
北海道は弟子屈町、屈斜路湖の湖畔に、ひっそりと眠る巨大廃墟施設「いなせレジャーランド」。その広大な禁断の廃エリアを、獰猛な番犬に毅然と立ち向かいつつ、余すところ無く探索を遂行し、克明なレポートをまとめ上げ発表。数多くの道民の方々から大きな反響を呼んだことは、まだ記憶に新しい。
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荒廃、『いなせレジャーランド』散策
年月か台風か侵入者によるものか、再起不能なまでに蹂躙され破壊し尽くされたいなせの残骸・瓦礫より、奇跡的に発掘した、いなせレジャーランド黎明期の”眩しい記憶”が封印された絵葉書。

その多くは腐食していたりで原型をとどめていないようなものばかりだったが、掘り起こすように深くま探ってみた結果、ほぼ無傷の1パックを捕獲することに成功する。

そこには、いなせのオーナーが夢に描いた希望の先、将来像、いなせレジャーランドの目指したかった、もう決して叶うことの無い、眩いばかりの理想図がつめ込まれていたのです。
徹底いなせ探索を終えた僕は、あまりにも現在とかけ離れた絵葉書の中身に呆れ驚きつつも、瓦礫より垣間見えるその来ることのなかった未来を、こわごわのぞいてみることにした。

周囲20km、最深212m、透明度41.6m、アイヌ語で神のいる湖カムイトーと呼ぶ、一見濃藍色の神秘的な湖、加えて摩周岳を背に特異な風景である。
川湯温泉駅を挟んだ向こう側には摩周湖がある。著名な湖との相乗効果に加え、クッシー人気もあり多数の観光客が訪れることを目論んだのかどうか。UMAや超能力のたぐいはパソコンやネットが普及し始めた90年台には、もうリアリティーを失い世間の関心もなくなっていった。

在りし日のいなせランドが遠目になんとか確認できる。屈斜路湖があり湖畔に沿うように森がある。数十年後、その森の中で彷徨った僕が発見したのは

のどかな森にさえ過酷な現実が待ち受けていた。不法投棄された、湯の閣ホールと表記がある日野製の廃バス。いなせレジャーランドの位置からすれば、森はオリエンテーリングにでも利用して欲しい、足元のレクリエーション施設と考えていたふしが無きにしもあらず。

えぞ鹿公園 総頭数約50頭が群れをなして園内を回遊している。
盛りだくさんな内容のレジャーランドだが、動物園もあったようだ。しかし、その数十年後の現実は

動物園の痕跡は微塵もなかった。せいぜいアスレチックランドにあった、抽象化して更に具現化して形にしたこの用途不明の動物の乗り物。多人数が楽しめるというところで共通点がかろうじてある。

農婦が温室内のスイカ畑で屈んで雑草でもむしっている。いなせオーナー婦人だろうか。今だったら外国人技能実習制度を悪用して、破格の単純労働作業員のベトナム人かなんかを雇っていたのかも。
多くの果実が実っていた道内でも最大級のいなせ温室はその後、バブル期を経て・・・

到達することも困難、草木に覆われ森に埋没し廃墟と化した現在のいなせ温室。中国人労働者でさえ裸足で逃げ出しそうな惨状だ。北の大地で収穫をした南国トロピカルフルーツを全国、いや全世界へと出荷してやろうという野心的な試みは、叶うことがなかった。

いなせレジャーランドの宿泊施設のロッジがある背後にはなだらかな丘陵地帯が広がっていた。僕が実に無駄なスペースだと呆れながら探索をした、あの荒涼として茫漠たる大地は、かつて牧草地だったようだ。
シュートホーン・ヘロホードがカウベルを奏で戯れていた豊穣なる緑の地の今は


廃車両の墓場と成り果てていた。温室付近に搾乳施設があったが、あのいなせ牛乳はここで放牧されていた乳牛からのものだったとは、誰が想像できただろうか。
僕はレポート記事の中で、ここを野外レトロ廃車両ミュージアムにと提言をした。が、少し時間が経過をし冷静になって再考してみたところ、景気は悪くなるばかりで消費は伸びずに北海道新幹線の予約率が全くふるわない現状を鑑みるに、それは荒唐無稽な妄想話であるとの結論に至った。

ジャングル風呂を擁するヘルスセンターの巨大な三角屋根。その直下よりカーペットのように敷き詰められた緑燃ゆ芝。両端に規則正しく配列されたいなせご自慢の鹿苑荘。バレーボールに興じる家族をみて和む、お婆さんと孫、その家族達。いなせオーナーの目指していた到達点が、この一枚に集約されている。
平成不況をかいくぐり、いなせレジャーランドは、究極の理想像であるこの絵になり得たのか?

