
前回、積丹半島へ行ったのはもう数十年前のことで、まだ中学生の頃。
当時はまだ車やバイクの免許を取得できない年齢だったので、青春18きっぷや周遊券を使用して列車による北海道旅行をその頃は大いに楽しんでいた。
中学の冬休みを利用しての北海道鉄道旅行へ行ったある日のこと。
旅のスタイルはこの頃から一人旅。
旅行経験がまだ極めて少なかったということもあり、道内では行く先々で著名な観光地を見てまわっていた。これより数十年後、北海道内の廃墟巡りをするなんて、十代のこの頃には考えもしなかったし、そうなるには、海外へのバックパッカー旅行でいろいろな国へ粗方行ってしまい「もう表の旅行は十分楽しんだ」との悟りのようなものがあったからに他ない。
海外の旅行先でも廃墟に行けばいいという意見もあるかもしれないが、僕は廃屋や廃墟に落ちている生活用品や壁の落書きを見て、当時そこにあっただろう生活に想いを馳せたりあれこれ人間関係を詮索したりして、当時の暮らしの中に入り込んで疑似生活体験に浸って妄想して楽しむのが好きなので、まずそれには、文字を読んで素直に感動したり、些細な文章表現の変化による心理状態の移り変わりも細密に嗅ぎ取れる必要がある。それにはどうしても慣れ親しんだ母国語である必要がある。
現場で転がっているモノや壁のポスターとかは、少なくとも名前の知っているアイドルやスナック菓子などではないと、懐かしんで当時を偲ぶこともできない。
アメ車のT型・フォードの廃車なんかを見ても、郷愁なんて感じられないだろうから、海外の廃墟には内面から自然と滲み出てくるような、ノスタルジーの要素が個人的には全く無い。
外国の人が撮った日本の廃墟の写真集があるが、本人が被写体に対して文字も仕様も何も分からず撮影をしているのがありありと窺えてしまい、どれもカタログ的な無味乾燥としたただ綺麗な写真というだけの
中学生の少年は余市駅からバスに乗り、雪降り積もる中、積丹半島の突端にある「神威岬」へと向かう。
シーズンオフということもあり、車内は五~六名ほどしか乗っていなかった。その少ない乗客も、しばらくするとあれよあれよといううちに、僕ともう一人、大学生らしきお兄さんの、二人だけになる。
車内アナウンスがされ終着のバス停で降りたが、それはなんと積丹半島突端の「神威岬」よりだいぶ手前の寂しげな町だった。シーズン中なら神威岬入り口手前までバスは行くそうだが、冬期は途中までしか行ってくれないのだ。
大学生のお兄さんは旅慣れているのか、極度の人見知りなのか、僕に振り返ることもなく、スタスタと早足で行ってしまった。今思えば、数十年後の自分を見ているようだった。
まだ旅の初心者ということもあり、ひとり取り残され、積もった雪道を呆然と眺めてしばし途方に暮れていたが、『これが旅の醍醐味なんだ』と自分に言い聞かし、お兄さんが進んで行った方へ、足跡をたどるようにして、僕も歩き出す。
途中まで歩いて行くと木製の小さな看板があり、記憶が曖昧だが、確か「山コース」と「海側コース」と分岐していて、どちらかを選んで進むようになっていた。真新しい雪の中の足跡は「海側コース」へと向かっていたので、僕もそれに追従。
途中、海岸線には「奇岩」と呼ばれる学校の裏山レベルの大きな岩が散在していた。辺り一面に人は一切見かけず、心象風景のような景色の中を、黙々と進んで行った。
大学生のお兄さんは全く視界に入ってこなかった。だいぶ歩いた頃、この先に岬があるようなことを期待させるようなエリアへ着く。ただ、目の前には荒い岩山が立ち塞がっていて、そこには真っ暗闇の口が開かれていた。要は小さいトンネルなのだが、中に電灯など無く「入って即漆黒」といった感じの、行く先の全く見通せない不気味な穴だった。
トンネル入口の傍らにあった、ペンキが薄れて剥げかかった板の説明書きによると、この小さなトンネルは手掘りによるもので、本来なら危険な岩場を周りながら岬突端まで行かなくてはならないところを、工事時作業員の死亡者が何名かいて尊い犠牲を払いながらも、この手掘りのトンネルが開通したことにより、突端へと出るための高い安全性が確保されたとのこと。
トンネルに半身でも入れば視界は黒。そして無音。大学生のお兄さんは果たしてこの先へ進んだのか、それとも、すでに行って帰って、山側コースを通ってバス停へ戻ったのか
懐中電灯でもあれば余裕で進めたが、ノミで削ったような細かい彫り跡の生々しい岩肌の内壁はまるで水木しげるの妖怪の喉中のようでおどろおどろしく、眼前の闇は中学生の少年にとって恐怖しか抱かせず、数十分、暗闇がのぞくトンネルと対峙し続けた結果、結局断念をして退却することに。
今回の積丹半島「神威岬」行きは数十年来のリベンジといってもよい、あの暗闇の口への再挑戦、幼き頃の自分の夢半ばを完遂させる・・・あの時、踏み出せなかった気弱な少年の今でも表れるトラウマと決別するための、”最終セレモニー”を、その暁には、控えめながらも、実行することとなる
中学生の頃の鉄道旅行以来、北海道へはバイクや車で幾度となく来た。
が、積丹半島へは、今回の車での訪問があれ以来の二度目となる。
自分で車を運転して積丹半島の突端へと向かう途中、得体の知れない廃建造物の残骸を発見することになる。これは後に目にする荒れた”サンクチュアリ”への入り口、導入部分のたったいち飾りでしかなかった。

