廃工場-18
 夜逃げ時の慌ただしさが窺える、開きっぱなしのタンスの引き出しの角部分に引っ掛けてあった、昨日の晩の脱ぎたてであるかのようなせわしさの籠もる佇まい、荒々しい皺を留めたまま、ひと目でわかった、ご婦人用のくたびれた生活使用感のあるよれよれレース下着。

 人生のリセット。新天地での別人としての新たなる一歩を踏み出す。

 さしあたり、せめて、下着だけは、贅沢におろしたてまでとはいかないものの、洗濯をした綺麗なもので、無垢な気持ちをもって新しい土地で生活を始めたいと、女として最後の譲れない一線、矜持が   宵闇、灯りの無い自分の手さえ見えない兵馬倥偬の中   着替えさせたのではないだろうか。

 工場ご夫人の脱皮して意識の抜けた亡き骸のような婦人用下着が引っ掛けてあった引き出しのその中を拝見してみると、やはり、自宅と工場を兼用して、女性としてのプライベート空間などあってないようなこの建物内において、唯一、女を閉じ込めておける場所、タンス引き出しの中には、ここへ嫁いだ時に実家の両親に持たされたのであろう、婦人用着物が大事にしまってあった。妻として旦那子供に身を捧げたものの、一人の人間、個の女としての自分は閉め切った引き出しの中に大事に納めてあったのだ。

 過去との決別、下着だけでも清麗さをもって臨むことで、心も晴れやかに、第二の人生を歩みだす。

 精算しきれていないだろう、身を切られる思いで、数々の記憶を置き去りにしたまま、逃げるように出ていった妻をはじめとする御一家の無念さを晴らすためにも、僕はやり遂げねばならない。

 奥へ歩を向けようとすると、無意識に抵抗するかのようにこわばっていた足もとが、なぜか、鎖が解けたように、軽くなったかに思えたのは、全くの偶然では無いような気がしたのだ    



廃工場-16
 作業場を冷やしていたクーラー、東芝製。

 業務用でなく、家庭用か。

 非力すぎて夏は蒸し風呂状態だったかもしれない。



廃工場-19
 見る人が見ればわかる、工場の納品のスケジュールか何か。

 こんなに刻々とした時間が流れていた頃もあった。
 


廃工場-20
 作業場に背中合わせに置かれていた、姿見。女性従業員が多かったということもあるのだろうか。

 勿論、夫人もここで済ませていたことだろう。

 染色作業で顔についた塗料を落とす夫人。

「社長夫人、めかしこんでデパートにでもお出かけですか!?」

 ご主人の冴え渡ったジョークが、納期が迫ってピリピリとした作業場につかの間の笑いをもたらす。

 何が工場をここまでにしたのか。

 答えに近づくためには、自らの歩を進めるしか無さそうだった。

 

廃工場-21
 建物中央のホール、大広間に出た。

 ひと目では用途は窺い知れない。



廃工場-22
 仕事場にまたもや洋服ダンス。

 家族のお下がりを従業員用に回し、従業員用のロッカーとして使用していたのか。



廃工場-23
 風呂場へ。

 常々日頃言っている通り、僕は廃墟において、蓋の閉まった風呂は必ず、開けて中を確認することにしている。

 後にとんでもない物が発見された場合、あらぬ容疑をかけられかねない可能性も無きにしもあらずだからである。

 ここも例外ではない。



廃工場-24
 黴の一つも無い、清々しいほどまでの空。

 シャッター式の風呂蓋が加水分解により接合部が千切れてしまったのは、ご愛嬌。



廃工場-25
 湿気を吸って撓む合板製の安タンス。横には簡素な流し台。



廃工場-26
 タオル干しっぱなしで、家から去らねばならない、のっぴきならない事情とはなんであったのか    

 すぐ近くにはトイレがあった。



廃工場-27
 トイレ前の床には、くすんだ色のブロックのおもちゃ。

 幼児のいたご家庭だった。



廃工場-28
 せめて、下着だけでも着替えさせてよと、そこまで追い込まれていた一家であったのかもしれないが、まだよちよち歩きの幼子までいた可能性も。



廃工場-29
 和式便器に器具を被せて洋式便器にに変えてある。生まれたばかりの幼子への配慮だったのか。



廃工場-30
 昨日まで生活をしていたような佇まいがそのまま残されている。

 蚊取り線香の缶入りが置いてあるので、一家が出て行ったのは夏のことだろうか。

 背面の壁にはカレンダーがかけてあった。

 年号を確認してみると、



廃工場-32
 2005年の5月。

 2005年といえば、「小泉劇場」が流行語になり、小泉純一郎首相が郵政解散を行った年。今やその息子さんが、元女子アナの滝川クリステルさんとご結婚をして、ご懐妊間近、総理の椅子を狙おうかという、何という時代の巡り合わせ。まぁ、僕がここを訪問をしたのは少し前であるけれど。

 台所から奥は一家の生活空間のようであった。



廃工場-33
 薄暗い。

 仏壇がある。居間だろうか。

 遺影らしきものが二組。



廃工場-34
 確実な状況証拠から、この老夫婦は一ヶ月もしない間にそれぞれ順にお亡くなりになった可能性がある。老衰なのか、後追いであったのか。

 老夫婦の子供、夫婦、孫らが、ここから姿を消したのは、両親の死と何か関係があるのだろうか    



 
つづく…


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