物置の扉を開けてみた。
居住者が居なくなってそのままの姿なのだろう。常用されていたと思われる”魔法瓶”が次の出番を今か今かと待ち構えているかのように食い気味でぶら下がっていた。
水筒というより、魔法瓶。内層がガラスで出来ていて、遠足に持っていこうものなら、少しのショックで割れてしまい振るとガラガラと音を立てるやつだ。
息子だろうか。娘なのか。
孫二人も元気に写真に収まっている。
令和の時代になってまで、お祖父ちゃんの家と残留物、宛もなく巷を漂い続けているというやりきれない現実に胸締め付けられる思いの、僕
いや、孫なら『おじいちゃん 明けましておめでとう!』などと拙い一筆を添えてあるのがよくあるパターンだが、それが無いということは遠い知り合いなのだろうか。
差出人の住所は分かっているのだから、訪ねて行ってみればいいではないかと、そういう意見もあるかもしれないが、それ相応の事情があるはずなので、他人の僕が口を挟むことは出過ぎた行為ではないだろうか。
糖尿病の末期症状か。
ほっそりして目に見えてやつれてしまっているご主人。
1993年のカレンダーと1999年のカレンダーが一緒に掛けてある。
1993年の方はサントリーのペンギンのキャラクターを気に入って掛けたままにしておいたのかもしれない。
婆さん、俺ももうすぐそっちへ行くよ・・・・
可愛らしい夫婦ペンギンを見て、亡き妻との楽しかった結婚生活を想い返していた。
夫婦生活の全てを見届けたブラウン管テレビも今は持ち主同様永遠の眠りについている。
テレビの上に何個も尋常ではない数の懐中電灯が置いてあることに”ハッ”とする。
晩年は被害妄想に侵されていた可能性も...
洋服箪笥の扉裏にはご主人のネクタイ。
キュッと締めれば即装着出来るようにと、結んだ状態にしてあった。
他人の目を気にせず合理性を最優先とする、独身あるあるでもある。
トレーナーの中にTシャツを入れたまま(袖も通したまま)にして椅子に掛けておいたりと。
妻がご生存なら『お父さん、だらしない!』と一喝されていたことだろう。
居間の一画にはそんな妻の書籍類が片付けられもせずそのままにしてあった。
先立たれた妻の思い出と寄り添い続けた、晩年。
仏壇は面発生全層雪崩が起きたかのように造花がすんでのところで踏みとどまっていた。
仏壇まで拝ませてもらったのだから、居間をもう隅々まで見たということで、二階に上がろうとしたのだが・・・・
ご主人、お亡くなりになる前はもう掃除をする気力も失われていたようだ。
独居老人の廃屋ではよくあることなので、特に驚くことはなかった。
階段は玄関横と、もう一つ、台所の脇にある。
台所の方の階段から行ってみることにした。
居間から台所へと続く廊下の途中にガラス戸で仕切られた小部屋があった。
それは子供部屋のように見えた。
そう思って、残留物をかき回してみるが、洋裁の本や、包装紙を束ねて入れた紙袋など、明らかに主婦らしき物で一杯であった。
子供部屋に見えたわけは、その狭さと、チラリと目に飛び込んで来た、棚の展示物である。
レーシングカーのプラモが並んでいた。
だが、その塗りは、子供にしては下手過ぎす、かといって、上手くもない。ご老人が必死になって丁重に塗ったであろう朴訥で生真面目さを感じさせるものである。実直で遊びが無く、若さゆえの破天荒さも無い。
カーマニアであるご主人のコレクションに間違いない。
廃屋で誰の目にも触れられることなく、佇み、風化してゆく、丹精込めて作られたコレクションの数々。
あまりにも虚しい。
物の蒐集の末路なんて、こんなものである。
僕は幾つもこういった例を見てきた。
自分がこれに近いことになっているので、家からコレクションを一掃しなくてはと、改めて思い知らされたわけなのである。
カウンタックやデイトナなど、市販されている乗用車区分のいわゆる”スーパーカー”ではない。
レーシングカー。
サーキットを駆け抜けるロマンに魅了されていた、ご主人。
水中花?
今は亀裂が入って崩壊寸前。
日本人形とバトミントンのシャトルの関係は?
ご主人がお亡くなりなった今、その問いは永遠に解けることはない
野生の動物にも興味津々だった様子。
或いは、アフリカの野生動物の間を激走するラリーカーに憧れていたのか。
東日本大震災の時になぎ倒されてしまったのだろうか。
ご主人のレアなコレクションはまだ他にもあった。
この後、台所を経て、料亭のような作りの二階に上がることになる
つづく…
こんな記事も読まれています
コメント
コメント一覧 (8)
カイラス
がしました
カーマニア邸住所のヒントがあったもので手がかりにGoogleマップ調べますとあらビックリ、僕も元々好きで通っていたひなびた田舎町ではありませんか。
しかもよく車で走った道沿いにあるカーマニア邸でありました。
この廃墟前の道を少しいって曲がるとその昔、学園ものドラマで使われた古い学校校舎がありまして、そこへもよくドライブがてら通ったりもしてたのでした。
そもそも町全体が昭和のまま時が止まったゴーストタウンのような雰囲気があり独特で好きでした
ああいう土地の廃墟にスルスルとカイラス殿は潜り込んでしまうのか、と改めて感心もいたしましたよ
Googleマップでスタンドの道を挟んで斜め前のお店を見ると「乗り物とおもちゃ」と看板に書かれたお店が潰れてありますね
ここにもカイラス殿の好きなレトロなおもちゃなどが眠ってそうだなぁ、などと思ったりしてました
しかし久々にこの町をマップを通して見ましたがぜんぜん変わってませんね、相変わらず昭和で。
昔この町を散歩してた時にずっと僕についてきた小学生の男の子がいたのですが、もうすっかり大きくなったんだろなぁ、などと懐かしくなりました。
続きも楽しみにしときますね。
カイラス
がしました
でも何故タミヤのHonda F-1がないのでしょうか。
ご主人は日産関連のお仕事だったのかもしれません。
カイラス
がしました