前回はここをバスで通過したはずなのだが、これを見逃していたのだろうか。全く記憶にない。
野ざらしで錆も多いが、歯車の部分だけを見ると油分の光沢もありそんなに古くもないような気がする。もしかしたら、当時中学生の僕は稼働中のリフトを車窓より目撃していたのか。
心はすでに神威岬の方へ向かっているが、廃鉄道車両を利用した不格好なリフトらしき廃乗り物施設を目の当たりにして、シャッターを押さずにはいられなくなった。

愛嬌のある注意書き。書き手への興味が俄然湧いてくる。
これがリフトだとしたら、この上にはスキー場でもあるのか。周囲を見渡しても、そのような雰囲気は一切感じられない。

「今にでも動き出しそうだ・・・」と書いたら完全な嘘になる。こうなることを予め定められていたかのような、文字通り”取ってつけたような”建造物。

ワイヤーの垂れ具合やその他もろもろ、現役稼働中でないことは断言できる。

役目を終えたリフト施設。その傍らの電柱と電線はまだ異様に新しくも見える。
かつて山頂にはスキー場があり、そこへ潤沢な電力が配給されていたということなのか。
ここは森閑として辺り一面が山林。

『見学はお断り』の札。
リフト施設横の階段を登っての廃車両の中の見学をお断りという意味なのか。そんな思案をめぐらしていたところ、ヒントとなりそうな黄色い看板を発見。

草葉の陰より、手作り手書き看板。
子供がマジック・ペンで殴り書いた風。
『チニカまで あと1200m』
1200mとは聞こえは良いが、1.2キロもあるということだ。自転車やバスで通りかかって偶然ここを見つけたような飛び込みの人だったら、躊躇してしまいそうな微妙な距離感。

険しそうなダートが続いている。ちょっとの寄り道にしてはかなり時間がかかりそうな案件。
途中でスタックでもしたら取り返しのつかないことになるだろう。
中学生のあの頃、僕は暗闇への一歩を踏み出すことができなかったばかりに、 今こうして数十年ぶりの再挑戦を行うがために、積丹半島くんだりまで遠路はるばる来るはめになっている。
ここで進まず回避したとして、それは日々後悔の念ばかりが募るというもの。再び同様にこの地へ戻って来てしまうのは明らか。
一体それは、何年、何十年後・・・ 更に数十年後、おっさんを越えた爺さんになり、舞い戻ってきてこの道を進んでなんになる。
二度と繰り返すまい・・・。
僕はアクセルを踏み込んで、荒くれ道を突き進むことにした。
つづく…
「荒廃した山荘を発見」 廃墟、『チニカ山荘』荒くれ探索.2
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コメント
コメント一覧 (2)
周囲は林しかないので、あれが目に飛び込んで来るとインパクトがありますよね。
なかなか興味深いものがいろいろあったので、よかったらまた次の更新分も読んでみて下さい。
自分が撮った写真以外で、ここで初めて見ました。
昔はよく、廃墟に行ったり写真を撮ったりしたのですが、今はどちらもしなくなってしまったので、こちらのブログはたいへん楽しく読ませていただいています。
自分は、これより先に踏み込めませんでしたので、続きを楽しみにしています!