羽幌小-0327
 校舎から便所部分が切り裂かれでもしたかのように崩れて落ちて、裂け目が生じていたので、そこから体を蟹のようにして僅かな隙間より横歩きで侵入を試み、見事成功を果たす。

 目の前の家庭科室に入ってみた。

 家庭科の時間。

 懐かしい記憶には違いないはずだが、何をやったかさっぱり思い出せない。ほうれん草を茹でて食べて美味しかったことだけが唯一僕の頭の中に残っている記憶であった。

 同時に、その時の小学校の担任の先生は誰だっただろうかと、記憶を辿ってみる。

 ちなみに、僕の家はある時期、僕が長期の海外旅行に旅立つ時に『おまえが海外をほっつき歩いている時に自宅を手放さなくてはならないことがあるかもしれない』と親に言われ、身の回りの物を整理してから旅行に出たことがあったので、その時のどさくさで卒業アルバムを紛失してしまっている。探せばどこかにあるかもしれないが、現状では手許に無い。

 廃屋の日記のシリーズを始めてからというものの、日記の中の少女が日々悶々と過ごしている姿に、もどかしさを感じ、時に苛立ち、背中を押してやりたい衝動に狂おしいほどに駆られてしまうのは、きっと、その少女の向こうに在りし日の弱かった、満たされない、そのことで、心の隙間を埋められないでいる、情けない自分の姿を見ているに違いないだろう。僕以外でもきっとそういう人が多いのではないだろうか。

 そんなことで、高校時代から後のことはともかく、小中の時代に好きだった子に自分の想いを告げられなかったことが今でも悔やまれ、日記シリーズをやるようになってからその想いは日毎増すばかり。心の隙間を埋めるべく、女々しいことに、半年から一年ぐらいの周期で、僕にとっての金山君に山角君、好きだった子の名前を検索しては、辿り着けないということを繰り返してしまっている。あの日記を読めば、誰だってそういう気になってしまうのも仕方のないことであろう。

 同窓会は中学時代に家に葉書が届き、一回だけ小学校低学年時代の同窓会に参加したことがあるだけ。僕は地元の普通の市立の小中学校に通ったため、中学校の生徒の顔ぶれは小学校の頃とほぼ同じ。そこで同窓会をやられても、知った顔ばかりで、なんでこんな同窓会やるのかなと、疑問に思ったが、おそらく先生の方が生徒に会いたかったのだろうと。葉書を出してくれたのも先生だったし、面倒見の良い情け深い先生だったようだ。

 前にも触れたように、ネットの無い時代の情報を探るのは非常に困難。女子は大概結婚をしていて名字が変わってしまっているので、検索ワードを変えてみては、見たこともない女性市会議員の過疎ブログの前で胸塞がれる思いをし、溜息を重ねるばかり。

 そんな時、もしかしたらそこから辿れるかなと、中小時代の担任の先生はどうだったかなと、検索をしてみるが、見事に引っ掛からない。

 小学校時代の高学年の担任教師から低学年へと検索を重ねていく中、唯一、ネット上で名前を見つけられたのが、小学校三年の時の担任のO先生であった。女教師。

 教師を引退された後、平和憲法9条を守る会の支部長をやっているとか。

 ちょっと変名の名字は同じだが、下の名前までは憶えていなかった。でも職歴で、学校名こそ出ていないが、地名と教師をやっていたことが記され、ほぼ適合するので間違いない。

 その先生のフルネームで色々検索してみると、僕の担任であったことがほぼ決定的になったばかりか、当時、知らなかった驚くべき事実が判明した。

O先生、言わずとしれた吉永小百合さんの妹。産休に入りOY先生がやって来た」(実際は実名表記)

 僕の時と全く同じ。つまり、これを書いたのは僕の同級生だろう。産休補助のOY先生は嶋田久作みたいな風貌と喋り方だったので強烈に記憶に残っている。これを書いた人はイニシャルなので、同級生の誰だったかは見当がつかず。

 別のサイトでは、「綺麗な吉永先生、途中でご結婚され、姓がOに変わりました。確かに吉永小百合さんの妹さんですが、私にとっては綺麗で優しい先生・・・」とあった。O先生が僕の学校に赴任される前にいた学校の生徒さんらしい。

