メールでここの訪問記を送ってくれた人によると、この廃墟らしきものは、ご主人はどこか別の住まいにいらして、不定期にメッセージを書きにこの家にやって来る、という話であった。
アップデートされる、壁の文字。
家の前は車の往来の激しい幹線道路。
メールを送ってくれた”のり”さんいわく、その空気感とドライバーの熱い視線もあって、外側から眺めて写真を撮るのが精一杯だったという。
僕なら、手ぶらでは帰らないだろうな、という、根拠の無い自信のようなものはあった。
見た感じ、遮るものは無いのだから。
広大な敷地には、本宅の奥にも離れの平屋がもう一棟存在するようである。
情報を貰った当時は”回転性めまい”を発症してしまい、このような家の訪問などとんでもない時期であったが、なんとか病気が完治した今、行くしかないだろうと、半年以上指をくわえていた鬱憤を解き放つべく、訪問してみることにした
『のり』様、情報提供、どうもありがとうございました。
駅からバスに乗って数十分で到着。
家はバス停の目の前にあった。
がしかし、廃屋と思われた家の中から、スピーカーから発せられているらしき音楽が聴こえてくるではないか。
もしや、セキュリティでも施してあるのだろうか。
自宅から始発の電車でやって来たということもあり、辺りはまだ薄暗い。
バスでやって来る途中、ここのバス停の一つ手前に耕作放棄地があり、その奥に廃屋があって、それが気になっていたので、徒歩で戻って、取り敢えずその廃屋を確かめに行ってみることにする。
戻って来た時には、明るくなって撮影もしやすいだろうし、セキュリティの状態も何か変わっているのではないかという期待もあった。
わざわざ徒歩でバス停を一つ戻って行ってみた廃屋らしきものではあったが、蔦が絡まって誰が見ても廃屋のようではあったが、窓からは電灯の灯りが漏れていた。
諦めて引き返した。
戻ってくると、隣家の男性が彼のご自宅の前で掃き掃除をしていたので、この文字が書かれた家のことを聞いてみることにした。
すると、驚いたことに、通称『黒の家』のご主人は、今この瞬間も、文字が書かれた家の中にご在宅であるという。
『黒の家』家主は、元市役所の職員。廃業前の山一證券などの株を大量購入した後から、このように家に文字を書くようになったということだ。
会えば気さくに話をするし、会話は至って普通、普通の人ですよと、そこを強調して話されていたことがとても印象的であった。
ボソリと、
「おそらく、僕ぐらいかな、外部の人と会話があるのは...」
とも。
隣に住んでいてあの文字のことはどう見ているかと聞いても、ネガティブなことは一切言わないし、スピーカーの音も許容範囲内なので、何とも感じないということであった。実際、黒の家の隣の家の門の前で耳を澄まして聞いてみると、そう大音量ではなく、不快な感じはしなかったのである。
廃墟かと思われた『黒の家』。実は家主がご在宅であったとういことで、なら仕方ないので、外側から写真と動画を撮ろうと、カメラとビデオカメラを手元に用意して、撮影に取り掛かることにした。
僕にしては、おしとやかに、控えめに、黙々と、道路一歩挟んだ奥の方から淡々と写真を撮っていると、近所のオバさんらしき人が険しい形相をして僕に言い寄って来た。
「あなた、家の人に許可を取っているの?」
「いいえ、勝手に撮ってますけど・・・・」
「無断でそんなことをして、警察を呼びますよ!!」
一瞬、彼女は『黒の家』のご主人の妻だと思ったが、塀の外側からやって来たし、『黒の家』のご主人とは距離感を保った言葉の選び方をしていたようなので、大方、近所の世話好き婆さんだなということは理解できた。
隣家の温厚なご主人の妻かもしれない。
「家にいるから許可を取りなさいよ!」
すると、よく見ると驚いたことに、『黒の家』のご主人と思われる方の姿が玄関にあったのだ。
後でわかったことだが、ご主人は金魚にエサをやっていたようだ。
世話好き婆さんの迫力に圧倒されて、渋々というわけでもないけれど、彼女に背中を押されるようにして、僕は敷地内に入り、『黒の家』のご主人と対峙することになった
右脳出血1983年7日1日
東京デズニランド
オープンの 32才
ミニチュアダックスフンド
1999年11月2日
11時
左目から脳ミソ
串刺し
外側のブロック塀にはこんな文言が書かれていた。
今から、これらを書かれたご主人との対面を果たそうとしている、僕。
生温かい嫌な汗が首筋から一滴、雫の航跡を描いて背中の漆黒へと流れ落ちていった
現物も添えてある。
ご主人のジャージとシャツなのだろうか・・・・
松下・京セラ・ニンテンドー
等々あれど
大会社は金出さず
バブルが弾けた後ぐらいの情報?
