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 山梨県道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、小倉美咲ちゃん(七歳)が忽然と姿を消してからのニュースやワイドショーの報道を僕は苦々しい思いで観ていた。

 ある番組では山岳ガイドを引っ張ってきて、山の奥深くまで捜索させる。違う番組では、警視庁捜査一課の元刑事を現場の沢付近を歩かせて、御託を並べるだけ並ばさせておいて、結局、いずれも収穫は何一つ無し。

 美咲ちゃんが失踪した「椿荘オートキャンプ場」付近には廃屋や廃墟、廃車が多いという。

 消防団や自衛隊があれだけ山を捜索して美咲ちゃんを発見出来ないのだから、子供が自分の足で山に入って行って遭難したという線は無いとみていい。この事実があるのに、山岳ガイドにあれこれやらせるのは、テレビのショーとしてのパフォーマンスでしかない。山岳ガイドは雑誌名入りのジャケットをこれ見よがしに着ていたので、売名目的もゼロでは無かっただろう。

 周囲の目撃情報や少ないながら設置してある防犯カメラの解析の結果、部外者が外から来て、まんまと美咲ちゃんを連れ去ったというのは、状況証拠的に難しいという。

 川の数十キロ下流も捜索されていたので、捜査一課の元刑事が沢を歩きながら経験則やらで物を語るのは、テレビ的な演出でしかない。

 やはり、身内の犯行しかないだろうと、当初、僕もネットの一部の過激な意見と同様に、そう見ていたのである。

 美咲ちゃんの母親がテレビで初めて顔を出して会見をした時、僕はお母さんの目元に注目していた。果たして、涙は流れ落ちるのだろうかと。

 よく芸能人が芸能界での進退をかけて、一世一代の釈明会見をする時がある。特に女性の不倫釈明会見などでは、本気度の目安として、涙の一滴でも垂れ落ちでもしないと、本当に反省していないと、視聴者に冷ややかな反応をされてしまう。女優だから演技で嘘泣きをしている場合もあるだろうが、例え嘘でも、それはそれで一滴も流れないとしたら、嘘くさいとされてしまうのが、大方の見方であろう。

 物凄い数の記者とマイクに囲まれて、美咲ちゃんのお母さんはしゃくりあげながら、美咲ちゃんの行方を世間に訴えたが、目元からは一向に涙は流れ落ちてこなかったのである。

 NHKのニュース番組、民放の主だったニュース番組、各局のワイドショー、一応各種拝見させてもらったが、干上がったように、彼女の目からは涙が滴り落ちることはなかった。

 僕や一般人の彼女を見る疑念は深まったと言える。

 しかし、翌日、NHKのニュース番組で、昨日とは別角度からカメラで撮った映像を流していて、それには、はっきりと、溢れ出る涙が映っていたのである。

 NHKも、これでは美咲ちゃんのお母さんが疑われてしまう。本当に彼女なのだろうか。複数台持ち込んだカメラの映像を調べてみたのではないだろうか。すると、別の角度のカメラがしっかりと、捉えていた。

 涙を見せたからと言って疑惑が100%払拭出来たとは言えないが、少なくとも、僕は彼女を信じるに足りた。

 いまだ、父親の方が名前も顔も明かしていないのが、気になると行ったら気になる。会社で『行方不明少女の父親』とバレるのが具合が悪いのだろうか。

 夫婦で顔を晒して、涙ながらに世間に同情を請えば、その想いは人々の胸に突き刺さり、事件は風化せず、有力情報も出てくる可能性が高くなると思うのだが。

 美咲ちゃんの行方は迷宮入り、八方塞がりになったと世間では感じているかもしれないが、僕は、「椿荘オートキャンプ場」付近にある、ある廃屋に目をつけていた。

 廃墟や廃屋の素人にとっては、なかなかそれらの物件には入って行きにくい、心理的ハードルが存在する。僕なら、失踪少女を発見するためになら、勇気を持って踏み込める。

 仮に、素人が廃墟に入ったところで、パパッと一瞥して、「何もありませんでした」となるのが普通である。僕みたいに、座布団をひっくり返したり、壺を逆さにしてみたりはしない。

