鴻之舞-114
 念願の場所を



鴻之舞-104
 見終えた僕は、



鴻之舞-22
 鴻之舞鉱山の森のどこかにあるという、



鴻之舞-9
 やすらぎの郷、



鴻之舞-53
 週刊ベースボールハウスへ、満を持して赴くことになった。

 ここ数年来通っている、週刊ベースボールハウス。

 ここはゴーストタウン。一般人なら薄気味悪がって車をとめることさえ躊躇うことだろう。


 道路脇の背の低い草地は奥へと続いていて車で入って行けそうだった。遠目に廃屋がポツンとある。

 廃屋まで低草地とはいえ、セダンだったらまず無理。僕の小型SUV車の本領発揮といったところだが、わざわざ廃屋まで乗り付けて中に世捨て人でも住んでいて、襲われるようなことになった時に、廃屋直前に駐車した車が足手まといになりはしないだろうか。

 車は道路脇に置いて、徒歩で廃屋まで歩いて行った方が、緊急時にダッシュで駆けて、世捨て人を引き離し間隔を保ったまま、車に乗り込んで逃げ出すことが出来る、と僕は踏んだ。

 が、廃屋までは距離もあって徒歩は面倒であるし、こんな人の気配の無い森閑とした森で世捨て人が自活することはまず不可能だろうという結論に達し、結局、草原を愛車で進んで行ってみることにした。

 平屋に見えた廃屋は北海道によくある屋根裏部屋を備えた二階家であった。

 入るとすぐに土間。少し奥まった右に台所。台所といっても、直火の釜で飯を炊いていたような前時代の古いもの。

 一階は全てが取り払われていて殺風景な空間が隅々までひろがっていた、かに見えたが、台所の調理台や流し台が並ぶ前の床の、こんもりとした山に、廃屋に入った時から、目を奪われていた。

 本来そう広くない家だとは思うが、家具も残留物も何も無いので、一空間がやたら広大に感じられたる

 徹底的に所有物を持ち去り、見事に、飛ぶ鳥跡を濁さず、を実践した前家主が、小山とはいえ、それはなにか個々のユニットで形成されているようなので、数にしたら膨大な量があるといえるものであり、去り際の哲学を、山の森の奥で人知れず、清く、実践した人らしくない、と言えば、実にらしくない。

 積み重なって山になっている正体はなんだろうかと、土間を進んで、聳える山の前に立ってみた、僕。

 その山の正体は、どれもこれもが、夥しい数の、週刊誌、それも、全てが野球雑誌であった。

 現役時代の王選手が表紙なのもあれば、長嶋選手、ノムさんこと野村選手のもある。そのいずれもの表紙が、写真ではなく、リアルな絵。写真製版がまだ出来なかったか、出来てもコストがかかるのでリアルな絵で済ませていた時代のもののようだ。「週刊ベースボール」以外にも、もう廃刊になっているだろう、種々雑多な週間野球雑誌の山で溢れていた。

 もしかしたら、テレビもまだ持てなかった時代、こんな山の奥深い地で、娯楽といえば、ラジオのナイター中継ぐらい。貪欲なまでに情報を渇望し、王は打ったか、長島はファインプレーをしたのか、巨人のドラフト一位は誰なのだと、痺れを切らして、町まで、いや、当時なら近くの売店で売っていたかもしれない、週刊野球雑誌を毎週山ほど買い込み、穴の開くほど、貪り読んだ。

 引っ越し時に気苦労するのが、本の山である。とにかく重量があって、新居に持って行こうか、捨ててしまおうか、迷うことがしばしば。

 ここのかつての住人も、逡巡したあげく、塵一つ無く取り去らわれた室内、土間の上に、思い出の山を、残して行ったのではないだろうか。


 二回目の「週刊ベースボールハウス」訪問。

 建物の痛み具合は前と変わっていなかった。まだこの先十数年は持ちこたえるだろう。

 週刊ベースボールハウスで何をするというわけでもなかったが、見知らぬ土地で、自分だけが知る、秘密の場所があるというのも、子供の頃の秘密基地みたいで、大人になった目線では、別荘で安らぐような充足感が得られるような気がしたのだ。

 入ると、思わず腰を引いてしまいそうな、あり得ないことが起きていた。

 週刊野球雑誌の小山が、高さ二倍は言い過ぎでも、それでも1.8倍は間違いなくあるほどの、大山に様変わりしていたのである。

 麓周りがなんとも太くなっていて、大山に嘘偽りのない、雑誌の巨大な山が形作られていたのだ。

 まさか、僕以外がここに出入りしていて、誰かが雑誌をちょくちょく置きに来ているのか?