 あのO先生、確かに綺麗だったという印象はあるものの、まさか、吉永小百合さんの妹だったとは。当時、僕も含めて生徒は誰も知らなかったはず。親も。小学校三年生ぐらいでは学校で間違えて先生のことを「お母さん」なんて言ってしまうぐらいなので、いくら綺麗であっても、異性としてはみないものだ。同級生の可愛い女子に目がいくもの。思えば、その後数々の女性の教師がいたけれど、小学校三~四年の時に担任だったO先生ほど綺麗な人はいなかったと思う。中学三年生の時に教育実習でやって来た大学生の女の人がちょっと可愛くてクラスの男子が一瞬色めき立ったが、それでもO先生と比較にならず、一般人にちょと色気があるくらいかなのレベルで、やはりO先生は別格だったのだ。

 親にそのことを言うと、当時の親達は皆知っていたということだった。

 吉永小百合さんも「原爆の詩」の朗読をライフワークにし、反戦、平和な社会の実現を訴えているようなので、親御様がきっと良くできた人で、その影響を姉妹で強く受けているのだろう。

 中学生の時の小学校時代唯一の同窓会、それはO先生が催してくれたものだった。「元気にやってるの?」と、名前を憶えてくださっていて、陽気に声をかけてくれたことは今でも忘れられない。勿論、お美しかったのは言うまでもない。
 
 支部長をやられているぐらいなので、ネット上にはメルアドや電話番号まで表記されていた。ここ最近は活発に活動されていない様子だが、数年前までは会場でスピーチもやられていた。

 今度登壇でもすることがあれば、行ってみようかなと思ったが、吉永小百合さんは七十歳を超えていまだお美しいが、いくらその妹さんとはいえ、O先生は一般人。女優さんは化粧水や美肌クリームに費やすお金と労力が何しろ違う。女子アナをみれば一目瞭然。女子アナは二十代の時は下手すりゃ人気女優より綺麗だったりしても、三十路を超えると一気に老け込む。

 綺麗だったO先生の美しい記憶をいつまでもとどめておくためにも、会に参加がてら先生の現在の容姿を見てやろう、なんて無粋なことは、やめておくことにした。

 同時に、それは同級生だった女子にも言えることだ。これ以上は虚しくもあり、幻想は打ち砕かれるは、夜な夜な、決して戻らない過去を穿って、トキメキよもう一度、はこの先のまだ長い人生、非生産的にも程がある。

 もう振り返らないことにしよう、そう僕は固く心に誓ったのである       



羽幌小-0326
 クボタの赤いトラクターだろうか。

 トラクターなど全部赤っぽいのでそうとは限らないのかもしれない。

 現場では目も止めずに、たった今気づいてしまったことがある。

 床板にコの字に曲げた鉄の棒が刺してある。

 トラクターはここを納屋代わりにして置かれたものだろう。

 長い間稼働した形跡は無い。

 不自然に床が清掃されていて物が転がっていないのは、ここが室内ゲートボール場として使用されていた過去があったということか。それか、トラクターの主専用のゲートボール練習場だったか。



羽幌小-0328
 昭和三十三年三月九日 寄 贈



羽幌小-0332
 むせ返るような荒廃感が入る前から僕を圧倒する。

 音楽室。



羽幌小-0329
 かつて、鼓笛隊が組めるほど生徒数がいたのだと思うと、目の前の惨状には、もはや涙も枯れて出て来ない。



羽幌小-0331
 置かれていったままの、ドーナツ盤レコード。


 背中を向けて黙ったまま部屋を出る、僕    



羽幌小-0333
 ツルツル光沢があっただろう廊下は完全に油分が失われている。

 滑りの悪いザラつく板張りの廊下をのそのそと進んで行く。



羽幌小-0336
 図書室のようだ。



羽幌小-0334
 ジュブナイルSF小説。

 ある程度の年齢になって正規版を文庫本で読み返し、さらにジュブナイル版をみてみたら、これらは内容が平易な言葉と構成になっていたことを知って、軽い失望感を覚えた。子供ながら巨匠の名作SFを読んで文学を齧った気でいたのに、幼児本に近いものだったのかと。



羽幌小-0337
スタンダール「赤 と 黒」。



羽幌小-0342
 驟雨のごとく降りそそぐ、地図。

 これらを見て、羽幌の少年少女達は世界に胸踊らせ、羽ばたいていったのでしょう。



羽幌小-0344
 小学生の頃、自分がまさかアフリカに行くことになるとは夢にも思わなかった。


 図書館には、まだまだ懐かしい本が多く残されていた    




つづく…

こんな記事も読まれています