
不審火による放火跡の階とは違い、物が散乱をし雑然としながらも、かつての面影を留めるその内装の状態に、安堵を覚える、ホテルニュージャパン最上階にて仁王立の、廃墟探索者。

最近は東京でもめっきり暴走族を見かけることは無くなった。暴走行為に手を染めようかという類の若者達は、アプリ課金やスマホ使用料にお金のほとんどを費やしてしまう。国自体の貧困化もありそもそもの給料が少ないから、ストレス発散のための車購入なんて、そんな余裕はどこにもない。北海道でも同じだろう。生活必需品としての車は購入するだろうが、爆音を出すための改造マフラーや、着飾る目的のエアロパーツなど、限られた給料からわざわざ捻出して買おうなんて殆どの人は思わない。
では、このスプレー書きはどうなんだと問われる方がいるかもしれない。夜露死苦とはもはや死語にもなっている、主に暴走族の人達の間で使われていた、スプレー書きによる自己表現手段の一つ。××団と記されているから、徒党を組んで暴走行為をしていた集団だったのは間違いない。
見逃してならないのは、その上。最近ではテレビのレギュラー番組がたった一つになってしまい、しかも視聴率が5%台を連発中。ごく近い将来にテレビから居なくなってしまうとも噂されている、とんねるずがその昔、一世を風靡した番組「ねるとん紅鯨団」での決めゼリフ、「タカサンチェック」。番組が放送をされていてそのセリフが大流行したのは、1990年前後の日本経済が華やかしき頃。が、当時のみんなの憧れ、タカサンノリさんは周知の通りもはや風前の灯火だし、日本を覆う停滞感と経済的な困窮から、趣味で車を乗り回すような若者は見かけなくなってしまった。
廃墟ビルのスプレー書き、その何気ない一筆からこみ上げてくるバブル臭と、現実との乖離

個人事務所、ビリオネア、石橋貴明・・・等の心配をている暇はオマエにあるのかと、一歩を踏み出すと、目の前には「無重力の間」が出現。
ローマ字表記をみると「ムグロク・・・」とあり、本来NOとするところをなぜか「の」と一文字だけひらがなを使用している。
この時点で程度が知れていると思いつつも、中へと入ってみる。

予想では、部屋中のあらゆる物が引っ掻き回されていて、それをもって無重力の間を表現しているのかと思われたが、至って普通の荒れようだ。

何かこの計算式に秘められた言葉でもあるのかと、検索をすること10分。何も導き出すことはできなかった。

最上階のエレベーター。

もう最後になる非常口とモナーと。

館内、火災現場跡も見尽くして、再び、鉄壁で囲われた入口付近へと。転がるタイヤに腰掛けて一休みする。

もう一生来ないだろう、このホテルニュージャパンの勇姿を、しかと、眼に焼き付けておこうと、最後の力を振り絞り、立ち上がった。

カーテンの”垂れよう”がどうも人影に見えてしょうがない。中での僕はそのカーテン越しに隠れながら下を見ていたので、場合によっては双方の立場から、人を見てしまう場合があるかもしれない。

もう剥げて消えてしまった看板を発見。引き上げるにあたり消していったのか。ヒストリーチャンネルでやっているアメリカ版お宝番組では、個人でやっていたカフェだったり靴屋の看板でも、数百ドルの査定額になったりする。幻の廃墟ビジネスホテルの看板が残っていたなら、将来的に高値が期待できたかもしれないだろう。