ヘルスセンターの屋根は確かに確認できる。が、良質な芝はとうの昔に枯れ、雑草が伸び放題の状態。団欒家族の代わりに、獰猛な番犬が廃墟探索者を執拗に吠え猛け続ける。

鹿苑荘の並びを1ブロック横へ。番犬は僕を逃がさない。増築をしたことを考えると、ここがあの夢の絵の辿り着いた悲しき現実だと見ていい。

巨大な三角屋根はガラスの温室だった。北の寒空に設けられた人工の熱帯ジャングルと温泉。左の女性はスイカ畑の温室で雑草をむしっていた農婦とショートの髪型がそっくりで、同一人物とみて間違いないだろう。彼女が本当にいなせオーナー婦人だとすると、隣のロングヘアーの女性は娘か、選ばれた社員代表か。

後方にセクシーショット。画像を拡大してみたところ、幼い男児が仁王立ちをしてビーチボールで遊ぶ光景が。お湯につかっているのは母親だろうか。これはスキャンでPCに取り込み、画像ソフトで拡大をしないと判別発見できないレベル。まさかこの子供も数十年後、楽しんだ思い出のジャングル風呂が廃墟と化したばかりか、いつの間にか撮られていた全裸後ろ姿を、東京住まいの物好きに弄られ、ブログに公開されるとは、思いもよらなかったはず。
ちなみに、この絵葉書でも確認できるが、山と積まれたたくさんのバナナ。実際にこのジャングル風呂へ行ったことがある人が、もぎって食べたそうで、本物だったとのこと。コメント欄より情報を頂きました。

