、靴底の補修をする店があったのだろうか。

 ちなみに、僕は退院して早々に、車の中に鍵を入れたままドアを閉めてしまった。ドアは完全にロック。車の鍵は合鍵が無く車中の一本のみしかない。おまけに家や部屋の鍵まで一緒に車の中。幸い家のガレージで、家の玄関は開いていたが、僕の部屋のドアの鍵は閉まっているという状況。僕の部屋に入ってPCで、合鍵を作るか、鍵を開けに来てくれるサービスを呼ぶかの調べ物をしたいが、僕の部屋に入れない。いやでも、二階の僕の部屋の窓は空いていた。そうだとばかりに、まず梯子を持ってきて、梯子を登って一階の屋根伝いに僕の部屋に侵入を果たした。それでPCで調べると、車の鍵を開けに来てくれるサービスは、相場が8千円から1万円もする。高い。なら自分で車の鍵を開けられないものかと、YouTubeをみてみる。車の窓をなんとかこじ開けて隙間を作り、そこから針金を入れてドアロックのノブを引っ張るという、昔の刑事ドラマでみたようなのが紹介されていたが、ロックのノブの頭がコブ状になっていないと出来ない技であり、最近のドアは対策がされていて、そんなノブ、旧車でしか無い。次にみたのが、便所が詰まった時に使うスッポンをドアに吸着させて、それをひたすら押したり引っ張ったりしたら開くという、ロシア人の動画。それを日本人のYouTuberが検証するという動画。結果、それは嘘だろうというしょうもない無駄な動画だった。そもそも初めから開きそうにないと思っていたのか、自分の車を傷つけないように弱めにやっているのがミエミエだった。冷静になって思案してみると、僕の持っているクレカの一枚がロードサービスに対応していたのを思い出した。バイク用にと契約したやつではあったが。早速電話をしてみると車のドアの鍵開けもサービスに入っていて、無料でやってくれるという嬉しい返事を貰う。40分後、サービスマンがやって来て、無事、ドアは開いたのでした   

 ロードサービス付きのクレジットカード、特にバイク乗りにはお勧めです。



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 奥の部屋へ   



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 英語表記というだけで、全てが胸わくわくするアトラクションのように感じてしまう。



府中基地跡-57
 激薬物でも入っていそうな成人男子の背丈ほどもあるタンクの横を通る。

 無臭。



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 いくつかの扉が並ぶ部屋。



府中基地跡-54
 本来それぞれに便器があったと思われるが、床には窪みも無く、平の状態。

 数々の廃墟の便所を見て来たが、便器を取り外してわざわざ平に整地処理を施してあったのはここが初めて。

 アメリカ的な規約でもあるのだろうか。子供が廃墟の便所で遊んで窪みに躓いて怪我をしたら、管理者責任で多額の金を請求されるとか。



府中基地跡-53
 一番手前のこの扉だけ広い。用具入れかと思ったが、以後、このパターンのトイレが多く見られ、中には、シャワーの設備が残っているものもあった。

 戦後、日本人の家に風呂さえまだ無かった時代、米兵達はそれを横目に、優雅にシャワーを浴びていたらしい。



府中基地跡-55
 特にアメリカナイズされている洗面台というわけでもなく、ごくありふれたもの。蛇口なんかは本国から輸入した見慣れないものかと思ったらそうでもない。

 もう、ここでやることはやっただろう。

 元府中米軍通信施設のたかが倉庫を、ここまでしつこく記録した物好きな探索者はそういなかったのではないだろうか。
 
 

府中基地跡-69
 倉庫施設から、背後の施設に、土煙が立ち込めるぐらいの猛ダッシュで走って駆け込んだ。

 ここが東京の住宅街のど真ん中であると説明して、誰が信じてくれるのか。

 密林から顔を覗かせる二階建ての朽ちた建物。想像を絶する、著しく内部崩壊が進行した建物だった   




つづく…


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