 廃墟には、一般人が触れようとしない、奥の奥にある部屋や、秘められた物品があるものなのである。僕以外に、誰が、引き出しを抜いた奥の底まで探すというのか。

 僕は下手したら、今回の探索当日に、テレビでニュース速報が流れると、本気で思っていた。

『ブロガー兼YouTuberのカイラス氏が廃屋の中で美咲ちゃんを発見』と。

 僕が現場に行ったのは、今月の21日。

 そう、21日とは、美咲ちゃんが失踪した日である。

 当初は大勢で捜索が行われていたが、警察や自衛隊が去り、連日いたマスコミもいなくなってしまった。

 それでもボランティアが組織され、捜索は続いていたものの、それもいつしか終了。

 その後、毎月21日になると、母親とボランティアとマスコミが現場を訪れ、捜索をしていたようなので、21日に行けば僕もその一団に加われるだとうと、この日を選んでみたわけなのである。

 極寒の朝5時に自宅をスクーターで出発。

 「椿荘オートキャンプ場」まで、身を切る寒さに震えながら、一路、中央高速に乗り、突っ走った    



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 僕のスクーターは排気量180ccなので高速に乗れるのはいいが、車重が120kgしかないので軽すぎて風の影響をモロに受けてしまう。

 時速90キロも出せば寒いわ吹っ飛ばされそうなぐらい揺れるわで、僅か数ミリのハンドル誤動作で命を失いかねない気がして、走行中は生きた心地がしなかった。

 グーグルのナビのインターで”降りろ指示”がやけに控え目なため、相模湖インターを通過してしまう。一つ先のインターまで行ってしまい、高速を降りてから暗くて寒い山道を延々と運転する羽目になる。

 高速のインターからキャンプ場まで直線距離は大した事ないが、複雑な曲線を描いた道が長く続くので、目的地までさらに一時間以上は走っただろうか。

 インターを降りてすぐに”キグナス”という、田舎ぐらいにしかないGSが一軒だけあった。それも早朝なので閉まっていた。コンビニもインター近くに一軒のみ。そこから先は店など無い山の中をひらすら進む。

 途中には「~キャンプ場」が無数にあった。そんなに人が来るのだろうか。大体入り口にチェーンが張ってあり、冬季は営業をしていないキャンプ場ばかりだと思われる。

 道路脇には残雪。

 道路がアイスバーンでないことが救いであった。

 目的地が近づいてきて、道が林道になった。なおも進むと、カチカチの凍った道になってしまった。「椿荘オートキャンプ場」までは1キロもない場所。

 バイクではとても進めないし、車だってスリップをして危険そうである。

 仕方がないので、バイクをアイスバーン手前の道路脇に止めることにした。周囲には民家が数件。テレビのニュース映像でも見覚えがある家だった。廃屋ではなく、立派な真新しい家だ。



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 途中、こんな廃車もあり、中の様子をうかがいながら、カッチコチの林道を徒歩で行く。



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 この付近はキャンプ場やオートキャンプ場が氾濫している。どれがどれであるという識別はよそ者には難しい。

 正直、道に迷っていた。

 ナビ(歩行)で設定した場所が間違っていたのかもしれない。



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 捜索願いの紙が木に縛り付けてあった。

 周囲をだいぶ歩いたけれど、この一枚だけだったのは少なるすぎる気もした。



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 途中には二階建ての立体駐車場を備えた立派な温泉宿もあった。車は一台も無し。本館横に関係者らしきプリウスが一台。そのプリウスが無ければ、入り口のガラス扉から木彫りの巨大な妙な人形(ヒンドゥーのガネーシャみたいな)が見えるので、廃墟と勘違いしていただろう。

 宿を過ぎるとかなりの急勾配。僕でも息が切れるほどだったので、美咲ちゃんはまず行こうと思わないはず。

 さらに進んで行ったら、確かバイクで通り過ぎたはずの県道に出てしまった。

 途中どこかで曲がらなくてはならなかったようだ。

 道理で、美咲ちゃんの捜索願いの紙が僕の進行方向と逆にあったはずである。



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 これらの標識は車用なので、徒歩だと感覚が狂う。

 通行止めと書かれている箇所も多い。



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 キャンプ場のある林道は、元々は林業営業のために造られた道。

