建物を覆い尽くすような草木をかき分けて行くと、
広大な敷地の端の部分に到着。
建物の向こう側からであろう、往来の激しい車の行き交う音が絶え間なく聞こえてくる。
剥がれそうな苔むしたトタンの壁面。
赤錆びっしり観音開きの鉄の大きな扉が誘い込むかのようにお手頃な角度で口を開けて待っていた。
進むしかなかった
映画で観た軍需工場のような趣が目の前の視界に開けていた。
なぜ、廃墟なのかと、よく聞かれる。
僕はかなりのドラえもん愛読者である。
その昔僕が子供の頃、小学館は「小学○年生」といった月刊誌を「小学一年生」から「小学六年生」まで各学年ごとに発行していて、その全てにドラえもんが各学年の精神年齢に合わせた内容と画風で連載されていたのである。
ドラえもん読みたさあまり、たいして仲のよくない近所の子供の家に上がり込んでまで、「小学一年生」から「小学六年生」に連載されている各ドラえもんを毎月のように貪り読んだ。
将来漫画家になりたいという友達と一緒に、アポ無しで神保町駅近くにあるコロコロコミックの編集部に行ったことさえある。僕のその友達がそういう事情には詳しくて、追い返されるどころか、コロコロの編集部の方が編集部内をご丁寧に見学さてくれたばかりか、帰りには大きな封筒にコロコログッズがぎっしりと詰まったお土産までくれたのである。ドラえもんのベルトのバックルやステッカーなど、今思えば貴重なレアグッズばかり。
編集部内にはおそらく巻頭カラーページの特集で使うために製作したのだろう、実物大の「どこでもドア」が設置されていてただならぬ異次元感を漂わせていた。
編集部員の方がアンケートをお願いしますと、今学校で流行っている言葉を聞かれたのだが、僕の友達は何を思ったのか、僕とその友達しか使っていない、彼いわく『これ流行らせようぜ』と、事あるごとに『イヤッホーッィッ!』と適度に叫ぶ二人だけのクラスで流行らせようとしていたその言葉を「学校で皆使ってますよ!」と、編集部員の方の質問に堂々と答えたのである。
そんな質問に答えたのもすっかり忘れた頃、いいや、微かな期待を込めてコロコロコミックを以前よりは注意を払うようになって読んでいたその時、「ろぼっ子ビートン」という漫画の冒頭のシーンで主人公のロボットが何の脈絡もなく、事情を知らない人(僕とその友達以外全員だが)が読めば違和感でしかないその言葉を、唐突にそのビートンが、確かに発したのであった。
『イヤッホーッィッ!』
ちなみに、コロコロ編集部の方がせっかくくださったコロコログッズが沢山詰まった大判の封筒を僕は京王線の電車内に置き忘れて来てしまった。その後五年間ぐらいは何かにつけその事を思い返しては深いため息を吐くことをやめられなかったのは、言うまでもないだろう。
漫画家志望の友達は、後に高校生になってから当時地元界隈で一大勢力を誇ったという暴走族「ブラックエンペラー」に入ったと風の便りで聞いた。元々彼は気性が荒く、兄貴もブラックエンペラーに入っていたので、全く意外ということはなく、ある程度予想されていたというのが正直なところだが。
ドラえもんといえばタイムマシン。
学習机の引き出しに足を突っ込んだのは僕だけではないはず。
21世紀になってもタイムマシンは発明されることはなかった。
廃墟内は時間が静止したかのように建物は朽ちて残留物は記憶の彼方の物ばかり。まるで、過去にタイムトラベルしたみたい。廃墟から出ると、過去から未来へ時間が遡る。
そう、廃墟探索は、子供の頃ドラえもんでみた夢、タイムマシン旅行を現実世界で実現させてくれる唯一の手段でもあるのです
工具の影絵。
既にツールは何一つないが、その残像だけが亡霊のようにいまだ居場所を主張し続けている。
差し詰め、タイムトンネル
「ドラえもんを夢中で読んでいた君にこの先でもし逢えたら、話さなければならないことが、山ほどあるんだ
退廃の美。
崩壊と緑の混濁。
思わず、息を呑んだ
工場だったのか。
なら座っていた人は工場長か。
メッセージ性皆無の落書き。
落書きに費やした時間を、もっと生産性のあることに使ったら、どんなにか有意義に過ごせただろうかと、ハッと我に返るのは、何十年も後のこと
カラータイマー部分がスイッチになっているという、工夫
ベトコンが被っていたようなヘルメットに見えたが、よく観察してみれば、ホーロー製の電灯の傘か。
解読する気にもならない。
水が溜まった溝には本来人が入って作業出来るぐらい深かった。
溝を跨いで車両がとまる。溝の下にいる整備士が車両のシャーシ部分を整備したと。
車両整備工場だったのかもしれない。
枝豆が吊るされているかのような、連なる蛍光灯の死骸という死骸
屋根の姿が見えない。
コンクリートの床には土が堆積し草が生え木々が繁殖。
鉄をも飲み込む勢いの自然の回復力に唖然・・・
死にきれないダクトの悲哀
植物プラントのディストピア風味。
そこはかとなく醸し出される、秘密基地感。
育ってますね・・・
工場用電熱ヒーター?
