紋別の鴻之舞付近に散在する廃屋を訪ねた後、次は鉱山跡に僅かに残る、人々が営んだ痕跡を求めて、奥深くへ入り込み、金山の夢の跡を、散策してみる。
ゴールドラッシュ跡に眠る廃屋巡り
まずは、寸断された橋の向こうにあった、鴻之舞中学校の教職員住宅跡から。
鴻之舞の鉱山跡一帯は、紋別市内に住む若者の肝だめし廃墟スポットにもなっている。
彼等好みの学校施設等は既に取り壊されてしまったが、それでも道沿いには、雰囲気のある当時の建物が崩れつつもまだ残っていて、夜にでも来れば、束の間の恐怖体験を味わうには、もってこいの場所。
ちなみに、住友金属鉱山の一部施設はまだ稼動をしている。夜中に行くと、暗く静まり返った廃鉱山施設の中にポツリと、事務所らしき小屋があり、そこから漏れる怪しげな窓灯りをみて、絶叫をして帰ってくるのが、鴻之舞心霊ツアーのしきたりになっているそうだ。
鴻紋軌道記念碑。
名寄線の紋別駅でさえ、とうの昔に廃止となりましたが、こちらは1948年に廃止。
慰霊碑と石碑。
これが北海道だけなのかはよくわからないが、慰霊碑や記念碑の後に回りこむと、このような引き出しがあり、ノートなどが用意してある。
有志の方で作られた、鴻之舞の歴史を紹介したHPがあり、こちらで書き込まれたメッセージが、WEB上でも読めるようになっているようです。
トロッコの橋梁。
コンクリートは500年の耐久性があるらしいから、鴻之舞一帯が再開発でレジャーランドにでもならない限り、一番最後まで残っていそうな建造物。
スッポリと無くなってますが、細心の注意を払い、端を伝って前進。
コンクリートのがっしりとした橋なんですが、爆弾低気圧にでも襲われたのでしょうか。
ありました。
鴻之舞中学校の教員住宅跡です。
北海道の古い木造住宅でよく見かける作り。
表記が外人住宅風だと思ったが、まさか土足仕様?
材質がほぼ、木。
かなり簡素。
唯一壁紙だけに、建築デザインのこだわりを感じさせる。
流麗な川の流れを見つつも、黙々とテストの採点に勤しむ教師。
こちらも、川の流れを見つつも、小便タイム。
やはり、川へ垂れ流しなんでしょうね。
女教師の部屋だったのでしょうか。
化粧台にモケット地のスツール。
底を見ると、Fuji stool社製の『ガゼール』。
当時の独身女性教師には敷居が高そうなので、教師夫婦住まいの、嫁入り道具と勝手に予想。
元教え子が数十年ぶりに訪問をし、あのマドンナ先生が捨てるように置いていった、化粧台セットの成れの果てを目の前にしたら、、、、一体、何を思う............
枯れ葉と同化するほど地味な色の、湯飲み茶碗だけが残る。
結構アバウトな手製の網戸。
二段ベッドが並んでいるのかと思ったが、流石にこれは押入れ。
老朽化しているとはいえ、山奥で尽力した教師達の住宅にしては、かなり質素と言わざるをえない。
余計な同情をしつつも、せっかく危険な橋を渡ったのだから、道路より山へ深く入り込んだ、この元鉱山町付近を、もっと練り歩いてみることにしよう。
歩いて行くと、景色が開けた。
家に帰ってこの画像を振り返って見るまでは、これは形からして鉄道の線路跡だと思っていたが、どうやら地図によると沈殿池のようだ。
更に奥深く、お散歩気味に進んで行くと、
森の中からは、人々が居た証しの品々が、ざっくざっくと出現する。
つづく…
「謎ジュース、クインター」 鴻之舞廃墟練り歩き2
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コメント
コメント一覧 (4)
ななさん。
そのお気持ち、わかります。
ここに行くたびに何か新しい発見があります。最初に行った時は学校跡の位置さえわからず、道を通り過ぎた程度。二回目の訪問では奥に入って行って、教職員住宅や炭鉱会社の蔵などを発見。今ではゴーストタウン、と行っても野原にしか見えない場所に、人の営みがあったんだなと、でも周囲には誰もいずに静けさだけがある。また次に行けばまだ見ぬ痕跡が見られそうな気がします。ちなみに、僕もここの元住人に親戚がいるわけでもなく、知り合いもいませんが引き寄せられてしまいます。
何度か訪れては、なんとも言えない気持ちに
浸っております。
別に、なんの縁もゆかりもないのですが。
たまに住宅街で、「無料、持っていってください」と書いて、玄関先に湯呑とか置いてあるのを見かけます。不人気なのと、便器のように、陶器は廃墟でもピカピカの艶をいつまでも放ち続けているので、そんな理由からでしょう。
>金は100年上昇し続けた神話商品
もしもの時の資産、金。今でさえ、ここの関連施設は小規模ながら可動しているので、金の価値の不変さには頭が下がります。周囲はゴーストタウンなのに。
金は100年上昇し続けた神話商品。