 セダンじゃ入って来れない。SUV車に乗って来たとしても、目的は雑誌の山を高くするため?

 徒歩だったら計り知れない異常性を感じてしまう。いや、そうでなくても。

 よく見ると、大きくなった山の上層部には、子供用の漫画雑誌が混ざっていた。前回には無かったものだ。ジャンプやサンデーではなく、藤子不二雄Aの「まんが道」でもみたことのないような古そうな子供向けの漫画雑誌が大量に、野球雑誌の上に、富士山の新雪のように積もっていた。

 土間に積もった砂の乱れや、家の入り口前の土の跡などを確かめてみる。

 よくわからない。やってやれないことはないが、健常者と考えるなら、こんな森の奥の廃屋の中の雑誌の山に、更に雑誌を加える意味も理由も見当たらない。

 その雑誌の山から漫画雑誌を幾つか取り出して立ち読みをしていると、山頂部分にあった雑誌が僕によってバランスを崩されたのだろう、バサバサと麓まで滑り落ちていった。

 あっ!、と、気づく。

 もしや、捨てられたり、置かれているのではなく、落ちてきたのでは?

 天井を見上げると、内張りが剥がれて垂れ下がっている。くっきりとした穴は目で確認出来ないものの、薄い板の折り重なって影の部分におそらく隙間があって、そこから雑誌が二階から落ちて排出されているかもしれない可能性は小さくないだろう。

 本来は屋根裏部屋の二階の床に大量に置いてあった雑誌。積年の重みや腐食、老朽化などにより、床に亀裂が入った。二階にあった雑誌が飲み込まれるように亀裂に落ちていく。

 それはやがて一階の天井裏に溜まる。

 雑誌の重みに耐えられず、天井板が裂け、まずは、野球雑誌の層が下の土間に落ちていった。それも一気に放出されたのではなく軒下の雨垂れのように、、ポトリポトリと、時間をかけて。

 父親の野球雑誌の後は、子供の漫画雑誌の層が砂時計のように、ポトリポトリと。落ちるリズムは時に雪崩のようなこともあったかもしれない。一気ではなかった。

 二階があることは、入ってすぐの、垂れ下がっている簡易階段の存在で気づいてはいた。

 ただその簡易階段は、京都の旧家によくあるようなやつで、細くて折りたたみのような、常設ではないもの。二階への侵入を阻止するためか、途中から切断されており、地上一メートル付近で上からブラブラとぶら下がっている状態であった。

 ぶら下がる簡易階段の先には大人一人やっと入れそうな四角い口が空いているには空いているが、中は暗闇。二階の窓は塞がれていて、太陽光など届いていないのだろう。

 まだ見ぬ景色が見たい、金鉱山往時の空気を吸ってみたい    

 僕は気づくと、小学校の時、体育館の舞台上にあった束ねられた緞帳にしがみついて遊んだ時のように、ぶら下がる簡易階段に飛びついて抱え込み掴んだ。

 簡易階段を掴み、両足で壁面を押し歩くようにして、ほぼ腕力だけで上へわっせわっせと躙り登ってゆく。そのあまりにも自分にのしかかる気力と体力の負荷で、ぼんやりして意識が遠のいて断ち切れるのではとさえ思ったほど。