幾つも並んだ不気味な廃温室群。ここ数十年訪れたのは僕意外いるのだろうかと言っても良いぐらいに、足跡などの痕跡はなく、荒らされた形跡もない。

悲しすぎる現実に敢えて目をつぶり、いなせオーナーの思い描いた夢の光景を、いなせの記憶の一番最後にとどめておこう、それがお邪魔させてもらった僕にできる精一杯のお返しではないか、と、いなせの叙事詩的レポートを完結するにあたり、導き出した答えの一つである。
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コメント
コメント一覧 (18)
特命さん。
羨ましい限りです。現役時代のいなせ訪問者とは。昭和50年頃はさぞ建物はまだ綺麗だったんでしょうね。
>夕方ジャングル風呂に行って、ゲームセンターで遊んで、大広間みたいな場所でカレーライスを食べて夜に帰るとにかくいつ行っても混んでいたと思います
都市部以外の日本全体に言えることですが、地方がまだ栄えていた時代。こういった施設も潤っていたんですね。船橋ヘルスセンターを思い出しました。本当にそんな感じの場所で、今思うとよくあんな場所にあって客が来ていたなと感心します。
>子供ながらに…いなせランドは高いいなせランドでばーちゃんから小遣いをもらってその場で使った事にして貯めていた思い出
周囲にそういった施設が無くて殿様商売だったのかな。僕が見た廃墟の姿からは想像も出来ませんが。
>多分全部の施設利用が別料金方式だったのだろうと思います
そういえば、やけに券売所があったような。公園のジャングルジムみたいなのを使うのにもお金取るの?と現場で頭がもやもやしていました。ボッタクリでリピーターを失っていたのかもしれないですね。当時ならフリーパスみたいなのは僕の地元の遊園地にも無かったような記憶がします。
振り返ってみると懐かしい記憶で心満たされるんですけどね。
昭和50年頃~58年頃迄は行っていたと思います
当時の思い出
殆ど宿泊した事はありません(多分2回くらい?)
当時いなせランドから車で1時間くらいの場所に住んで居たので
日帰り温泉感覚で利用していたのだと思います
親戚や知人や客が来るととりあえずいなせランドに行くって感じの利用ですが施設内の他のレジャー施設を利用した思い出も無く、夕方ジャングル風呂に行って、ゲームセンターで遊んで、大広間みたいな場所でカレーライスを食べて夜に帰る
とにかくいつ行っても混んでいたと思います
食べ物も別に美味く無いし、わざわざ高いいなせランドで遊ぶより、他に安い場所が近くにあった気がする?
(記憶が曖昧か親がいなせランドは高いからダメって止められていた)
子供ながらに…いなせランドは高い
いなせランドでばーちゃんから小遣いをもらってその場で使った事にして貯めていた思い出があります
多分全部の施設利用が別料金方式だったのだろうと思います
入場パスみたいな物も当時は無かった気がします
ニッチー・ブラックモアさん
どうも、お久しぶりです。
ここの営業時の貴重な入館者の一人ですか。羨ましいです。
砂湯、そういえば屈斜路湖の付近にありましたね。僕はよく知らなかったのですが、名物なんですね。
>施設全体が古さも手伝い小汚なく感じ、ゲームコーナーは骨董品級、昭和レトロな食堂
業績が傾いていて、改修費用なんてまかなえなかったのでしょう。温泉が頼み綱だったようですが、それもぬるかったりしたら、この結末も仕方がないですね。
>お湯の張ってない風呂が一つあり、経営がかなり悪いんだなと中学生ながら思いました。
週末感が漂っていたという。そんな侘しさも僕は味わってみたかったような。子供は二度と行かないとなるでしょうけど。
道内に数多くのテーマパークなどが生まれましたが、おっしゃる通り殆ど消えてゆきましたね。都市部に近い例えば小樽の運河再開発なんかは成功したみたいですけど。
インバウンド需要も不透明だし、札幌から北の観光産業は厳しい時代を迎えそうですね。魅力をひねり出すために北海道好きの僕としてもこれからに期待したいです。
このいなせレジャーランドのページを読んでいて昔に行ったことがあることを思い出しました。
97年の夏休みに砂湯へキャンプに行ったときに温泉に入りました。
砂湯はキャンプ客で凄かったにも関わらず、ここはガラガラで、建物の雰囲気も昭和の置き土産という感じでした。
施設全体が古さも手伝い小汚なく感じ、ゲームコーナーは骨董品級、昭和レトロな食堂もやってるのかやってないのかわからない状態で、肝心な風呂もぬるく年季の入った熱帯植物らしき木が数本、小さいバナナがなっている木を見つめながら入りました。