イランからパキスタンに抜けた時の国境のイミグレーション隣にあった売店がこんなだったのを憶えている。
砂漠の中のイミグレーションという名の人の集まり。
乗れと言われた爆発しそうなクタクタのバス
こういうシチュエーションで必ず捻るけれども、僅かに残留する空気の音さえ届いて来ない・・・
逆に万が一を恐れて、決してONにしてみたりはしない、スイッチ。
サンダーバードにウルトラ警備隊世代が熱視線を送りそうな・・・
latrineとは (兵舎・野営地などで、下水道のない)便所
入ってみます!
つづく…
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コメント
コメント一覧 (17)
現在は利根川河口に住んでますが20くらいまで直近に住んでました。
物心ついた頃小金井街道をバスに乗って府中に行く途中、天神町バス停近くに
引き込み線の踏切があり、後にも先にも初めて生の蒸気機関車を見ました。
小学生の頃は毎年8月に現在の横田基地のようにオープンハウスと称して
基地内のお祭り(盆踊りや夜店)で中に入ってプールで泳いだ記憶があります。
1970年頃にはフェンスの中に侵入したはいいが出れなくなりアメ車のベースパトカー
に乗せられ鉄塔直下の事務所に連行され日本人職員に「何で入ったんだ?」と尋問w
されました。鉄塔の下にコーラ缶ほどの同軸ケーブルがのたうち回ってました。
小金井街道沿いの整備工場ですが当時、周辺に大型車(フォードのボンネットトラック等)
が多数駐車してましたのでその通りだと思います。
長々とすみません・・・つい懐かしく思い出しちゃって・・・
続き気長に待ってます・・・つうか行ってみようかなw
カイラス
がしました
YouTubeの方も興味深く拝見させていただいております。
このシリーズ、いつか続きがあるのかな…とここ1年なんとなく思って居たりもしました。
私事ながら、実は出身が府中なのですが、昨年ひょんなことから実家に戻ることになり23区民から府中市民に戻りました。
ふと思い出して昨日、米軍基地跡周辺を歩いてみました。
記事で取り上げていらっしゃる諸々の建物の大半が数年前にだいぶ取り壊されたのは知っていましたが、まだ府中の森公園方面にある(駐車場から良く見える)建造物とパラボラアンテナは健在ですね。
昨年、土地が日本に正式に返還されたそうで、もしかしたら新しい動きが出てくるかもしれないとも。
更地になる前にツアーなどで中に入れないものかなぁと切に思います。
貴重な写真の数々、とても美しく楽しく拝見しています。
しかし一体管理人様はどこから入られたのかと思うほど、相変わらず現地は柵が厳重でした…。
あまりこの辺りは踏み込まないようにいたしますね、すみません。
駄文失礼いたしました。
これからもご無理ない廃墟探索を。楽しみに致しております。
カイラス
がしました
カイラス
がしました
その建物の中だけ、時が止まっているみたいで美しい。本当に秘密基地みたいで、見るとワクワクします。
廃墟に行くと結構壁に落書きされている事が多いですよね。何故そこで落書きをするんだァァ
カイラス
がしました
工具の影絵、すごいですね…
私の好きなトマソン物件に、「原爆型」という分類があり
建物が二軒、連なるように立っている物件のうち、手前が撤去されると
後ろ側にある建物の壁面に(前の建物があって風雨にさらされてない部分が)
くっきりと建ってた型通り跡になっているというのがあり、それを思わせました
家具をずらして畳の青い部分が出て来たり、夏の日焼けで水着の下の白い肌がくっきりとか
意味もなくまじまじ見ちゃいますね 元はこんな色だったのかーーとかw
今年もいろいろ楽しい記事、ありがとうございました
残りわずかですが、お体ご無理なさいませんよう
カイラス
がしました
僕は80年代の刑事モノで人質が捕らわれてる廃工場を
思い出しました
>ろぼっ子ビートン
地方局の再放送枠でアニメを観た記憶があります
今だと内容的にPTAからの苦情で放送できないかも💧
イヤッホーッィッ! P(´∀`*)q
>タイムマシン
記憶の中では、確かにタイムトラベルしてますよね
何かをきっかけに、普段は思い出せない情景なんかが
ワーッと広がっていくんですよ
…って、我ながら年寄りクサイ事言ってるw
カイラス
がしました
廃工場、朽ちて崩壊の中から緑が侵食してきていい雰囲気ですね。そして薄暗い工場に光が射し込み廃墟美となりましたね。素敵です。
工具の影絵が芸術作品みたいでした。壁に描かれた絵は残念でしたが
廃墟というのは朽ちて死んでいくものもあれば
その中から生まれてくるものもありますね
カイラス
がしました