峠ドライブイン-2
 二階の廊下の突き当り、トイレ横の階段を降りてゆく    

 食事をするでもなく、ちゃっかり、トイレでウンコだけしていってやろうという輩が続出したことに業を煮やし、あのような憎悪丸出しの張り紙を断腸の思いで貼り出した、お祖父様。

 灯火が消える前の最後の一閃だったのか。

 様々なものが積み重なり、廃業を選択したお祖父様。

 先日、お孫様がこのブログの記事をお祖父様に一気にみせたところ、悲しそうに懐かしそうに、ご覧になっていたという。

 その夜、旭山ドライブインの創立時の話で大盛り上がり。

今となっては祖父も一人で弱々しく暮らしており、私が覚えている経営していた祖父の面影すらもう見れなくなっています

 廊下の警告文は確かに荒々しいが、お孫様にとっては頼もしくあり心強いバリバリと働く勤勉な自慢のお祖父様だったに違いないだろう。

あの頃家族みんな集まってドライブインで晩ご飯食べてわいわいしていた頃に戻りたい気持ちでいっぱいです

 時間は引き戻せないけれど、残留物の中から記憶を呼び戻すことは可能である。

 往時の家族の賑わいに匹敵するかのような、一世一代の晴れ姿の写真を、今回、エントランスホールにあった瓦礫の山の中から、発掘する運びとなったのだ    

 

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 山小屋風で凝った装飾。

 一方で、反対側の階段は病院か市役所かといった合理性を突き詰めたような冷たい無機質な遊びの無い佇まいをしていた。

 こちらが客用、向こうの反対側が家族用という動線が当時あったと推測できるだろう。



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 階段を降りたところに絵画。

 お祖父様の年齢ぐらいの人の感性なら、亀の剥製か般若のお面でも飾ってしまうところだが、普段からバイク乗りや車乗りの若者達と接していたこともあり、インテリアのセンスも同年代のお爺さんよりは洗練されていた様子。



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 寂しそうな背中をこちらに向けて馬に乗って峠を登る旅人か。

 晩年、妻に先立たれ、孤独に奮闘する自分と重ね合わせていたのだろうか。いずれにしろ、無作為に選んだわけではなさそうだ。



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 随分と遠回りをしたが、一階から入口を入って右側に降り立った、僕。

 今朝方は、入ってから左に進んで台所の勝手口を抜けて行った。

 旭山ドライブインを一階から二階にぐるりと一周したことになる。

 ここまで丹念に探索をすることが、お孫様を引き寄せ、ひいては、お祖父様本人が、読んで納得してくださっているのだろうなと、地道な労力が報われていることに、万感胸に迫るものがあり、これからも、誠意と筆で人の心を動かしていけたらなと、決意を新たにするのであった    



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 旭山ドライブイン一家の思い出を踏みにじるような、世捨て人の跡。

 もう見慣れた光景なので、驚きの言葉も無い。



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 僕の存在を感知して、咄嗟に布団から抜け出したような、生々しさが残る。

 もしかして、暗くなったら戻って来るのだろうか。

 ベランダに目をやると、



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 信楽焼のたぬきか。

 夫婦仲睦まじく、車で琵琶湖に観光に行ってお土産を買ってきたのだろう。



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 本来なら黒く塗ってあってサケを抱えているはずだが、なぜ、未完成の物が?

 お祖父様、日曜大工で自ら彫ったか。



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 今にもこちらに向かってきそうな獰猛そうで躍動感の漲る、木彫りのバッファロー。



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 バブルの頃に西新宿の地下街でイスラエル人が売っていたようなクオリティーの絵。

 時代が時代で、何の価値も無い絵をさも今後値が跳ね上がるようなことを言われ、お祖父様の財布の紐も緩み、騙されて買ってしまったのか。

 そんな苦い思い出でも、今となれば、思い出話に花が咲くというものでしょう。

 残留物の山を掻き分けていると、ボロリとこぼれ出たのは、一冊のミニ写真アルバム。写真屋で現像する時に貰えた紙のやつ。

 ミニアルバムを開くと、

 そこには、お祖父様夫婦でもない、物腰の柔らかいお孫様の雰囲気とは全く異質な、ましてや、澄んだ目をしたカズ少年の清純さの欠片もない、ともすれば、筋の人ではないかとさえ思ってしまうような厳しい、でもどこか憎めない愛くるしい髭面男性の豪華結婚式の写真が、目に飛び込んで来たのだ    



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 子連れ結婚式のようだが、これは、一体    


 

つづく…


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