壁を睨めば入口が開けてくる。この時の僕は、侵入探索者の境地に達していた。

館内はあれほど揺れていたのに、外からは全く伺えない。

あの7Fが燃え盛る様子はどんなだったろうか?おそらく真夜中だろうから綺麗に豪快に炎上はしていただろうが・・・ 本当に人生を楽しんでいるのは、青春時代のほんの一瞬だけでも、リミッターを外すことができた彼等なのではないか
終わり
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コメント
コメント一覧 (12)
るるさん。
貴重な当時のエピソードをご報告してもらい、誠にありがとうございます。
あのモナー、ご友人によるものでしたか。ともすれば、廃墟の落書きを非難する人はいますが、僕は大いに見させてもらって楽しんでます。古代人が洞穴に書いた落書きは、今となっては貴重な歴史的資料となるように、廃墟の落書きも当時の時代背景が感じられるからです。雄別炭鉱の病院には1980年代のカオスな落書きで埋め尽くされていましたが、全部消してしまったとか。資料を消すようなもので残念極まりないです。
あんな場所にホームレスが住んでいたんですね。しかも暴力的w
ここは頑丈なバリケードが設置してありましたよね。僕が行った時はたまたまめくれ上がっていましたが。だから後年そう頻繁には入れなかったはずなので、数年に渡って同じパンが取られずに落ちていたのかもしれないですね。
ちなみにモナーは当時ガンダムSEEDが放映していた時に中学生だった友人が描いた覚えがあります。
外にスプレー缶が落ちてて落書きしてたはず。
別日にホームレスに友人が殴られて、学校で問題になりなぜか自分たちもバレて怒られましたが・・・。
他に記憶に残ってるといえば上の階に2002年ごろのときですら数年ほど賞味期限が切れているパンが落ちてました(さすがに落ちてないとは思うけど)
すーさん。
どうも、はじめまして。
廃墟好きで、しかも貴重な地元の人ですか。現場で会ってみたかったものですw
北海道の人は早熟で性体験も早い、なんて聞きますが、不良の小学生がタバコというのもまた、エグイ話しですね。しかもお知り合いとか。
全員丸坊主なんていかにも昭和の罰っぽいですが、廃墟とはいえあそこまで燃やしてしまった罰としては、本人達この程度で済んで良かった、と当時思っていそうです。
残念ながら、火災の原因は私が小学校の頃の不良の同級生達がタバコの不始末で火災になったものです。というか当事者たちを知っています。
その後、小学生だった為か全員坊主にされていました苦笑
通りすがりさん。
今となっては本当に心に残る惜しい物件ですよね。インパクト絶大でした。
>記憶にあるのは割れているのは火災のあった窓だけで他はまだ割れておらず、周囲の鉄壁も無かったと思います。
あの壁が無かった時代があったとは。ヤンキーに荒らされていない頃。廃墟化初期段階。その頃にも行ってみたかったものです。
>船から降りたロシア人等が廃墟となったここを根城にしているという噂
そういえば一頃、北海道の港町にロシア人を多く見かけました。彼らならホテル代を浮かすためにやりかねないですね。
>千代田区のホテルニュージャパンも火災になって大きく報道されていましたが、子供の頃はここがそうか!
混同される方、今でも多いように思います。テレビで過去の火災の映像が流されると、この記事のアクセス数が増えますから。まぁ、こっちもボヤですけど燃えてますが。
しられざるエピソード、とても参考になりました。どうもありがとうございました。
そういや無くなっていたなというレベルで忘れてました。
記憶にあるのは割れているのは火災のあった窓だけで他はまだ割れておらず、周囲の鉄壁も無かったと思います。
船から降りたロシア人等が廃墟となったここを根城にしているという噂があって、実際に夜中に通るとほのかな灯りが見える部屋が有りました。
東京都千代田区のホテルニュージャパンも火災になって大きく報道されていましたが、子供の頃はここがそうか!と思ったものです。
地元民さん
荒れていたというより、ニュースで放送される内戦中のビル内部みたいな朽ちようでした。北海道の人は若者でも大概車を所有しているから、遠方からも大勢来て荒れるもの早いのかもしれませんね。
>「火事があった階の窓から、こちらを睨めつける金髪碧眼の巨大な人形の顔が現れた」という怪談
火災のあった階は確かに不気味でした。霊の噂や都市伝説が流布されてもおかしくない物件です。マンハッタンのビルに飛行機が突っ込んだ時は熱で貿易センタービルが崩壊しましたが、ここは2フロアぐらい炭化しているのによくもったなと感心したり。
最近は色々と厳しくなって町中にこういった廃墟の塔みたいなのが存在出来なくなってきているのは息苦しいというかこういう趣味を持つ人間からすると悲しくもあります。
中学生時代の知人曰く、一時期「火事があった階の窓から、こちらを睨めつける金髪碧眼の巨大な人形の顔が現れた」という怪談が流行っていたそうな。
真偽は不明ですが、そういう噂が流れる理由がなんとなく分かるような、不気味ながらも寂しげな建物でした。
ストレートティーのナンノさん
どうも、はじめまして。
苫小牧ご在住ですか。懐に余裕があったら、今にでも駆けつけたい場所です。
>確か7〜8年前に解体されたと記憶しています。
廃墟の死は突然ですね。何十年も空気のように存在し続けていると思ったら、翌日には消えていた、なんてことがよくあります。二度とお目にかかれないのは寂しい限りです。
>向かい側のガソリンスタンドによく祖父と行っていたので
ニュージャパンの高層階からガソリンスタンドを見下ろしていたことが、昨日のように思い出されます。初々しかった店と店員は、今ではこなれてきているんでしょうね。
>母が中学生だった'90年代半ばには既に廃墟だったらしく、肝試し的なノリで入る連中が多かった
血気盛んなヤンキー達が我も我もと殺到しましたか。そういう僕も、彼らの手による、スチール製壁折り曲げ行為が無かったら、中への侵入は果たせなかったです。廃墟マニアとヤンキーは、持ちつ持たれつの仲のようです。
>中の遺構から考えるにもう少し前の廃業だったんでしょうねぇ。
設備の古さなどを見ると、もっと前でしょうね。90年代なら、テレビ以外は今とそう変わらないですから。北海道の名物廃墟の消滅に、今更ながら、思いを馳せています。幼少の記憶と廃墟、良い話を聞かせてもらいました。どうもありがとうございます。
ホテルニュージャパン、私がギリギリ小学生の頃だったと思うのですが、確か7〜8年前に解体されたと記憶しています。書かれている向かい側のガソリンスタンドによく祖父と行っていたので、「ついに壊すんだなぁ」と思いながら眺めてましたっけ。
母曰く、母が中学生だった'90年代半ばには既に廃墟だったらしく、肝試し的なノリで入る連中が多かったそうです。「'90年廃業」というソースもありますが、中の遺構から考えるにもう少し前の廃業だったんでしょうねぇ。
このホテルに宿泊したことがあるとは貴重な体験ですね。周囲に何もないのには驚きました。
>ホテル=温泉旅館と言う認識しかなかった自分には狭くてベットしかない空間に
子供ごころにに旅館の風流さを思い描いて行ったのなら、さぞかしがっかりされたことでしょう。しかも、どこもかなり狭い部屋ばっかりですよね。チェーン店系で一番狭そうなアパホテルより窮屈に感じました。
まさか宿泊をされた方が書き込んでくれるとは思っていなかったので嬉しくもあります。どうもありがとうございました。
ホテル=温泉旅館と言う認識しかなかった自分には狭くてベットしかない空間に「なんだこりゃ?」という失望感しかなかった生まれて初めて泊まったビジネスホテルです。
廃墟として長く君臨していたこのホテルもいつの間にか解体されたようですね。