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 妻のお出かけ用のとっておきの靴だろうか。

 あまり使用された形跡はない。

 廃油臭いプロレタリアート臭の染み込んだこの工場兼自宅内ではあまりにも異質な眩い光沢を放ち続けていた。

 日曜日には、塗料だらけの作業服を脱いで、この靴を履いて、新宿の伊勢丹にでも出かけるという、優雅な暮らしを送っていた時期もあったことだろう。



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 その夫のだろうか。

 ちょっと読んでみても、大層な偉業を讃えられての賞状でもなさそうで、これを”うやうやしく”飾っておくということは、ご主人、人生の中で、それほどの名誉ある受賞経歴は無さそうである。

 決して貶しているわけではない。一般人など大抵そういうものだ。特に表彰もされることなく、静かに穏便に人生を終えていくものである。

 そういう僕だって、小学校低学年の時に、「虫歯ゼロ生徒」として、全校生徒の前で他の数名とともに紹介されたぐらいが唯一記憶に残るものである。それも、虫歯だった乳歯が抜けて、タイミング良く永久歯が生え揃った間隙だった。

 他の偉業も、そういう巡り合わせなのでしょう。

 たまたまが人生なのでしょう。

 ご主人と妻は汗と重油と埃と土にまみれながら、手を真っ黒にして、縁の下で日本経済を陰ながら支えてきた名もなき労働者のひとりだったのだ。

 その結果、仕打ちが、この廃墟となった”絶望工場”なのかと思うと、胃の奥から込み上がってくる激しい怒りをやすやすと鎮めることもできず、しばらくの間、喉奥の焼けただれるような酸味の強い胃液と、押し出されつつ、戻しの、長き咽頭内の格闘を要することとなった。

 口を塞がれて正露丸の絞り汁を強制うがいさせられているような、あの極めて不快でおぞましい孤独な格闘!

 孤独な格闘!


 一家に救いの手は伸ばされなかったのか    



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 戸棚があった。

 引き戸を開いてみると、大量の写真アルバムに書籍類。

 これは使い古されて手垢で真っ黒の小学生用「国語辞典」。



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 一瞬、精神錯乱者によるものかとも思った。

 どうやら違うようであった。



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 写真アルバムに記念写真も豊富に。

 ざっと見て、一家で、一枚も持ち去ることなく置いていったのだと思われる。

 小学生の正子さんが大人になり温泉にでも行かれたのか。いや、お母様か。

 昭和54年6月6日(1979年)。

この年、

日本初のカプセルホテルが開業

アメリカのスリーマイル島原子力発電所で放射能漏れ事故

藤子・F・不二雄原作『ドラえもん』(テレビ朝日)放送開始

ソニーが「ウォークマン」発売

 まだ一家の工場に光が降りそそいでいた頃    



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 1971年の卒業アルバム。

 時系列的に、小学生用の辞書の持ち主、正子さんのものか。

 夜逃げだとしても、置いていきますか? 普通    



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 昭和46年3月。

 桂北小学校。

 卒業記念。



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 よくある校歌のページ。

 僕はなぜか中学校時代の校歌だけは頭に残っている。途中で転調が入ってこういうのもなんだが名曲だった。



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 いきなり高精細カラー七五三スタジオ写真。

 小学生だった正子さんがやがて結婚され、その子供の写真か。

 一生に一枚しか撮らないような写真を、山の中の廃墟に残したまま・・・・



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 写真の古さから、これは正子さんだろう。

 団地の階段で撮ったように見えるが。



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 正子さん以外にも兄弟がいたのかもしれない。



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 この後、真ん中の正子さんと思われる写真ばかり出てくる。

 初めての子供で溺愛されていたのだろう。



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 修学旅行の奈良公園でパチリ。



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 大阪城でも。



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 思うに、正子さんの生んだ赤ん坊を親戚のおばさんが抱っこ。

 次の写真には思わず目を見開いてしまった    



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 薄暗い廃墟の部屋の片隅で、僕がまるでご家族に凍るような冷たい視線で睨まれているような気さえしてきた    

 ちょっと、そこで何をやっているの?

 おじさん、泥棒なの?

 サスペンダーがくいこむよー

 おまえ、いい度胸してやがるな・・・・


 撚糸工場の長女「正子」さんが結婚をされて、二人の子供を設け、長男の入園式に写真館で記念撮影をした。

 かえすがえすも、世に二枚と無いこのような貴重な写真を残していかざるを得なかった本当の理由とはなんだったのであろうか・・・・・・




つづく…

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