ジャングルというほどジャングルでないなと感じました。またお湯の張ってない風呂が一つあり、経営がかなり悪いんだなと中学生ながら思いました。
それでも2001年まで営業していたことと、建物が残っていることに驚きました。
北海道は昭和40年代に入るとモータリゼーションの波が起こり、国道の開通や整備が相次ぎ今では考えられないような所にレジャーランドやドライブインが軒並み建ちましたが、レジャーの多様化やバブル崩壊と拓銀の破綻で経営が傾き、施設老朽化に逆らえず殆どが消えていきました。
いなせの場合は、経営を引き継いだ80年代はよかったものの、リピーターを増やせず尻すぼみ、冬は誰も来ず、北見・帯広・網走・釧路から遠い立地、冬場は危なく夏場でも走りづらく気象が悪いと通行止めになる美幌峠、酪農体験や広大な野外施設に温室農場等の維持費のコスト増大、一気に売上の望める合宿や研修などの団体客を狙った戦略の失敗、最終的には施設老朽化により徐々に施設の閉鎖していき最後は力尽きるといった感じではないでしょうか。
pianissimoさん
いなせのヘビーリピーターだったとは。
>多くのロッカーが全部使用中
今では人を寄せつけない廃墟で、そんなことがあったんですね。夢みたいな出来事です。
>夏休みと言えば、いなせランドが当たり前
定番の観光地でしたか。大げさに言えば、北のディズニーランド。僕の地元ではよみうりランドでした。
>バナナも食べましたよw
皆さん、食べているんですね。背徳感もあって余計憶えていそうです。
>宿泊は既にあやしい雰囲気
バブル崩壊を期に無くなったものを実に多いですね。道内のアミューズ関係は特に。まあ、バブルが異常で本来存在し得ないものを作り上げていたのかと。
>「お風呂なら入れるよ」との事
狐につままれたような話ですね。キタキツネ? それにしても凄いエピソード。
>末期の時まで時の流れに思いを馳せる事ができました。
なかなかない経験です。管理を任されていたとはいえ、ほぼ廃業状態でお客を入れる必要はあったのかと。
>あのソファは来客用だったと思います。
まさか、今になって、あの打ち捨てられていたソファーの素性がわかるとは。
>チョロチョロと温泉がでるように
暇すぎたオジサンの苦労、報われたのでしょうか。
>お客さんが来たのは一ヶ月ぶりだったか数カ月ぶり
おじさんとしたら、pianissimoを抱きしめたくなるぐらいの感激だったのでしょう。
>おそらく数年も持たなかった
そして、ああなるわけですか。物事の終焉とは儚いものですね。人によって色々ないなせのストーリーがあることを痛切に感じさせられました。貴重なお話、どうもありがとうございました。
翌年、自分は引っ越してしまったので、その後は行ってませんが、おそらく数年も持たなかったのではないかと思います。今思えば、非常に貴重な経験をしました。今のようにスマホでもあれば画像も撮ったろうに残念ですねw
さて、暖房も照明も一切ついてない館内を進み、服を脱いでジャングル風呂へ。息が白くなるくらい寒い温室内は、ほとんどの植物が枯れ、落ち葉しか入ってない浴槽がいくつも並んでいます。どこに唯一の温泉が?と思いながら一番奥、おそらく昔の女湯エリアでしょう。一つだけ温泉が溢れている浴槽がありました。ある意味秘湯です。お湯はぬるく、浸かっている間は大丈夫なのですが上がると寒くて寒くて。それでも、生気の失せた大空間で独り浸かる温泉を心ゆくまで堪能しました。栄枯盛衰、最繁盛期から末期の時まで時の流れに思いを馳せる事ができました。
温泉を上がってから玄関に向かうと、寒かったでしょ?と受付事務所内からオジサンが呼ぶので、そのまま中へお邪魔して色々話をしました。受付事務所は、画像にも写っているポット式の石油ストーブが燃え、大きなのっぽの古時計の振り子が揺れ、やかんのお湯が湧いてました。そこで、カリモク風ソファに座って小一時間、世間話をしました。あのソファは来客用だったと思います。
続く
他の方々も書かれている通り、当時は大変な賑わいでした。なにせ脱衣所に、健康ランドのロッカー風に並んでいた多くのロッカーが全部使用中で、脱衣かご使用するなら入れるけどどうします?的な事もあったくらいですから。当時はクッシーや摩周湖などの観光客がとても多く、近隣に大型のレジャー施設がなかったせいもあって、夏休みと言えば、いなせランドが当たり前でした。ジャングル風呂はパンフレットにあるままの感じで、巨大温室の中に浴槽が点在していました。良くわからない鳥が飛んだり鳴いたり、落ちてきた花びらや葉っぱが浮かんでいる温泉に、目玉となっていたバナナの木を眺めながら入ったものです。もちろん、バナナも食べましたよw 取っちゃいけないと言われていたのですが、よほど物欲しそうに眺めていたのか何なのか、近くのオジサンが取ってくれました。全然甘くなかったのを思い出します。
