田浦-205
 田浦廃村の一番奥深く。

 北海道によくあるような、降雪を考慮してあるかのような片側に大きな傾斜を持たせてある屋根の家。

 屋根の上には雪の代わりに枯れ葉が一面に隙間なく降り積もっていた。



田浦-189
 家の一番奥の部屋。

 ざっと見て、子供部屋にまず違いない。

 部屋の区切りは薄いガラス戸だけ。とても開放的だった様子。

 二つの机が並んでいる。

 片方は子供机のようだが、大きい方の机はオフィスにあるような事務所机ではないだろうか。

 兄弟二人、背中合わせで座っていたのか。

 大きい机がお兄ちゃんで、小さい子供机が弟。

 いや、違う。

 たとえ小学生同士だとしても、狭すぎる。二人背中合わせで座ったとして、椅子の背もたれと背もたれが干渉し合って、よしんば背筋を直角に真っ直ぐ伸ばしていたとしても、背中合わせで座った状態から立つために椅子を少し後方にずらそうものなら隙間がギッチギッチで1センチも動かす余裕は無いように見える。

 つまり、カミオン少年が一人で二台の机を独占していたということだ。

 それを物語るかのように、椅子も一脚しかない。

 勉強をする時は、子供机の方で。

 勉強を終えて趣味のデコトラのプラモでも作る時は、子供机から回転椅子の回転機能をここぞとばかりに使用して身を反転させ事務所机の方へ体を向ける。

 窓からの陽射しも心地よかったに違いない。

 広めの天板とその上に転がっているタミヤマークの接着剤。

 嬉々としてプラモ作りに取り組むカミオン君の作業風景の残影が朧気に見えるような気がした   



田浦-185
 全日が横須賀に興行にやって来て街に張り出されたポスターをカミオン少年がパクってきた、そんなところだろうか。

 ポスターの右角には、現在では『麺ジャラスK』ことラーメン屋店長の川田利明選手。

 ジャイアント馬場はとっくに他界をしている。

 廃村を歩いていると時の感覚を一瞬失うが、紛れもなく今は、21世紀の現代なのであった。



田浦-186
 壁の張り紙にはこんな言葉が書かれていた。

休み過ぎると、錆がつく

先祖や親を尊ぶ心から、家の繁栄は生まれる

反省しない人間には、人も注意してくれない

言葉花咲く者は、実りなし

口 と 財 布 は 閉 め る が 得

賢い人は聞き、愚か者は語る

 カミオン君、この言葉を胸に立派な大人になったかい?

 なかなか刺さることが書いてあるなと、つい読み込んでしまう、僕      



田浦-188
 カミオン君がカミオン君たる所以でもある、机の天板に貼られた無数のデコトラステッカー。

 圧巻だ。

 こいう趣味の世界があったとは、廃墟でたったひとり、いい歳した大人が、じっくりと見入ってしまう   

 雑誌のプレゼントで貰えるのか、サービスエリアに停車中のトラックに頼んで入手するのか、撮影会でか、オートバックスで売っていたものなのかはよくわからないが、小中学生ぐらいの子供がデコトラの世界にどっぷりと浸かっていたのは間違いのない事実だろう。

 カミオン君、子供時代の趣味が講じて今ではでっかいハンドルを握って高速道路をけたたましいディーゼルエンジン音を轟かせながら激走していますか?

 カミオン君が地方で積載した野菜や果物を東京に住む僕が食べる。

 そんな想像を廃墟の一室で思い浮かべたら、胸がキュッとしてじんわりと熱くなった。



田浦-187
 そんなカミオン君、当時トラックドライバーに人気だった『八代亜紀』に代わって次世代『トラック野郎の女神』と言われ持て囃されていた『工藤静香』の大ファンだった。

 女性アイドルまでトラック野郎視点であるとは、もう筋金入りのトラック野郎予備軍であったようだ。



田浦-190
 横浜を擁する神奈川県に住んでいても当時の子供なら珍しくもない、巨人ファン。



田浦-195
 渋い車の趣味をしていた。

 マツダの『キャロル』なんて当時でも大昔の旧車だっただろう。



田浦-198
 観光地に行って買うお土産の末路なんて大抵こんなものだ。廃墟で散々見てきた。だから僕はこの類のお土産は買わないようにしている。サブレとかクッキーでも買った方がまだマシだ。