 意識が薄らいだかにみえた、その時、真っ暗闇の二階の床に、僕は静かに腰を落ち着けることができた。



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 フラッシュで撮影。

 床と畳は波打っており、その強度の不確実性から、室内を歩行することた躊躇われた。

 病院にあるような、鉄パイプ製の粗末なベッド。子供か学生のか。

 壁には、彼が好きだったアイドルのポスター。



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 ピンクレディーだった。

 エナメルでピチピチのバイク用レーシングスーツを着用している。首に赤いスカーフを巻いていることから、仮面ライダーの影響を多分に受けているといってもいいだろう。

 ピンクレディーは、1976年に「ペッパー警部」でデビュー。セクシーなダンスと好対照の二人の歌声とキャラ、戦略的な演出もあって、瞬く間にお茶の間の人気者、トップアイドルへと上り詰めることに。

 またもや僕は、半世紀もの時を経た、封印されていた部屋の掘り起こしに、成功の運びとなったようだ。

 日本中を席巻した、ミーと、ケイ、からなる、ピンクレディー。ここ、紋別の今ではゴーストタウン化した、山深い森の中の一軒家にも、彼女らの歌声は間違いなく届いていたようだ。



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 王選手の現役時代の背番号「1」になぞらえて、一月一日の元旦までに年賀状を出しましょうという、郵便局のポスター。当然、郵政民営化の遥か前のこと。

 あの大量の野球雑誌は、この少年のものだったのか。

 自分の溜めに溜めた雑誌が、ああなっていることを、日本のどこかで、読んでいて遠い昔に思いを馳せて、くれているだろうか。

 一度くらい、戻ってみてはどうでしょうか。せっかく親御さんが綺麗にして出て行かれたのに、予想もしなかった意図しないこのようなことになって、年代的にお亡くなりになっているかもしれない親御さん達、天国でさぞ悲しみ悔やまれていることかと。



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 いい大人がマジマジとみると卑猥ささえ感じてしまうこのミニカー。実際に存在したこの車両が街中を宣伝カーとして走っている姿を昭和のレトロ写真特集などでみたことがある。

 調べると、これはプリマの「ガブリ号」。1971年から始まった「新オバケのQ太郎」のスポンサーだった、プリマハムから発売された「オバQウィンナー」の懸賞品。

 競争率の高い懸賞品だったようなので、ここの家の子供は「オバQウィンナー」を食べまくったのでしょう。

 そんな大事な、食べきれないぐらいのウインナーを消費してまで手に入れた大事な宝物を、こうもぞんざいに放ったまま、家を後にしたということは、立ち去った時には子供ではなかった可能性もある。
 


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 いや、でも、ベッドの下手にはランボルギーニ・カウンタックのポスター。

 スーパーカーブームが巻き起こったのは1977年前後。この頃に小中学生だった少年は、静かに町から去って行ったのか。



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 松田聖子のポスターまで。

 彼女が「裸足の季節」でレコードデビューしたのが、1980年4月。

 信じられないことに、とうの昔にゴールドラッシュの過ぎ去った1980年代になってまで、この家族は奥まった森の中の釜炊き飯の施設のある家に住んでいたようだ。

 なお、真っ暗闇での撮影だったので、カレンダーの存在に気づいたのは帰って来てから。フラッシュの反射で年代は判別不能。

 今となってはゴーストタウンに住んでいた少年に憐れみさえ感じてしまうが、このような残留物を見る限り、どうしてなかなか、町も昔は賑わっていたこともり、派手ではないけれど、不足のない生活を送っていたようである。

 部屋一杯に充溢していた半世紀前後の空気を肺の奥まで吸い込んで、歴史の重さをはらわたまで染み渡らせた僕は、満たされた充実感とともに、階段を下り、現代の時間へ針を戻すことにした    



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 降りる間際に見た壁には、スーパーカーブームより遥か前の雑誌の切り取りページらしき紙を貼ったのもあった。

 親子数代に渡って住んでいた可能性もありそうだ。

 雑誌の山の源泉ともいうべき場所は良くわからなかった。きっと、この板の向こう側にあったのかも。

 次回行く時には、覚悟を持って臨み、部屋を横断して隅々まで調べてみようと思う。

 雑誌の山がさらにうず高くなっているのか、もしかしたら減って整頓してあるのか。

 去った家族がここを読んでくれていた、そんな奇跡が起こらないものかと、今から期待している僕がここにいる    

 


おわり…

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