表紙
 キョーコさんはまもなく卒業式を迎える。その数日後に、閉校式が行われる予定になっている。

 この冊子は読んで字の如し、キョーコさんが卒業をする中学校と、かつて通っていた小学校の『閉校記念誌』である。

 これを見て

『また、おまえの手癖の悪さが出た賜物なのか。日記のみならず、閉校記念誌まで持ち去っていたのだな...』

 と思われる方がいらっしゃるかもしれない。

 いいや、それは違う。

 僕が探索した時点ではこれを見つけ出すまでには至らなかった。

 まだ日記をロクに読んでいなかったともあって、仮に見つけても感心を示さなかっただろう。

 一年ぐらい前のこと。

 このブログの読者の方が、キョーコ邸に赴き、半身ほど崩落した二階の部屋より、雨露に浸って千切れそうになっていた、この閉校記念誌を発見したのだ。

 そのままにしておいたら、キョーコさんの思い出の品がまた一つ大地に還ってしまう。それはあまりにも名残惜しい。なんとかできないものかと、思い悩んだ、その読者。

 カイラスさん、どうか、カイラスさんの手元に残しておいてくれませんか、と、ある日、突然、レターパックプラスで、二冊の冊子が送られて来たのである。

 正確に言うと、厚かましいながら、僕が送って下さいと、頼んだのだけれど。

 僕が世に問うた作品というべきものに、そこまで想いを寄せてくれるというのならば、喜んで受け取りましょう。そして、大草原の中で今にも散り散りとなりそうな少女の思い出を一緒に後世に語り継ぎましょう、と。

 僕はその人の好意を三顧の礼を尽くして受け入れることにしたのである。

 もう一冊のは、まだ時期が早すぎるので、こちらの方を時系列にあわせて、公開することにした。

 二冊目の公開はあくまでも予定ではあるけれど、その時までこのブログが続いている自信は正直、あまりないかもしれない    

 ご提供下さいました、X様、誠にありがとうございました。



s11
 歴史あるキョーコさん卒業の小中学校。

 昭和11年の写真。

 頁は所々がくっついてしまっている。

 年表によると、尋常小学校の頃からあるようだ。



s51
昭和51年(1976年)



慰問
行間辺敬老会慰問出演
 昭和52年9月15日


 利発そうで羽生クンか俳優みたいな顔をした男子の写真だが破れてしまっていて痛々しい。

 金山君でないことは自信を持って断言できる。
 


3
廃校の話を聞いて

四年 沢口 香

 お母さんから廃校の話を聞いた時、私は びっくりしました。それで、私は、「いつ、廃校になるの?」と、聞いた。そうしたら、「わからない。明日、会館で話し合いがあるから。」と、いった。私は、(廃校にならないように)と心の中で思っていた。
 
 その時、私と悟は、有加ちゃんの家によっていた。しして、私たちが、遊んでいると お母さんとおじいちゃんが帰ってきた。

 私と悟は、お母さんに帰るよといわれたから、カバンを車に入れて、トイレをかりにいった。そして、トイレからでて お母さんに 「廃校になったの。」と聞いた。そうしたら、お母さんは「廃校になった。」と、いった。そして、「もし、生徒全員ではんたいしたら、廃校にならないかもしれないよ。」と、いった

 だから、私は、生徒全員ではんたいしたほうがいいと、思った。

意外だったのが、廃校か存続か、流動的であったということ。連日連夜、学校と在校生の父母達の間で話し合いが持たれていたようだ。

>私は、(廃校にならないように)と心の中で思っていた。

この『沢口香』さん。まだ小学校の途中なので、やはりこのように願うのだろう。なお、中学生であってもその表記が無いため、文章の内容で小学生か中学生なのか判断するしかない。

>だから、私は、生徒全員ではんたいしたほうがいいと、思った。

話し合いの結果は、廃校だった。

が、お母さんいわく、生徒が強い意思を示せば廃校は覆ると。

これは、残念がる子供を見かねた母親の愛情のこもった嘘だったのかもしれない。

いたいけな子供に対してあまりにも非情であると、希望的観測を持たせてあげて、その場しのぎでもショックを和らげたかった親心ではないだろうか。



4
廃校と聞いて

四年 高橋 郁

 お父さんとお母さんが 廃校の話をしていた。

私は、なんのことかな、と思って聞いていたが、あまり、はっきりとわからなかった。

 つぎの朝、学校にいって 有加ちゃんたちに聞いてみた。はっきりと廃校になるとわかって びっくりしてしまった。

 なん日に廃校になるか わからないので 先生に聞こうとしたが、やめた。

 私は、小学校だけでも 行間辺小学校に のこればいいのになあ と思った。それに並木にいけば、行間辺にいた時みたいに、行間辺湖にいって キャンプして カラスがいとか いろいろのものをとったり、楽しく遊べないかもしれない。

 私は、六年生まででも ここで 勉強したいです。

生徒数僅か数名の分校のような学校の生徒の間に動揺が走った。

親達も卒業生なのだろう。母校存続の一大事に神妙な顔つきで話し合っていたに違いない。

>はっきりと廃校になるとわかって びっくりしてしまった。

『廃校にならないで・・・』

郁ちゃんは祈るような思いで学校に行ったが、どうやら本決まりのようであった。

自分の学校が数ヶ月後に消えて無くなり、別の学校になかば強制的に編入させられる。そんなバカな話があるのかと、憤ったことだろう。

>行間辺湖にいって キャンプして カラスがいとか いろいろのものをとったり、楽しく遊べないかもしれない。

並木に行ったら、キョーコさんの母親も疲れを癒やした、あの行間辺湖キャンプ場付近で楽しく遊ぶことはもう出来ない。絶対、今の学校がいいんだと、未練が有り余るほど残る、郁君だか、郁さん。

>私は、六年生まででも ここで 勉強したいです。

その願い、受け入れられることなく廃校となってしまったのは、全く他人事ながら、残念でならない。



 なかには、幼いながら、大人に暴言を吐きつつも、廃校となることを全力で反対する、必死な子供の姿もあったのである    




つづく…

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