 ファミリーのワゴン車が通ったり、美咲ちゃんや僕が歩くのには本来無理がある。



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 民家横の私道みたいな道を通ることになり、限りなく背徳感を感じてしまうが、この道を進まなければならないようである。



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 急峻な上り坂に地割れ。圧雪が行く手を阻む。

 ここを登りきった時、僕は思った。

 美咲ちゃんは、現場から殆ど動いていないだろう、と。

 まもなく、テレビの映像でよく観る森が見えて来た。

 森の木陰にはまばらに三台ほどの車がとまっていて、傍らにはテントが設営されていた。

 こんな寒い冬であるのと、あんな事件がありながらも、お客がいるものなんだなと、この時は特に疑いもせず見ていた。

 が、よく考えると、揃いも揃って、林道から見えやすい場所に車がとめてある。僕がそこを通った時はもう朝の八時であったにもかかわらず、煮炊きをする人がおらず、煙など皆無。人の姿も無い。誰か朝食を食べていてもいいし、子供が走り回っていてもいいだろう。

 キャンプ場も商売なので、しょうがないということもある。

 地方の駐車場がある飲食屋でもきっとやっているところは多いだろう。

 僕がとやかく言うことではない。

 それよりショックだったのは、美咲ちゃんのお母さんどころか、ボランティアのボの字も見かけないところである。当然、テレビなどのマスコミ関連の人達もいない。

 事件が風化をするとは、まさしくこのことである。

 バイクを降りてから小一時間、僕しかここにいないようだ。

 この寒いなか、廃墟マニアのおっさんがたったひとり、事件のあった森のキャンプ場付近を凍えそうにブルブルと震えながらブラブラほっつき歩いているという・・・・



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 この後、僕はここ以外にも、ある大型物件の廃屋を発見することになる。

 夫婦に兄弟が二人。長男と妹。

 キャンプ場からは少し距離があるので、美咲ちゃんはまず訪れてはいないと思われる。

 平屋だが建物面積は大きく、兄弟にそれぞれ子供部屋もあった。例によって、写真やアルバムなどの残留物もそのまま置かれたまま。

 居間の掘りごたつなど、飲みかけのウィスキーが置かれたまま。

 一見して平屋なのだが、昔ながらの造りのその家は、なんと、中は四階建てという変わっているというか、当時としては財力があればよく用いられた工法なのかな、とも思えた。

 一番衝撃的だったのは、最後に郵便ポストを覗いてみた時のこと。

 まず違和感があった。

 建物は締め切られていているのに、郵便ポストはガムテで塞がれていなかった。

 郵便ポストの側面には可愛らしく子供の字で「ゆうびんポスト」。愛着があった様子。

 郵便ポストの蓋を開けてみると、中には、湿ってから乾燥して硬化した数枚のチラシが塊、一本の筒みたいになって転がっていた。

 チラシだけかと、がっくりして、いつもはそこで立ち去るはずが、気になったので、そのチラシが固まって出来た筒のようなものをどけてみた。

 すると、郵便ポストの底には、メモ用紙に書かれた十数枚の手紙らしきものがあったのである。

 十数枚の手紙らしき物のうち一枚のものは短冊のように小さくて文字が見えていた。「部活はまだ続いているぜぇ」といった、兄弟のどちらかに宛てて書かれた内容。誰かが、直接投函したのだろう。

 他のは2つ折りや複雑に折り込まれていた。昭和の女子生徒が授業中によくやりとりしたようなやつである。

 そのうちの何枚かを開いて読んでみると、「五年後の私へ。XXはまだ気にかけていますか?~」「十年後の私へ。XXはまだ気にかけていますか?~」

 なんと、数年後の自分に手紙を書いて、その年数が経つと、廃屋に戻って来て自分で書いた手紙を読んでいるようなのであった    




つづく…

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