それから時を経たバブルが弾けてすぐの1990年代前半にも行ったことがありました。その時には既に往時の勢いはなく閑散としてましたね。いろいろな施設も、もう半分以上は使用停止していたと思います。機能していたのはレストランとジャングル風呂、テニスコートくらいだったような・・・宿泊は既にあやしい雰囲気だった気がします。
続く
みみすけさん
サンプル食品の「とろけるココア」の購入にちょっと迷っている僕です。
いなせレジャーランド、僕がブログに書くことがなかったら、みみすけさんがわざわざ車を停めて見入ることもなかったのですね。人の行動に影響を与えただけでも、書いて良かったなと、小さな感動に打ち震えています。
>やはり「廃墟食堂」と同じく 曇りや雨、嵐等の時は水の近くは寂しくなりますね…!
雪で閉ざされているとはいえ、まだ姿形は残っていることに軽い驚きを覚えました。雪景色も重なって、さぞ空虚さに包まれていたことでしょう。
>昭和な感じや脆い作り、すぐにこうなるのが分かりそうですが…!
なるべくしてなった、そんなところですね。
>最近は近くで温泉熱を利用したマンゴーが栽培されていますね。つい、道の駅にて購入しました。
また本来対極にあるお特産品を売り出してますね。生き残るのに必死なんでしょう。僕も行ったら買って、応援したいです。
>ジャングル風呂…!ガラスで仕切るなどしていたら良かったですね。(浴槽に鳥の糞、毛虫は嫌~!!)
野性味を強調してみたかったのでは。文字通り、温室育ちではなく。今になってもコメント欄で複数の人が語ってくれるぐらいなので、心に響いていたことは確かでしょう。
>…カイラスさん、よく探索して見させてくださいました。北海道の見方が良くも悪くも変わります。
ガイドブックに載っていない、こういった場所を探索することで、来道するきっかけに少しでもなったら、本望です。
「いなせレジャーランド」の存在は こちらのブログを見て初めて知りました。
一昨日、近くを通り砂湯(白鳥がいます)に行く際に ちらと車を停めて 見てみました。
勿論、除雪をしていないので入り口にすら入れませんでしたが…!
かなり大きな施設ですね。
晴れていたら手前の湖、山々の見えるロケーションは素晴らしいものの、やはり「廃墟食堂」と同じく 曇りや雨、嵐等の時は水の近くは寂しくなりますね…!
100年住宅とはいいませんが、時間を経て良さが出る建築でないと 経営の継続とは難しいものですね。昭和な感じや脆い作り、すぐにこうなるのが分かりそうですが…!
最近は近くで温泉熱を利用したマンゴーが栽培されていますね。つい、道の駅にて購入しました。(高いですが立派!)
ジャングル風呂…!ガラスで仕切るなどしていたら良かったですね。(浴槽に鳥の糞、毛虫は嫌~!!)
…カイラスさん、よく探索して見させてくださいました。北海道の見方が良くも悪くも変わります。
有り難うございます!(*^^*)
毎年家族でご利用、しかも「鹿苑荘」とは、他に知り合いでもいないのではないでしょうか。
>ここを拠点に池の湯キャンプ場で泳いだり、グラスボートに乗ったりしてましたね。
繁盛していた頃は、活気もあって楽しめたようですね。それがどうして、あそこまでなってしまったのか。
>ピリカ号、チニタ号とあり、1,200円くらいで周遊できたと思います。
グラスボートが二隻も。子供の声がして、客足も絶えなかったと。そうでないと、あそこまで施設を拡張はしないですよね。
>キャンプ場の中に直径10mくらいの露天風呂(池の湯の1/4くらいの規模)があって、湖で泳いでは風呂につかりを繰り返して楽しんでました。
あそこに露天風呂があったんですか。今からみれば、無駄に充実していたんですね。ある時までは、釧路住人さんのご家族のようなリピーターがいたのも頷けます。
>ジャングル風呂では南国の鳥を放し飼いにしてたそうですが
バナナやそういった演出もあり、段々、削減されていった結果が、今の姿であると。
>「トリム広場」という非電化遊園地みたいな施設があり、現役時ですら水の張ってない「温水プール」もありました。
崩壊の足音は既にあったのですね。毛髪が抜け落ちていくように。子供心にも、それは感じたのでしょう。
>バブルが残した遺産であるとともに、私の子供の頃の想い出の地でもあるのです。
お話を聴くに、子供時代の欠かせない思い出の一部のようですね。気づいたら更地で跡形もない、というよりは、過去を視覚的に振り返られるだけ、まだ良かったのではないでしょうか。貴重なお話、どうもありがとうございました。