鼻先に突きつけられるとどまるところを知らない情報の圧に、言葉数も少なくなる、僕
詩人でもある。
英語も出来ると、隣家の男性は褒めていらっしゃった。
ケン活とは?
この後、沢山書かれているのを目にすることになる。
”恐怖”
塀の上面部にも。
ケン活推し
大工が傾いた家を作った理由
株券がベタベタと至る所に貼られていた。
後で行った独占インタビューによると、これらの株券は全て本物であるとのこと。
マンホールのスペースまで。
この後、僕とご主人は膝を突き合わせて会話をする間柄へと発展することになった。
K冊に襲撃を受けて家をズタボロにされた話や、脳みそを切除されて片目が見えなくなってしまった話、山一證券や拓銀が廃業するわけがなく、あれはご主人のような大株主に対する工作であり、株の保有権はまだあるから、そのうちお金は戻って来る等、ご自身の主張を展開してくれたのだ。
これは愛犬のトイプードルと散歩に出掛ける時の写真。
下はデニム、上は革ジャン。どちらも家の外壁と同様、過激なメッセージでびっしりと埋め尽くされていた。
頭には電飾付きのヘルメットを装着。バッテリーに対応していて、ピカピカと光っていた。
ご主人いわく、
「交通安全が何よりなんだよ
家の中に招かれた、僕
つづく…
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コメント
コメント一覧 (27)
カイラス
がしました
地図にも無い廃集落や廃村ですが、
知り合いにNTTの電柱保安をしている人間と知り合いになれば、簡単です。
電柱ある限り、何十年人の立ち入りが無い廃村や廃集落に電柱の管理に携わります。
誰も知らない、忘れ去られた廃集落にも線は切れていても、電柱は立っていて、立っている限り定期的(いいとこ2〜3年周期)で点検に巡回するからです。
NTTの電柱が山の中の獣道のような場所にあったとすれば、電柱を辿ればその先に電話のつながっていた暮らしがあった証です。
カイラス
がしました
いきなり、驚き固まって状況が理解出来ないボクに、歯も無いその母親らしき人物が、自身の状況を語って来たんです。
内容はやはり、この記事の住人に共通したような、国家ぐるみに襲撃を受け逃げ続けているというような、ある種日本赤軍の逃亡者のような妄言や、皇族の裏の暗殺団に狙われているとか、とっくに存在しない企業(日産プリンスだったような)に狙われているとか…。
更に飲食物を持っていたら恵んで欲しいとか、
挙げ句に娘をかくまって欲しいとか…。
当然、妄想なのか虚言なのか解りませんが、、そんな尋常ではない状況の人間に関わるのはごめんだと思い警察に保護を求めるべきだと諭したのですが、やはり警察を出した途端の異常な反応に、恐ろしくなり(結果その場所から距離を離して戴けない状況)となり、暗くなる前に山を降りなければの一心で隙をみて逃げ出した。ということがありました。
今思えば、本当に危険な状況だった可能性もあります。時代錯誤の会話といい、密入国者か、狂人を装った工作員の可能性もありましたよね。あの場合はもう年月的には崩れ去り、跡形も無いでしょうが、あの母娘がいったい何者なのか?は今もふと考えてしまいます。
カイラス
がしました
以前に、ボクも廃墟巡りが趣味だったと
お話したのですが、やはり人(特に住人、先住放浪者)との対峙が一番避けたいところですね。
25年以上前になりますが、ボクも奇人と邂逅してしまったことがあります。
ボクはもっとも、カイラスさんのような対応力は有りませんでしたから、とにかく必死でした。
以前、ボクが奇妙な旅荘の話をしたあの道なのですが、勿論、仕事で入った旅荘で記憶していたのもありますが、あの脇道から当時、明治に海沿いに現在の国道136が開通する以前に使われた、江戸~昭和初期まで使われていた古道へのアクセス経路を探す為に、古道を下田まで調べてみたいと考えて宇佐美トンネルの脇道は、だいたい分け入っていた経験もあり、そこで母娘と思われる、奇妙な二人に遭遇したことを思い出しました。
古道探索でも、70年代まで管理されていたような旧家屋の廃集落や廃村に出くわす事もあり、獣道程度のアクセス経路では荒らされずに比較的綺麗に残る廃墟や、廃隧道などに出くわす事もあります。
山を2キロは踏み入った場所に、おそらく江戸城の石切り職人が作った造成地跡があり、そのスペースを起点に集落が発生し戦後まで人が居たのだと思いますが、そのうち一軒が林業者に倉庫代わりに使われていたのか、70年代のものと思われる残留物を残す半壊廃墟に行き当たったんです。
当然、そのような場所です。今は管理すら絶えた林業者が歩道に管理する以外は長く人は入らない廃屋というのは明らかだったのですが。
驚くことに、身を隠すように女性ふたりが家屋の奥にうずくまるように座ってたんです。
カイラス
がしました
過去に度々、メディアに取り上げられて拝見した記憶が有りますが、家主は知りませんでした。
カイラスさんが家主と邂逅、対談していたとは驚きです。初公開ではないでしょうか?
