原宿赤坂廃屋-4
 先日観たテレビのニュースによると、2020年の東京オリンピック開催にあわせて、現在の原宿駅の木造駅舎は取り壊しになり、新装リニューアルされるとのこと。

 報道を受けて実際行ってみると、ご覧のように既に隣に何か建設中のようである。まもなく工事の手が歴史ある佇まいの駅舎へと伸びるのは確実な様子。

 現原宿駅舎は大正13年に竣工した木造建築で、都内に現存する木造駅舎では最も古いのだという。

 いくらレトロな建築に僕が多少興味があるとは言え、原宿という街が好きで昔から通っているというわけでもなく、特に深い関わりがあるということもない。もうすぐ解体されるからといって、わざわざ行くような理由も必然性も無い。

 このニュースを聞いて思い出されたのは、一年ちょっと前に僕のブログのメッセージ欄に寄せられた、原宿駅に関するある情報。

 原宿駅のすぐ駅前の「銀だこ」の隣に廃墟があって気になってます

 ブログのメッセージ欄とは、双方向のコメント欄と違い、読者の人が一方通行で情報を書く欄のこと。その書かれた内容は僕しか読めず、一方通行なので、僕がそれに対して返信することは出来ない。

 強い主張や何らかの思惑があるなら、メールなり、他の人の目にも触れるコメント欄に書くことだろう。僕以外の人からの情報が欲しかったり、僕がどういう反応を示すか確かめたかったりと。

 一方的に情報を届けてくれるということは、その情報が本人にとって自信満々のとっておきというわけでもないけれど、緩やかに僕の小耳にでも挟んでおいてもらって、いつかそこ(原宿駅)に行ってもらって、ある日気づいたら、ブログの記事にでもなっていたら嬉しいな、そんな、奥ゆかしさを持った情報提供者だと、僕は推察する。
 
 情報が寄せられた当時、僕は正直、『原宿の駅前?日本でも有数の人口密度がありそうな人で溢れかえっているような繁華街、それも駅前に、そんなのあったか? あってもたかが知れているだろうな・・・』と、半信半疑でいたのだ。

 ちょいとグーグルマップで調べてみると、まず、原宿駅の真向かいに確かに情報提供者の言う銀だこはあった。

 その隣を見ると、やはり、確かに廃墟とは言え廃墟なのだが、それは、真新しいテナントビルのテナントが抜けた状態の空きビルが建っており、一等地なのに勿体ないし、放置理由が謎ではあるものの、一時的だろうし、廃墟ブログの管理人がわざわざ出動するほどの物件でないことは明白であった。

 そんなことがあって、一年と少しが経った頃。

 今回、原宿駅舎取り壊しのニュースを耳にして、頭の隅に引っかかってはいた廃墟情報のことが思い出されたのだ。

 今思えば、労力を費やして、あのような空きテナントビル情報をわざわざ廃墟ブログの何の見返りも無いメッセージ欄に書き込むだろうか、と。

 今更ながらではあったが、原宿駅の正面にある銀だこを軽い気持で再確認するような感じでグーグルマップで見てみることにした。

 すると、銀だこと今ではテナントの入っているテナントビルとの間の小道の奥に、薄暗いながら、個人の住宅の生垣のようなものが見えたのだ。それも朽ちかけている荒廃感を漂わせているような。

 銀だこの横というより、奥である。

 原宿駅の周辺立地に疎い僕は、竹下通りでもあるのかなと前はそこをロクに確認もしていなかったが、驚いたことに、原宿駅から一分もかからない場所に、どうやら個人宅の家、それも、情報提供者の言う、廃墟が存在するようなのである。

 居ても立っても居られず、早速、駆けつけてみることにした。

 情報を寄せていただいた、5つ星様、どうもありがとうございました。
 


原宿赤坂廃屋-5
 原宿駅に到着したのは、午前10時過ぎ。

 駅前には、どこに続いているのかわからないような、芒洋と目も眩むような永遠と長く続く行列があった。

 長すぎて横断歩道に掛かるため、その行列は約100メートルごとに区切られたまま、どこかに向かって進んでいた。ざっと見た限りでは終着地点がまるでわからない。100メートルの行列の束が幾つもある。今の日本に、これほどの長い行列を作る熱があったのかと、目を疑うような異様な光景がそこにはあったのだ。