道道からみて右側(ジャングル風呂に近い方)の棟に泊まっていた記憶があります。ここを拠点に池の湯キャンプ場で泳いだり、グラスボートに乗ったりしてましたね。ピリカ号、チニタ号とあり、1,200円くらいで周遊できたと思います。そしてキャンプ場の中に直径10mくらいの露天風呂(池の湯の1/4くらいの規模)があって、湖で泳いでは風呂につかりを繰り返して楽しんでました。夏の暑い日はアブが大量発生するのが若干難有りですが・・・
ジャングル風呂では南国の鳥を放し飼いにしてたそうですが、私が利用してた時はもう鳥はいませんでした。金色の長~い浴槽は浅くてぬるめ、他の岩風呂のような浴槽は概ね熱かったです。
鹿苑荘利用者は割引券が配られ、一般利用者よりも安くジャングル風呂が利用できました。
裏手の敷地には「トリム広場」という非電化遊園地みたいな施設があり、現役時ですら水の張ってない「温水プール」もありました。「展望台1km」という看板があり、散策を試みましたが、虫があまりにも酷く、すぐさま引き返しました。
「いなせレジャーランド」はバブルが残した遺産であるとともに、私の子供の頃の想い出の地でもあるのです。
営業末期で格安で中学生の団体を受け入れていたんでしょうね。
>その当時から、ものすごく古くて汚くて、何でこんな所に連れてこられただ・・・・みたいな感じで
昼間はやることないですよね。アスレチックなんかすぐ飽きるだろうし。呆然と施設内をウロつく肩を落とし気味の生徒さんの姿が容易に想像できます。
>長屋みたいな宿泊施設に4人ぐらいの班ごとに泊まり、カレーを作って自炊した想い出です
確かに、あれは長屋です。自炊してキャンプファイヤーが精一杯といったところでしょう。
>その頃からすでに、ジャングル風呂は立ち入り禁止で、食堂は売店も営業しおらず、廃墟感がすごかったです。
学校の旅行で盛り上がるのって、大浴場だったりしますが、いなせで一番の呼び物であったジャングル風呂が機能停止状態とは、廃業一歩手前で資金繰りに苦しかった時期でしょうね。今となっては、お金では買えないような経験だったんだと思いますよ。
時々読み返して、あの時は『でも楽しかった』みたいな思い出に浸ってみて下さい。こちらこそ、コメントまでありがとうございました。
私が泊まったのは、1990年ごろ、中学校の宿泊研修でした。
その当時から、ものすごく古くて汚くて、何でこんな所に連れてこられたんだ・・・・みたいな感じで、何もやることがなくて中学生には退屈でした。
長屋みたいな宿泊施設に4人ぐらいの班ごとに泊まり、カレーを作って自炊した想い出です。
その頃からすでに、ジャングル風呂は立ち入り禁止で、食堂は売店も営業しおらず、廃墟感がすごかったです。
久しぶりに思い出しました。どうもありがとうございました。
東急が撤退してしまった、北見ご出身ですか。駅から離れた寂れたビジネスホテルに宿泊して、アイスバーンで思いっきり腰を打ち付け、涙した思い出があります。
子供の頃の思い出の地。下手すれば更地になってたりしますから、まだマシなのかなと思いますが、ここまでの廃墟化は、かえってショックを受けるかもしれませんね。
>浮輪等の遊具持参で入浴出来るので楽しかったですねぇ。勿論、バナナも食べましたよw
バナナは表立って推奨していないものの、子供の可愛いつまみ食いぐらいは許容していたのかも。
>'81~'82年頃ですねぇ 感慨深いです。
あの地が、賑わっていた頃が想像できません。第五次産業革命でも起こらない限り、地域も含めて、再興はなさそうです。
思い出に浸られる力添えになったようで、光栄です。こちらこそ、お読みいただきありがとうございました。
故郷の北見より内地住みになり早25年。今はどうなっているのか、気になり検索したところ、こちらのブログに辿り着きました。
流石に閉館しているだろうとは思ってましたが、ここまでの状態で放置されているとは...
ジャングル風呂が大好きでしょっちゅう連れていってもらってました。
浮輪等の遊具持参で入浴出来るので楽しかったですねぇ。勿論、バナナも食べましたよw
'81~'82年頃ですねぇ 感慨深いです。
ありがとうございました。
北海道の施設は、いまだに汲み取り式のものも少なくはないですが、いなせランドは当時から水洗完備だったみたいですね。さして観光資源が無さそうなのに、なぜ、あれだけの拡張をしてしまったのかは不思議でなりません。ここはまだ現存していて、僕と同じルートを辿れば管理人に見つからないと思うので、近くに行った際には、訪問してみて下さい。