凄まじい物を見せて戴きました。感謝致します!
カイラス
がしました
キョーコさんの日記の中で私の誕生日がきたらコメントしようと、今か今かと待っている所でした
が、今回の記事を見てビックリ!
ものすごく近所です(車で1、2分!)
10年ほど前に越して来たのですが、初めて見たときの衝撃は凄かったですね
しかも定期的に書き換えられてるので、内容が気になります
数年前には全く更新されない時期もあったので、こちらにお住まいでない期間があったようです
続きが気になりますが、楽しみに待っています
カイラス
がしました
住んでいる街でだいぶ前に住まいのコンクリート塀、トタン塀にペンキでそれぞれ殴り書きしてるお宅が2件ありました。
両方とも御老人だったようでいつの間にかどちらも立て替えていたので施設に入居せざるを得なかったのか昇天なさった模様。御本人にはお会いしてません(むしろ接する機会が無くてよかったのかもしれません)
今回の御老人、格段にセンスが上かも?と思い出してしまいました。
デビュースのこと思い出して検索したら、廃墟地図にカイラスさんのブログのリンクありました。Yahooブログともうひとつブログサービスが終了するので個人的に嬉しかったです。
カイラス
がしました
めっきり冷え込んできましたが、お加減いかがでしょうか?
なかなか強烈な電波を発しているというかなんというか…中には韻を踏めそうなリズムに乗って口ずさみたくなるような文もあったり
住んでいる世界が少しズレているだけで、悪い人ではなさそうなのは伝わってきます。続き、楽しみにしています。
カイラス
がしました
これはまた強烈ですな!良く接触に成功しましたね。
僕なら、近所のお節介ババアの時点で尻尾巻いて退散しちゃいますね(笑)
続きに期待してます!
カイラス
がしました
何の情報も無く、このお宅を初めて発見した時は車を運転しており三度見位して危うく事故るとこでした(ToT)
ご主人はあの敷地にお住まいになられてたのですね。
相方の読井に「あのお家の二階にあがってメッチャ笑顔で手を振った写真をインスタにアップしたい」…と言われました。いわゆるインスタ映えするらしいですが却下しました。勝手に侵入しなくて良かったです。
次回が超楽しみです(*^_^*)ありがとうございます♪
カイラス
がしました
数年前に比べ電波具合が増しているので人がいるのは分かっていたのですがまさかご対面できるとは驚きです。
遠目から見るしか出来なかったので続きを楽しみにしてます。
カイラス
がしました
そんな藁をも掴む様な無謀を実施すべく奔流に飛び込まれたカイラスさんには、改めて敬意を表さずにはいられず、思わずコメントしてしまいました。
廃墟趣味は数あれど、私は建物に残された人間の痕跡からその空白を輪郭にしていく事が何より楽しいと感じています。
その点で今回のような現在進行形での事案、まさに怪異に飛ぶ込んで解明していくカイラスさんを見るたびに己の矮小さを恥じる思いです。
ただ、前回のデビュース同様に人間が絡む事で不測が起こらないか心配な時もあるので、無理はなさらず・・・
まぁ、リスクマネジメントに関してカイラスさんに何か言うのも釈迦になんとやらとは思いますが。
カイラス
がしました
発するモノの意味はわかりませんが、
何だか惹き付けられるものがあります。
このお宅は、火災に遭われて
黒く焦げている訳ではないですよね?
派手な服装も、山本寛斎風で(笑)お似合いです。
久しぶりに血の通った対話が出来ましたね。
次回が楽しみです。
カイラス
がしました
カイラス
がしました