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 デコトラ少年の前は鉄道少年だったのか。



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 カミオン君が幼少の頃に使っていたに違いないベビーチェアをひっくり返してみた。すると、座面の裏に懐かしいシールの数々が出現。

 漫画の顔ぶれからして、カミオン君はコロコロコミックの愛読者だったようだ。

 おぼっちゃまくんにドラえもん。

 ブルーのヘルメットを被って瞳孔が思いっきり開いてラリったような危険な笑いを浮かべているのは、コロコロコミックで連載していた『かっとばせ!キヨハラくん』の元清原選手。

 人気漫画雑誌に自身をモチーフにした漫画まで連載のあった野球界のスーパースターが、後年、覚醒剤所持で逮捕されるとは、一体、当時の誰が想像しただろうか。

 忌まわしいものでも見たかのように、蓋をかぶせるように、『キヨハラくん』を覆い隠さんばかりに子ども用チェアーを表に戻してそっと床に置いた、僕。



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 いすゞ『エルフ』のステッカー。

 この当時のいすゞはまだ乗用車も製造していた。



田浦-199
 バブル期っぽい、無理に購買意欲を掻き立てようとせずにイメージを先行させた広告。

 犬よりどちらかといえば猫派であったであろう、カミオン君。



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 普通ならアイドル歌手のポスターを貼るところだが、カミオン君はブレない。

 デコトラを心から愛した少年だった。



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 カミオン少年こと『功(いさお)』君。

 子供の頃の夢を叶えたのか、お声を聞いてみたいものです。



田浦-203
 僕の親戚の子供でもない少年のことをここまで丹念に掘り下げてあげれば、どこかで読んでくれている昔を懐かしんでいるだろう彼も心の底から満足してくれているだろうと、やりきったと感じた僕はカミオン君の家を出た。

 階段が上に続いていた。

 カミオン君の家も相当な山の上にあるが、これ以上登っていった場所にまだ住居があるのだろうか。




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 スズキの『ラブスリー』が埋まっていた。

 カミオン君の愛車だったのだろうか。



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 故意に埋めたっぽい。



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 後方を振り返れば、カミオン邸に入る前に見た、スズキの『カーナ』。

 ヤンキーが盗んだバイクを捨てていった可能性もある。



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 カミオン君の家の横の山道を登って行ってみる。

 結構険しくて息が切れる。



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 階段があったり、布によるマーキングがしてあったり、粗いが一部造成をしたような跡が見られる。

 カミオン君の家より高い所に住宅を建設予定だったのではないだろうか。



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 更に登って行くと完全な森になった。



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 田浦廃村がここまで増殖予定だったのかと思うと、人間の留まるところを知らない底抜けの欲とは恐ろしいものである。



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 下山して再び、カミオン君の家の前。

 さようなら、カミオン君こと、『矢部功』君。

 いつか君が故郷を想う時、この探索記事を読んでくれることを切に心から期待する。いや、是非、読んでもらいたい。

 だって君の生まれ育った田浦の村は、もう、無くなってしまって、ここ(ブログ)にしか残っていないのだから    



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 防空壕だろうか。



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 古いファンタの缶などが捨ててあった。



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 カミオン君がマスクをして、スプレー缶片手にスクーターのボディを塗ったのかも。



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 田浦廃村の山を降りる。

 取り壊されかけの住宅が無残に広がっていた。



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 村の建物は各々が建てたのか大きさやデザインなどまちまち。



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 捨て置かれていった、ローラースケート。



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 内部はほぼカラだったが、東京ディズニーランドのレリーフが壁に掛かったままだった。



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 この後、最後まで残っていた建物も全て一切合切取り壊されてしまったのだという。

 田浦廃村はこうして歴史の闇に葬り去られるかのようにこの地上から完全に消滅してしまったのである。

 この探索記がいつまでもひっそりとでもよいから元村民の心の拠り所として、そして興味を持ってもらえた人にも読み続けられることを僕は心から願う次第です。
 
 横須賀の負の歴史とはいえ、真実を後世に伝えてゆくためにも   

 


おわり…

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