 新作ゲームの発売なら、ビックカメラの店員とかがハッピを着て手持ちの看板を持って『最後尾はここ』、なんてやっているのでわかりそうなものだが、いや、今時はもうゲームだって店頭で並んで買うバカはいないだろう。だったら一体、この20歳から30歳ぐらいの男ばっかりの行列の集団は何なのか。デブやヒョロガリのアニメオタク層ではない。

 裏原宿のTシャツブームぐらいで情報が止まっている僕はその行列が皆目見当もつかなかったが、エイプのTシャツ目当てでないことぐらいは察しがついた。

 となると、転売のプレミアム市場が確立されているという、ナイキの限定モデル発売ぐらいしか思いつかない。

 まあ、どっちにしろ、今の僕には関係のないことであった。



原宿赤坂廃屋-9
 取り壊し間近の原宿駅の改札を出て、横断歩道を渡ると、銀だこがある。時間にして僅か30秒ぐらい。

 そのすぐ裏に、こんな個人宅の廃墟がこの令和元年に、残されていたとは    



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 向かいのカフェがちゃっかりとPOPスタンドを廃墟の敷地内に置いてしまっている。廃墟マニアだからといって、違法行為をやっているぞと店に怒鳴り込むつもりはサラサラ無いし、そんな立場に無い。

 少し先に女性客が次から次へと吸い込まれてゆくカフェらしき店があった。店先には常駐しているらしき立哨中の警備員。ここ周辺の治安に問題があるのだろうか。



原宿赤坂廃屋-11
 定番のガムテで塞がれてはいないものの、しばらく使用されていないことは明らかである。

 古く見えないのはステンレス製だからだろう。



原宿赤坂廃屋-16
 塀から身を乗り出して撮影。

 荒れてはいるものの庭は広い。平屋の家屋自体は質素で老夫婦が住んでいそうな飾り気の無さがある。

 あの原宿駅まで徒歩で一分もかからない距離にご自宅があるというのに、この数十年、住人の方はどうなされてしまったのか。



原宿赤坂廃屋-14
 出窓から覗くレースのカーテンを見るとそう古さを感じさせないこともないが、屋根の錆や塗装の剥がれは残酷な時の流れを物語っている。



原宿赤坂廃屋-18
 敷地内には住居部の他に、古めかしいビルもあった。流行りのビルではなく、昔ながらの三階か四階建てぐらいのである。



原宿赤坂廃屋-15
 自営業を営まれていたようだ。



原宿赤坂廃屋-23
 カメラの望遠では捉えられなかったが、この奥にテールフィンがジェット機みたいな形をした1950年代頃の埃を被ったアメ車が確認出来た。

 もしかしたら、外車のディーラーだったとか。

※なお、アメ車の車種については様々な情報が寄せられましたが、最新のレポートを報告しておきます。

例のアメ車は1957年chrysler imperial 4door sedanでした。丸いテールランプ、テールランプ左下に給油口、トランクリッドにスペアタイアタイヤを背負っているという特徴が合致しております。当時は公用車に使われるようなフルサイズのアメ車が放置されているとは驚きました。

ワムハチ様、どうもありがとうございました。



原宿赤坂廃屋-19
 門柱から表札はもぎ取られていた。



原宿赤坂廃屋-37
 街中で僕が廃墟を撮影していると、大抵、影響を受けたOLや女子高生が一緒になって撮影をし始めるケースが多いが、ここでは皆素通りだった。



原宿赤坂廃屋-27
 家庭菜園でもあったのだろうか。



原宿赤坂廃屋-28
 インターホンも無い。



原宿赤坂廃屋-35
 関心を示していたのは、僕だけだった。

 なお、反対側のビル側から行こうとしたが、手前にカラーコーン二つで停止バーが設けられていて、警備員が立っていた。その横を作業員がひっきりなしに行き来していた。

 もしかしたら、この古いビルから取り壊しが始まるのかもしれない。原宿駅のリニューアルにあわせて。



原宿赤坂廃屋-29
 原宿の駅前廃屋、

 もう少ししたら見納めになるのかもしれない    



原宿赤坂廃屋-40
 さて次は、赤坂のTBSテレビ、赤坂ブリッツのすぐ近く、地下鉄千代田線「赤坂駅」の真ん前。



原宿赤坂廃屋-89
 大都会に取り残された、廃屋。

 なんと、数年前まではここで老夫婦が暮らしていたとのこと。
 
 大東京、こんな所にポツンと廃屋    




つづく…

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